認知療法の中で、メタ認知を獲得した話
この文章を読む前に、マツシタさんの説明書を予備知識として押さえておくことをオススメする。
闇の中へ
20代後半は、ひたすら真っ暗な闇時代だった。説明書の中ではあまり詳しく書かなかったが、この時期は中〜重度の精神疾患だった。大学院の博士課程に進学したのだが、そこは院生を国立系の研究所に放り込むスパルタ教育なところ。修士までぬるま湯の中で育ってきた自分には、異世界転生レベル。日本トップレベルの超優秀な人々の群の中で、全然ついていけず、直属のボスともソリが合わず、重度のプレッシャーでつぶれた。
あの時、必死で支えていた心が、最後のつっかえ棒が、見事にポキッと折れて、ガラガラと音を立てて人生が崩壊した。あの瞬間はいまでも鮮明に覚えている。
病名としては気分障害だったり双極2型だったりで、5〜6年くらい心療内科で治療した。治療としては、気分障害系の精神疾患なので、基本的には服薬をベースとして、診察の中で認知療法的な指導を受けながら、あとはただただ何もしない毎日をぼーっと過ごした。
精神と時の部屋へ
診察を始めた時に主治医から「毎日朝昼晩の気分を○△×で記録するように」と言われた。その頃のノートがこれ。
中はカオスなので見せられないけれど、ひたすら自分の気分を記録し続けた。2年くらい続けた。ただただ自分の心の状態を観察する毎日。真っ白な精神と時の部屋に入って修行しているような感覚。実際には真っ暗だったけど。
セルフモニタリング
基本的に大体いつも鬱のフェーズで、胸が苦しくて頭も重たい。ほぼ毎日こんな空虚で無為なクソみたいな時間が永遠に続くのかと、ただただ絶望していた。常に死にたいと思っていて、ありとあらゆる死に方を考えていた。こうした鬱の状態はわかりやすいので、自覚するのはとても簡単だった。
厄介だったのは躁のフェーズ。鬱から抜けた時に、ただ調子が良くなったのか、躁転して気分が高揚しているのかを自覚するのが、非常に難しかった。良くなっても良くなったと思えない。躁になっているんじゃないかという不安が常に付きまとう。結構地獄な日々だった。
初期の頃は自分の気分に振り回されて、一喜一憂する毎日が続いていた。そんな時は、診察の中で主治医に助言してもらいながら、少しずつ物事の捉え方を変えた。そうして少しずつ自分の頭(認知)と心を整えるようにした。
もう一人の自分
そんな修行を数年間続けていると、だんだん自分の心を客観的に見れるようになった。もう一人の自分が自分の中にいて、一喜一憂している自分を分析する感じ。どんなに自分の心が動いても、それを冷静に客観的に、上から俯瞰して観察している。感情主体と分析主体の二人が共存している。二重人格とは少し違う。
この「もう一人の自分」を確立することが、認知療法の成功を意味するのだと思う。そして、メタ認知の獲得の第一歩。自分は5年くらいで症状が安定して、気づいた時にはこの思考の癖=認知能力も獲得していた。
ただし、もう一人の自分を獲得すると、それと引き換えに感情というものを失う。正確には、感情はあるけれど、100%純粋に感情だけで動くことがなくなる。怒る時ですら客観的に自分の状態を分析しながら怒るようになる。自分や他者の感情的なことに対して、とても客観的に見るようになってしまう。喜怒哀楽を純粋に出せないようになってしまうので、人生を満喫するならもう一人の自分は獲得しないほうが幸せかもしれない。だから、純粋に人生を楽しんでいる人を見ると、羨ましく微笑ましく思う。客観的に。
異文化社会で
治療の中で図らずも身につけたセルフモニタリングの能力。「己の心を知る」ことはこの能力でできるようになった。そこから「環境を把握する」というネクストステージに進んだ。それが異文化社会の中で生きること。
具体的には台湾に渡った。台湾では言葉を覚えるところからスタートし、現地で仕事をして生活した。台湾の文化圏は日本にかなり近いので、ある程度共有できる感覚もあるけれど、やはり中華文化がベースにあるので、そもそも中国語なので、文化・習慣・言葉を理解するのは、とても大変だった。
仕事はホテルだったが、外国人待遇ではなく、普通に現地人と同じように働いた(もちろんビザは外国人労働者として取得)。仕事を始めた当初は、全く会話ができなかった。しかもホテルのフロントという、会話しないと仕事にならない、というか会話することが仕事の場所で働いていた。今から思えば、よくあんな無茶苦茶な状態で働けたなと思う。というか、雇ってくれたなと思う。同僚には迷惑ばかりかけてホント申し訳なかった。
空気を読む
仕事の中で必要だった能力が「空気を読む」こと。とは言え、日本人的な何となくの場の空気を読むのではなく、自分が置かれている「環境を把握する」という意味。
とにかく相手が何を言っているのかわからないので、今現在の状況を細かく観察して、ありとあらゆる可能性を考えて、必死に相手の考えていること、自分がしなければいけない行動を考えた。相手の表情や声の調子、身振り手振り、服装、持ち物、時間帯など、ありとあらゆる非言語情報を通して、相手の頭の中を想像した。この対応は相手が目の前にいるので、反射神経が必要で即時性が求められた。一瞬で判断して反応しないといけなかったので、なかなか過酷だった。なにせ、ホテルの仕事自体が初めてで、普通に日本語でも大変だっただろうことを、全くわからない外国語でやっていたのだから(ほんとよくできたなと思う)。
仕事以外にも、自分の置かれている環境を把握することは、日常的に必要だった。社会の仕組みが日本と全然違う環境だったので、とにかく周りをよく見ることを習慣的に行なっていた。外国人である以上、下手なことはできないから(本当に下手なことをすると国際問題になるから)、気をつけるべきところは気をつけた。そんな生活を5年以上続けていた。
これがメタ認知なのかな?
①精神と時の部屋で、自分の心理的な変化をモニタリングする自己認知。②異文化社会の中で、自分が置かれている社会状況を把握する環境認知。これらにより、より広い視点で物事を認知できるようになった。もともと大学院で客観的な分析をする基礎トレーニングはしていたけれど、①②の環境の中で実践トレーニングをして認知能力を高めたのだと思う。
手間のかかるディーゼル車
一方で、あれこれ考えすぎてしまって脳疲労がハンパなく、無理しすぎると鬱に突入して使い物にならなくなるという、なかなか非効率なところがある。まだ完璧にコントロールできているワケではないので、これからも修行の必要がある。たぶんこれは一生続くんだろうな。すごくパワーは発揮するけど、その分コントロールやメンテナンスが大変なので、結局効率いいんだか悪いんだか…
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