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掌編『失われた三日間』

 取柄のひとつに寝起きの良さがあったのに、その日は朝から怠かった。私はただの風邪だろうと高を括り、起き上がろうと試みる。しかし躰はネジが壊れたゼンマイ人形のように言うことを聞かず、布団の上に倒れ込む。そんな行為を数回繰り返す内に、さすがに我が身を心配し始め、熱を測ってみると38℃を超えていた。室内に流れていたのはバッハのG線上のアリア。楽曲が終盤に差し掛かった頃、これは一大事なのではないかと思い始める。傍らで心配そうに眺める愛犬の海ちゃんは何度も顔を舐めてきた。犬語で会話を試みると「大丈夫? 大丈夫?」とひたすら繰り返してきたので「大丈夫だよ」と返事をしたところ「そんなの嘘だ」と返された。脳内では拷問部屋の吊り天井がケタケタと笑いながら私を見下ろしている。とにかく咳が酷いので、薬の元まで這ってゆき、なんとか口に放り込む。しかし体調は一向に良くならない。まさか、と思った私は抗原検査キットを取り寄せて使ったところ、青い線が二本現れた。それが教えてくれたのは自分が新型コロナに感染しているという事実だった。そこから私は、数日間の自宅療養に入る。
 どんどん酷くなる体調を危うく感じ、私は病院に行くためタクシーに乗り込んだ。数分後、隣町の病院に辿り着き、よろよろとふらつきながらも、なんとか意識を保ち続ける。医師に呼ばれると、採血とレントゲンを撮ることになった。採血時に言われたのは「看護師泣かせの血管」で、要は血管が人一倍細いらしい。次にレントゲンを撮りに行くと「金属のついた衣類や下着を外してください」と言われたので、厚手の服をわざわざ脱いでブラジャーを外すのが面倒だった。足元が覚束ないというのに、拷問のような検査の連続に心が悲鳴をあげる。診察室に戻った時、医師の表情がやけに曇っていたのを見て「もしかして私死ぬのかな」と思った。告げられた病名は「コロナ後遺症による重度の肺炎」だった。もしもこの時の心境を詩にできたなら、リルケやボードレールに勝っていたかもしれない。心の中では「死にたくない、まだ死ねない」と繰り返していた。もう一度体温を測ると39℃近くまで上がっている。その時、或るトラウマがフラッシュバックした。二年前、コロナワクチンのモデルナを打った夜、熱が42℃近くまで上がり、救急車で搬送されて、意識を失い幽体離脱までした苦い記憶である。よって、あれ以来私は恐怖でワクチンを打てなくなっていたのであった。一部始終を医師に伝えると、気の毒そうな顔をされた。問診を終えて、ベンチに座っていると、今度はラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌが流れ始める。楽曲に酔いしれていると、目の前が紙のように白くなってゆき、やがて全てが無色透明になるまでに変化してゆく。死ぬ瞬間ってこんな感じなのかな、などと妄想し始めた私は、必死に首を横に振り、なんとか冷静になろうと頑張った。しかし全てが大地震で崩壊するかのように、粉々に崩れ去り、私の意識は遠のいていった——
 目を覚ますと私は無事に生きていた。安堵して、全てはやはり夢だったのだと溜め息をついた。しかし、そこは自宅ではなく、かと言ってさっきの病院でもない見たこともない部屋のベッドの上だった。白衣を纏った看護師らしき女性がやってきたので詳細を尋ねると、最初の病院で倒れたあと別の大病院に搬送されて、ずっと意識を失っていたらしく、植物人間、或いは死亡する可能性もあったらしい。私は驚愕した。現にあちこちに医療器具が取り付けられていて生存している。スマホの画面を見ると、恐怖と絶望におののいた。最後に見た日づけから三日も経っていたのだ。しかも、その間の記憶は一切ない。一連の出来事をSNSで軽く報告するつもりが、バズってしまい、エゴサをすると、ヤフーニュース、ニコニコ動画に取り上げられているのを他人事のように眺める自分がいた。

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