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科学は娯楽

こんにちは。顕微鏡アート「microplanets」の活動をしているAko Sugiiです。

顕微鏡アートのmicroplanets、これは元々、科学×芸術活動のアイディアの一つであり、構想していたことは実は他にも色々あります。まだmicroplanets以外は実現に至っていませんが、将来的には幅広く科学と芸術分野の境目で活動していきたいと考えています。

今日は、なぜ私が科学×芸術にこだわるのかについて書きたいと思います。

高校に入ってから生物学に興味を持った私は、最初は生物学者を目指していました。何かすごい発見をしてノーベル賞がとれたら素敵だなと憧れていました。頑張って勉強をして、生物学を総合的に学べる生物学科のある大学へ入学しました。

大学では生物学の様々な分野が学べて、ハードな時期もありましたが非常に充実していたのを覚えています。

中でも、特に厳しいと評判の教授がいて、授業の度に難解な課題が出て、最後の試験は更に難しく、学生一同でひやひやしていました。

その教授の授業は、「うわべだけで考えず、物事の本質をよく見る」ことが主軸に置かれていました。課題や試験にはだいぶ苦しめられましたが、授業の内容はいつも興味深く、自分の思考の浅さを実感できたので、今振り返ると、苦い良薬のようなものだったのだと思います。

確か大学2年の時、私はその教授のある授業を受けました。その授業はリベラルアーツ系で、生物学科の学生だけでなく、大学の学生は誰でも受けられる授業でした。その中で、教授が黒板に書いた言葉が今でも印象に残っているのです。

「科学は娯楽」

今回の記事のタイトルにした言葉です。

科学というと、「役に立つべきもの」というレッテルを貼られがちです。よく「この研究は何の役に立つんですか?」という質問が出ることがあります。研究には、直接何かの役に立つ研究と、すぐに何かに役に立つわけではない研究(いわゆる基礎研究)があります。

では基礎研究はすぐに役に立たないからあまり意味がないのでしょうか?これに対する一般的な答えは、「将来的に回り回って何かの役に立つ可能性を秘めているから、基礎研究にも重要な価値がある」というものでしょう。

教授の考え方は、更に斜め上を行っていました。

そもそも、科学というもの自体が娯楽である。役に立つかどうか以前に、ある謎に対して仮説を立てて、それが正しいのか検証する、そういった過程自体が面白いものであり、その面白さをもっと世の中が娯楽として楽しむべきなのだ、と。(私の拙い記憶で書いているので微妙に教授の意図とずれているかもしれませんが、大きくは違わないと思います)

私はこれを聞いて妙に納得したのです。そうか、科学は娯楽として楽しんでいいんだ。役に立つ研究をしなければならないという呪縛から解放された気分でした。

それで私は、科学をもっと娯楽として楽しめるような世の中にするにはどうしたらいいか、とその日を境に考えるようになりました。大学院生のときの文化祭では、「もし遺伝学者メンデルがカフェをやったら?」というコンセプトで、エンドウ豆のクレープを販売したこともあります(懐かしい)。色々と模索していました。

そこで思いついたのが、科学と芸術の融合です。元々、幼少期からピアノを習っていたのと、大学では写真部に入っていたので、芸術分野には接点がありました。芸術はまさに娯楽として世間に親しまれている分野。それを科学と掛け合わせたら、科学の面白さを更に魅力的に発信することができるのではないかと考えたのです。

私の活動のモットーは、「科学と芸術の融合で世界をもっと美しく」です。世の中、嫌になるようなこともたくさん起こりますが、そんな中でも世界の美しさや楽しさみたいなものを感じる機会が増えれば、そして科学が芸術と手を組むことでそれに貢献できたら、どんなに素敵だろうと思います。microplanetsの作品は、あまり学術的な部分に深く入り込んではいませんが、「なんか綺麗だな」「面白そう」という科学への入り口を作ることに貢献することを目指しています。

私の作品を見て顕微鏡に興味を持った子どもが将来、科学者になった、なんてことがあれば素晴らしいだろうなと妄想しつつ、科学×芸術の世界の探究を楽しんでいこうと思います。


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