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文化祭実行委員②

(*文化祭実行委員①から読んでね)

不慮の事故で文化祭実行委員になった私。

私の母校では文化祭実行委員長になるのは
その年の3年生がなるという
ルールがあるうえに、我々の代では、

「なんかぁウチらよりぃ、
 男子が文化祭実行委員長になった方が
 良いよねぇ〜
 (人差し指で髪の毛巻き巻きしながら)」

的な女子からの圧力もあった。

もちろん思春期まっしぐら男子陣は
その圧力に気圧されまくり
「俺たち男子の誰かがなろうぜeっ!!」
という謎の一体感が生まれてしまった。
不慮。


問題はここからである。
私たちの学校は一学年11クラスあった。
男11人の中から1人を決めなくてはいけない。


この11人の中から如何にして
1人に選ばれないでいれるか、
絶対に負けなくてはならない戦いが
そこにはあった。


男子11人で話し合いが開催された。


何かを決める際にお互い意見を出し合い、
建設的な議論をし物事を決める大切さというものを耳にタコができるほど聞かされていた。



この話し合いは長くなりそうと
覚悟を決めてはいたが、
この話し合いは日が暮れるどころか
年越すぐらい話が進まなかった。

そこにいた男子全員の脳裏には永遠と

「ジャンケンで良くね?...」と過っていた。

しかし、そんなものは絶対に許されない。
紙、石、鋏の三種で勝敗を決めるという
野蛮で前時代的な方法では許されない。

教卓の前でジャンケンじゃ許さないぞと言わん鋭い眼差しでコチラを先生が見ていた。


こんな終わって_もとい、
常時電気を全て点けた状態で
現役高校生が、ただただ驚かしてくる
という世界一明るいお化け屋敷を
完成させてしまう様な
学校の文化祭の長なのに。



11人の男子高校生が長い時間、
やんわりと自分に矛先が向かない様に
議論合気道を披露しつつ
全員、自分が出せる全ての建前を繰り広げ
非建設的な議論を行い、
エスカレーターを逆走してる時のような
話の進まなさと気味の悪い感覚に陥った。

そして青春という有限な時間を
見事に無駄にした男子高校生11名は
日が暮れると同時に
途方に暮れそうにもなった。

それを見かねてか
文化祭実行委員担当の先生が
男子11人が集まっている輪に近づいて来た。

「全然決まらないなぁ」

その言葉には何故決められないのか理解が出来ないという気持ちが上乗りしていた。

全員が純度百度でやりたくない!!って
思っている事を、やる!って話に持って行く
なんて決まるわけないだろ!!と
反論できる勇気もないけど反論しよう
としたその時、


先生の口からとある一言が
ボソッとこぼれ落ちた。


「じゃんけんじゃダメなの?」



____えe!?ダメじゃないの!?



議題に対し、議論を行い、
それに参加した人間の意見を
加味し最善の答えを出す。
この場合は文化祭実行委員長が
誰が相応しいか、何故相応しいのか。
その真面目な考えに囚われてしまい、


「え、ちょっとさ、 
 じゃんけんがワンチャンありの
 可能性探ってみるぅ?ニヤリ」


といった一つ目の可愛げのある提案を
完全に見過ごしてしまっていた。盲点。

当然先生に対して、
もっと早く言えよという気持ちも
抱いてもいたが、
この30分近く、全力の合気道建前議論を
していた手前、じゃんけんという提案に
大手を振り、即レスでやりますとなると
今までの自分達を
否定する事になってしまうので


「え〜まぁ先生がそういうなら
 しょうがないからやるか〜、、」


という無駄な自己防衛まで披露してみせた。

やっと文化祭実行委員長が決まる〜!
この集まりももうすぐ終わって帰れる〜!


と皆が安堵した
と同時に皆の顔に緊張が走った。

じゃんけんで決めるという事は、
自分が文化祭実行委員長になる可能性が
大いにあるという事である。
しかも運によって。


議論中はどこかに、
私以外の誰かがなるだろうし、
私になりそうだったら
何かと理由をつけて断れると
思っている自分もいたが、じゃんけんとなると
それは全く通用しなくなる。

平等であるからこその強制力が発生する。

「じゃあ、じゃんけんするかぁ。」
誰かの発したこの言葉と同時に、
男子高校生11人の目の色が変わった。
高校サッカーで全国行きの切符を手にする試合前の選手のようであった。
(ショボイ文化祭の名ばかり実行委員長を決めるだけ)

全員がしっかりと輪になり
片手を突き出した。
その片手はそれぞれの想いが、
こもった拳となっていた。


全員が何となくのアイコンタクトをし、
いざ勝負!と言わんばかりの掛け声が唱えられた。

「最初はグー!!」
(なりたくないなりたくないなりたいないなりたくないなりたくない文化祭の委員長なんて)

「じゃんけん!!!」
(やりたくないやりたくないやりたくないやりたくないやりたくない文化祭の委員長なんて)

「ぽぉぉい!!!!!」
(無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理文化祭の実行委員長なんて!!!!)

全員が各々の全力の鋏・紙・石を出し、あいこが続いた3・4回目で勝負が決まった。

そう、その年の文化祭実行委員長が決まった。

「あいこでしょ!!!!!!」


パー🖐 ←10人
グー✊ ←私

グー✊ ←私!!☆⁂!♡???✌️


中々にあり得ない確率で
文化祭実行委員長が私に決まった。


文化祭実行委員担当兼
じゃんけん推進派閥先生の
「はい、じゃあ鈴木よろしくぅ〜」
の言葉と同時に男子11人の輪が解散された。


自分が文化祭実行委員長ではない
という安心感と俺の絶望してる顔見て、
皆薄ら笑いを浮かべていた。
絶対に忘れられない薄笑いがそこにはあった

「じゃあ今年の文化祭実行委員長、前に来て、色々まとめて〜」

もちろんまだ実行委員長の自覚はない。

しかし、前に向かっている。
向かいたくない、向かってしまったら
自らを文化祭実行委員長として認めてしまう。
ただ、私は先生が呼ぶ方へと向かっている。
精神と肉体の乖離とはこの事か。
______恐らくだが、
精神と肉体の乖離とはこの事ではない。

そして、さも文化祭実行委員長ではないけど
教壇に立ってますよ〜みたいな顔をする事を
心に誓いその誓いを遂行した私。


そんな私が初めて記念すべき
文化祭実行委員長としてした仕事は
それぞれの学年の代表を決める事であった。


私はそれぞれの学年が座っている方に顔を向け
「学年での代表者をそれぞれ決めてください」
と蚊の鳴くような声、
いや、蚊でさえ
すいません、なんて言いました?
って聞き返す声で言った。

案の定下級生に伝わらず、
「え、あのジャンケンで負けて教壇に立ってる帰宅部の人なんて言ってた??」というような顔で下級生がこちらを見ていたので、
改めて、蚊の鳴くような声で
「学年での代表者をそれぞれ決めてください」
と伝えた。

あ、は〜い、、
みたいな態度で何となくの議論が
それぞれの学年で始まった。

そんなことより文化祭実行委員長を
誰かに変わってもらう採決を取りたかったが
そこまで文化祭実行委員長に権限はなかった。

いかなる方法で私が文化祭実行委員長で
なくなる方法を考えたが、
泣き喚くか
文化祭実行委員長になったのが
原因で不登校になるか
トチ狂う以外方法が見つからず
諦めざるを得ないと観念した。

そんな事を考えてる間に
ふた学年の代表が決まっているだろうと思い、そちらに顔を向けると驚く事に
下級生全員がこちらを見ている。

え、もう終わったの!?と思い、


「決まったなら代表になった
ふた学年それぞれの代表は、
名前を黒板に書きに来てください〜」
と伝えた。



誰も書きに来なかった。


なんなら微動だにしなかった。


時間止まったのかと思った。

そして何より
文化祭実行委員長やめたい♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
と思った。



下級生達は議論を行うふりをしただけで
何もしていなかった。
強いて言うなら、前に向き直って
俺を見るということだけをしていた。

「気持ちは分かるけど、誰かやらないとだから決めてもらっても良いですかぁ?」
と声をかけてまた代表者を決めてもらう。

しかし全く決まらない。

誰かが発言する事もジャンケンの提案をする人もいない。俺は文化祭実行委員長なったのに。

そして10分くらいにたった時、


私はあまりにも決まらない各学年の
代表に対して
「学年の代表なんて肩書き上で、何もする事ねぇし誰でも良いから早くしろよ」と
心で強く強く強く思っていたのだか、


なんということでしょう〜✌️
その心で強く思っていた言葉が、
口から放たれ空気を振動させ
他者の鼓膜を揺らしてしまっていたのです✋



精神と肉体の乖離とはまさにこの事である。

下級生にイラついていたというより
純粋に早くして〜〜って気持ちであったし、
文化祭実行委員長になったことに対しては
面倒だなと思ってはいたが、
心の底から嫌悪している訳ではなかったのだが


他人から見たら、ジャンケンで負けて
文化祭実行委員長になってしまい
ガキのようにあからさまに不機嫌になり
下級生という下の立場に当たり散らす
という痛めの新文化祭実行委員長が誕生した。

最悪。
挽回しないと。

と思っている間に私の言葉のせいで
みるみるうちに各学年の代表が決まった。

やばい。
挽回できない。


そして、文化祭実行委員の集会は終わった。


残ったのは私に文化祭実行委員長という
肩書きが付いたのと、結構短気な奴という
イメージのみであった。


最悪の出だしである。


ただこれから文化祭までの約3ヶ月間
何回かあるであろう集会で
挽回すれば良いや!と切り替えもした。




文化祭までの3ヶ月間、
一回も集会が行われなかった。


終わった。


そして終わってる文化祭すぎる。
流石に一回は集まった方が良い。


そして文化祭前日の放課後
私は文化祭実行委員担当の先生に
職員室へ呼び出された。



「明日の朝の全校集会、
文化祭実行委員長として
全校生徒の前でスピーチして
もらうからよろしくね。」


勿論、よろしくな訳がない。

言うのが遅すぎる。
何なら3ヶ月の間なにもなさすぎて
文化祭実行委員長である事を忘れかけていた。

急に文化祭実行委員長としての大仕事を
任され、しかも全校生徒を前にスピーチ。

言われた瞬間から生きた心地がしないくらい
ド緊張をし始めた。

家に帰りすぐに即席のスピーチをしたため
暗記して練習をする。
反復練習をして完全に覚えた。
後は本番に臨むだけ。
そして当日の朝を迎え全校集会が始まった。

スピーチをする者は他の生徒とは違い、
前に全校生徒と対面する形で並んでいる。
並びとしては、
校長先生、私、生徒会長である。

全校生徒を前にスピーチすることに
慣れまくった二人にサンドされる形である。
慣れまくり過度な緊張をていない二人は、
過度な緊張をしている私を間に挟み
楽しそうに会話をしている。

そして全校集会が始まった。

生徒会長がまず話をし
その次に校長、
そして最後に私が文化祭の開会の言葉。
この順番である。

生徒会長が何食わぬ顔で
スピーチを終わらせ、
校長が登壇、そして話を始めた。

校長が話をしている間、
緊張を落ち着かせる為に
生徒会長に話しかけた。

「毎回朝会の度に話してるけど、
 緊張しないの?」

「あんまりしないですね」

「え、すごいね。何で緊張しないの?慣れ?」


「ん〜、そうですねぇ、、、
 私中学校一回も行った事
 なかったんですよねぇ」


「へぇ〜、、、」

謎のカミングアウト。

私のQに対してAではなくCが帰ってきた。

「私ずっと精神を安定させる薬を服用してて」

「あ、そうなんだねぇ、、、」

緊張を忘れるほどの
重い話と返しの分からない話。



困惑をしている内に校長が話を終えていた。

あっという間に私が登壇する番となり、
朝礼台へ向かった。

生徒会長のカミングアウトの
おかげもあり緊張を忘れ

朝礼台の階段でつまづき、
台上で小躍りかな?
と思わせるくらいのよろけを
披露する程度のハプニングは起こしたが
それ以外は立派にスピーチを遂行できた。

そして文化祭が開催された。

文化祭中は生徒の中で、
一番文化祭中偉い立場であったにも関わらず、

「文化祭実行委員長なんだから
 店番実行しなきゃダメでしょ!」

という、えらい角度のパワハラを受け
絶対にやりたくないと
思っていたクラスの出し物の
店番を任されまくり、
現場で汗を掻くタイプの
文化祭実行委員長となった。


結局文化祭実行委員長としてやった仕事は、

事故的に不機嫌を
存分に見せて下級生の
代表を決めさせた事と

朝礼台上で小躍りを見せつつ
開会の言葉を宣言した事。

しかし、文化祭後に
私の仕事が一つ残っていた。

学校の生徒や保護者や後援会に
配布する学校便りに
文化祭実行委員長として
今年の文化祭の振り返りの
文章を書くという事であった。

その振り返りを限られた
文字数で書くとなり、
私は文化祭実行委員長となり
何の気なしに目を通した資料の事を
思い出した。
それはこの学校における
文化祭のルールであった。

前述もしたが、
うちの学校は文化祭の出し物等の
ルールが異常に厳しく
そのせいで盛り上がりに
大きく欠けてしまっていた。
ルールが多く厳しいのは知っていたが、
その資料を見にした際、
ここまでか愕然とした。

それを思い出した時、
「あ、この事書いちゃおう〜〜〜」
と思い始めた。
思い始めるな。

普通の振り返りでは
無味乾燥な文で終わってしまい
面白さも何もないので、
この盛り上がりに欠ける根源である
数多の厳しいルールを存分に皮肉を交え、
この学校の文化祭批判をしちゃえば
面白いや!!と思い
文字数を目一杯使いシニカル振り返りをし、
嫌味ったらしい文章を
完成させ、クラスの担任の先生を経由し、
学校便りを担当している先生へ提出をした。

その振り返りを書いた際に、
一つ私が見落としていたといえば
その学校便りを担当している先生が
学校一いかつく強面で
実際に怖く厳しい先生である
という点であった。
担任の先生に提出し
「渡しといてください〜!さよなら〜!!」
と言い、下校している途中で
気づき膝が震えた。

そして、後日昼休みに
その先生から呼び出された。
全身が震えた。

まさか、ジャンケンで負けただけなのに
下級生に不機嫌で扱いづらい俺という
レッテルを貼られ

朝礼台上で小躍りを見せ、

文化祭が終わった一ヶ月後に
学校一の強面に呼び出される。

こんなことがあってはいけない。
ふざけるのも大概にして欲しいと
涙目になりながら職員室へ向かい
その先生の元へ訪ねた。

怒鳴られるのか、殴られるのか、
両方なのかと考えていたら
その先生はゆっくりと口を開き
私の目を見てこう言った。

「鈴木君って、、性格終わりかけてる??」
「あ、いや、褒めてるんだよ?!」

褒めてるは無理だろ。

確実にお説教を受けると思っていたが
まさか性格の難を告げられるとは
思っていなかった。

ただ先生は本当に褒めてくれていた。
先生自身ももっと文化祭は
自由にして良いと思っていた事や
この振り返りの文章が
個人的には凄く好きと言ってくれたり
文章力や言葉遣いをたくさん褒めてくれた。

正直、
高校生活でベスト3に入る嬉しさだった。

どんだけつまらない
高校生活だったんだよという
意見はもちろん置いといて。

お説教を受けると思っていたので
拍子抜けをしたが
逆に褒められたのが
不意過ぎて心の奥底まで染みた。

そして長い時間を使って
褒めてくれた先生は最後にこう言った。

「本当はこういうの書き直してもらうけど、
この文章好きだからそのまま載せるね。」

泣くかと思った。

まさか俺の文化祭での青春が
学校一強面の先生との職員室で行われるとは
思っていなかったが本当に心から喜べた。

そして、とある日の帰りの
ホームルームで学校便りが配布された。

先生に褒められた自分の文章が載っている。

みんなにも読んで欲しいなと思い、
前の席の子をチラッと見た。

前の席の子はその学校便りを
丁寧に
クシャクシャにして
机の引き出しに
これでもかというくらい
押し込んでいた。


まぁそんなもんだよなぁと思った。

ただ、そこまで嫌な気持ちにならなかった。

だって、褒められたから。

何より学校便りに載っている自分の文章で、


「良いの書けたな、、」と
我ながらに思ってしまっていたから。

そう心から思えたら最強である。

心から自分を褒めづらい私であるからこそ
特に。


文化祭実行委員長、
良くもなかったけど悪くもなかった。
無駄でもあったけど無駄でもなかった。
多分これからのあらゆることも
そんなもんだろう。


生まれ変わって高校受験するなら
文化祭で男子が
シンクロする高校に入学して、
文化祭でシンクロして
来校する人を感動させると
多感な高校生はどんな感情なのか、
そしてそれがその後の人生に
どれだけ影響するのかを知りたい。

あ、でも俺カナヅチだから、シンクロできずに
また文化祭実行委員長になるかもなぁ。


そしたら、また学校便りを書こう。
文化祭実行委員長として
シンクロを皮肉しながら。




























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