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ウイルスを"観る" 第一部: 病原性で観る

はじめに 〜我々のウイルスに対する認識の歴史

2019年の年末。中国武漢市で原因不明の病気が発生する。翌年、この病気は瞬く間に中国全土、そして世界に流行し、歴史的なパンデミックに陥った。世界中の研究者がこの病気の原因を研究し、SARS-CoV2、いわゆる新型コロナウイルスが病原体であることが突き止められる。パンデミックは我々の生活に甚大な影響を及ぼし、いまでは「ウイルス」を知らない人はほとんどいないだろう。もちろん、多くの人は「ウイルス」という言葉自体は聞いたことがあったかと思うが、中には細菌や毒素と区別がついていなかった人もいたに違いない。では、ウイルスとは何か?細菌や毒素とは何が違うのか?新明解第六版国語辞典によると「他の生物に寄生して増殖する、普通の顕微鏡では見えないほどの微生物。インフルエンザ・天然痘などの病原体。濾過性病原体。」とある。一部例外はあるものの、細菌よりも小さい生命体(あえて「生物」と区別して「生命体」と呼ぶことにする)ということになる。普通の顕微鏡では見えないウイルスの存在をどのように検証し、証明できるのだろうか。

現在、最も簡便な方法は遺伝情報を解析することである。新型コロナウイルスに感染したかどうかの判断に用いられるPCR検査も、遺伝情報の解析手法を利用している。また"普通"でない顕微鏡、電子顕微鏡を用いることで、ウイルスの姿をとらえることも可能だ。ところがウイルス学の歴史は案外と古く、電子顕微鏡が発明される1931年よりもさらに数十年も遡る(図1)。当時の科学者にとって、ウイルスとは、遺伝情報も解読できず、姿を見ることもできない、得体の知れない存在であったはずた。それにも関わらず、彼らはウイルスの存在に気づき、検証し、証明してきた。どのようにしてそのような困難な課題が解決されたのか。

図1. ウイルスの存在を検出する方法の歴史

本ノートの目的は、ウイルス学の歴史を紐解き、科学者がどのようにウイルスの存在を検出してきたのかを確認することである。歴史を知ることで、我々のウイルスに対する認識、”ウイルス観”が大きく変遷してきたことが理解できるはずだ。また、ウイルスを"観る"ために開発された様々な手法は、パンデミック下の現在に生かされているばかりか、ウイルス学とは直接は関わりのない分子生物学にも転化されていることもわかる。改めて図1を見て欲しい。ウイルスの存在を検出する方法の歴史は、大きく3つにわけられると私は考えている。現在最も主流な方法である、遺伝情報で"観る"時代。それに先立つ、電子顕微鏡で姿を"観る"時代。そして、ウイルス学の黎明期にあたる、病原性で"観る"時代だ。第一部では病原性を"観る"時代についてまとめる。私の気力が続けば3~4部ほどの構成でウイルス学の歴史を現在までの歴史を追いかけたいと思う。

病原性で"観る"

病原性細菌

ウイルス発見の物語を語る前に、病原性細菌について知っておく必要がある。人類史上最も多くの犠牲者を出したパンデミックは黒死病で、12~14世紀に繰り返し大流行し、多い時で当時のヨーロッパ人口の半数近くが亡くなったと考えられている。当初は悪い空気が原因であると考えられ、治療者は空気を浄化するためのマスクをしていたようだ(図2; 病原の解釈こそ違うが、現代でも通用する対策だ)。14世紀頃には科学者の間では黒死病が感染症の一つであり、その原因が微生物であると考えられ始めたようである。17世紀に光学顕微鏡が開発され、19世紀にはコッホやパスツールらによって感染症の原因が病原性細菌であることが証明された。人類がはじめてウイルスの存在に触れた19世紀は、まさに病原性細菌の研究が最盛期を迎えていた時代であり、感染症の原因は全て細菌によると考えられていた。

図2. 黒死病とペスト菌

コッホの原則

病原性細菌が感染症の原因であることを証明するためには、次のコッホの原則に従うことが求められている。

  1. ある一定の病気には一定の微生物が見出されること

  2. その微生物を分離できること

  3. 分離した微生物を感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こせること

  4. そしてその病巣部から同じ微生物が分離されること

タバコモザイクウイルスの発見

タバコモザイク病は、タバコの葉に斑点がみられ、成長が著しく遅くなり、多大な農業被害をもたらす病気である(図3)。1886年、タバコモザイク病の原因を探っていた農化学者のアドルフ・エドゥアルト・マイヤーは、病気になった葉の汁液を健康な葉につけると健康な葉も病気を発症すること、つまりタバコモザイク病が感染症であることを報告した(『見えざるウイルスの世界』を参照)。当時は病原体といえば細菌しか知られていなかったため、マイヤーは新種の細菌がタバコモザイク病の原因だという仮説を立てた。

仮説: タバコモザイク病の原因は感染性の細菌である

図3. タバコモザイク病

マイヤーはコッホの原則に従い、その病原体を分離しようと試みたが、それが成功することはなかった。その後1892年にドミトリー・イワノフスキーはシャンベラン型ろ過器を用いて感染した葉由来の汁液から既知の大きさの細菌を全て除去しても、汁液の感染性は失われないことを発見した。このろ過器を通過できるほど小さい細菌は知られておらず、イワノフスキーはこの感染性因子が未知の存在であることに気づいた(辞書によるウイルスの説明、濾過性病原体はこの発見に基づくと考えられる)。細菌よりも小さい感染性因子の存在が初めて示唆されたことから、イワノフスキーの発見がウイルス学の起源だとされる(『見えざるウイルスの世界』を参照)。ちなみにイワノフスキーはろ過器の欠陥を疑い、繰り返し繰り返し検証して、未知の感染性因子の存在を確信したらしい(Discoveries in Plant Biology, 1998)。

新仮説: タバコモザイク病の原因は感染性の"極小"細菌である

イワノフスキーは細菌との決定的な違いに気づいたにも関わらず、タバコモザイク病の原因は極小の細菌か細菌出すの胞子がろ過器をすり抜けたのではないかという誤った仮説を信じ、コッホの原則に従いその分離・培養を試みるが失敗した。

ウイルス学の歴史で最初にブレークスルーを起こしたのは、マルティヌス・ベイエリンクだ。ベイエリンクはイワノフスキー同様に感染した葉の汁液をろ過器に通す実験を繰り返し行い、感染性の汁液が無菌であるというイワノフスキーと同じ結論に至った(どうやらDiscoveries in Plant Biology, 1998によるとベイエリンクはイワノフスキーの仕事を知らなかったらしい)。感染性の汁液から細菌が見出されなかったため、彼は病気の原因が細菌由来の化学物質であるという仮説を立てた。

新仮説: タバコモザイク病の原因は細菌由来の毒素である

病原体が化学的な毒素か生命をもった微生物かを検証するため、ベイエリンクは無菌にした感染性の汁液を健康な葉に投与し、これを繰り返した。もしも病因が化学物質であれば、最初の感染性の汁液から毒素が徐々に希釈され、最終的には健康な葉に毒性を示さなくなるはずである。しかし病気の葉由来の汁液は3ヶ月ものあいだ病原性を維持し、それが化学的な毒素であることを否定した。さらに感染性の汁液が90˚Cの高温で病原性を失うこと、生きた分裂中の細胞にのみ感染することを発見する。いずれの結果も、タバコモザイク病の原因は化学物質ではなく何らかの未知の微生物であることを示唆していた。さらにこの微生物は水に可溶性であったことから、彼はこの未知で全く新しい感染性微生物を『contagium vivum fluidum』(直訳するなれば感染性の液体生命といったところか)と考え「ウイルス」と名づけた。ちなみにwikipediaには"ベイエリンクはウイルスの実体は液体であると主張した"と書かれている(『ウイルス学の歴史』2023年8月)。おそらく彼がウイルスを『contagium vivum fluidum』と表現したことを指していると思われるが、Discoveries in Plant Biology, 1998を読む限りでは彼はウイルスを水溶性の分子と考えていたように思う。

仮説: タバコモザイク病の原因は細菌由来の毒素である

新仮説: タバコモザイク病の原因は感染性をもち増殖する水溶性の分子である

ベイエリンクが評価される理由のひとつには、ウイルスの有無を判定する方法を整理した点にある。当時は感染性病原体の存在を証明するためにコッホの原則が用いられていたわけだが、コッホの原則は病原性細菌の存在を証明するために開発されたものであり、そもそも当時の顕微鏡でみることのできないウイルスはコッホの原則の1番目から証明不可能である。そこでベイエリンクはウイルスの病原性を利用し、分裂中の若い葉だけが感染するという疫学的な知見を元にウイルスの存在を判断できると提案したDiscoveries in Plant Biology, 1998)。

以上がウイルスを病原性で"観る"時代の歴史的経緯である。動物に感染する口蹄疫ウイルスや細菌に感染するバクテリオファージも、タバコモザイクウイルスから数年ほど遅れるものの同様の経緯で発見にいたっている。

病原性の有無でウイルスの存在を判断する方法は、古典的ではあるが現在でも有用な方法である(例えばバクテリアに感染するウイルスを判定するプラークアッセイなど)。一方、長らく病原性の有無でしかウイルスの存在の判定ができなかったために、ウイルス=病原体という誤った"ウイルス観"も根強く残っている。遺伝情報を解析する技術が発展した現代では、ウイルスの大多数は無害(少なくとも病原性が報告されていない)ことがわかりつつあるが、この話題は『遺伝情報を"観る"』で再度取り扱う。

ベイエリンクの画期的な仕事のあと、ウイルスの化学的な構成が徐々に明らかになり、電子顕微鏡の発明によってついにその姿がとらえられることになる。この経緯については次回の第二部『姿を"観る"』でまとめる。

おまけ 大きさの常識を覆した巨大ウイルス

本ノートで紹介した通り、ウイルスは細菌よりも小さい微生物として発見され、長らくウイルスの普遍的性質と考えられてきた。しかし生物学とはとにかく例外が多いもので、ウイルスとて例外ではない。最初に巨大ウイルスとして世界に衝撃を与えたウイルスはミミウイルスである(図4; Scola et al., Science, 2003)。アメーバに寄生する直径750 nmの生命体で当初は細菌だと考えられていたようだが、のちにウイルスだと判明した(名前の由来は細菌を模倣、ミミックしていたため)。その後寄生性細菌であるマイコプラズマよりも数倍大きい、長さ1 µmのパンドラウイルスも発見され、ウイルスの常識が覆された。サイズが大きいだけでなく、ゲノムも複雑で多様な酵素をも有すると考えられているs。巨大ウイルスの進化的起源についてはいまでも議論が交わされているホットトピックである。

図4. ミミウイルス

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