松本玲佳

作家。小説、詩、エッセイ。文芸叢書CALメンバー。

松本玲佳

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  • エッセイ集

    エッセイです。

  • 小説集

    掌編、短編、長編まで色々取り揃えています。

  • 詩集

    綴ってきた詩をまとめてみました。随時更新。

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書くのではない、書かされるのだ

本日は小説も詩も書けそうにないので思いついたエッセイみたいなものを書いてみたいと思います。 元々芸術に貪欲な私は、読書、芸術鑑賞、そして創作活動を生き甲斐としてきました。「気取ってるな、こいつ」みたいに思う人もいるかもしれません。いえいえ、気取ってるのではないです。命を懸けられる最高のライフワークを楽しんでるだけなのです。これだけは絶対に譲れない。なぜなら私は「自分の魂の喜び方」を知っているからです。 では、ここでいきなり警告を鳴らします。 もし、美しい芸術に感動しなく

    • 短編小説『天使の詩』

       夢のなかで天使に逢ってからというもの、私は少しだけ変わったような気がする。別に聖者になったわけではない。空から降ってくる雨の一粒一粒にあなたを見出せるようになったのだ。あなたの笑顔には一点の曇りもなく、目が合えばこう囁きかけてくる。  いつも傍にいるよ。  あなたが降ると、周りのひとたちは傘を差すか、家に籠もるかのどちらかを選ぶが、私は空に向かって語りかける。時に雨粒に宿るあなたの表情に憂いを見つけると、やり場のない気持ちでいっぱいになる。川沿いの散歩を終えて家路につくと、

      有料
      0〜
      割引あり
      • 掌編『失われた三日間』

         取柄のひとつに寝起きの良さがあったのに、その日は朝から怠かった。私はただの風邪だろうと高を括り、起き上がろうと試みる。しかし躰はネジが壊れたゼンマイ人形のように言うことを聞かず、布団の上に倒れ込む。そんな行為を数回繰り返す内に、さすがに我が身を心配し始め、熱を測ってみると38℃を超えていた。室内に流れていたのはバッハのG線上のアリア。楽曲が終盤に差し掛かった頃、これは一大事なのではないかと思い始める。傍らで心配そうに眺める愛犬の海ちゃんは何度も顔を舐めてきた。犬語で会話を試

        • 掌編『湖畔での奇跡』

           日曜日の朝に立ち寄った湖には大小さまざまな魚がたくさん泳いでいたが、わたしの目には美しく映らなかった。彼らの容姿は些かグロテスクで、じっと睨みつけても臆することなく呑気に遊泳している。しかしよく見るとその中に一際美しい人魚が混ざっていることが分かった。わたしはじぶんに言い聞かせる。これは夢なのだと。或いは、心の病が悪化したことにより、幻覚を見ているのだろうと。人魚は水飛沫を上げて端麗な顔立ちを覗かせる。紅色のロングヘア―に透き通るような真っ白な肌。水底の方へ沈む下半身はもち

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        書くのではない、書かされるのだ

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        • エッセイ集
          12本
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          6本
        • 詩集
          7本

        記事

          狼信仰

           純粋な眼をしていると言われた。心外である。歪な形をした躰を持ち、汚れ汚されながら生きてきたというのに、今更もって純粋とは……。当てはまる節はある。これを純粋と呼ぶかは知らないが、昨日、あるひとの言動に傷付いて、悪夢にうなされ丑三つ時に飛び起きたことだ。就寝前はいつもの睡眠導入剤を服用したはずなのに、二度寝も出来ず、わたしは混沌とした闇夜へ案内された。ただ、わざわざ昨日の出来事、或いは夢の内容を明瞭に思い出しても仕方がない。一度汽車に乗ったら途中下車は赦されないからだ。しかし

          内なる悪魔を追い出すために

          昨日から鬱っぽくなり何か出来ることはないかと考えていたら、ユニセフ協会のホームページに辿り着いた。最初に飛び込んできたのは、悲しそうな子供の顔。どうやらリビア東部全域で、推定30万人近くの子どもが暴風雨による洪水の影響を受けているというのだ。少額だが、さっそく寄付した。そのとき、私の中で不思議な感情が湧き上がった。それまでネガティヴ思考だったのに、心がすっと満たされたのだ。日本ではチャリティ活動がまだまだ根付いていないという。一見治安もよく、比較的裕福で、水や食べ物も美味しい

          内なる悪魔を追い出すために

          掌編『羽のない鳥たち』

           鳥たちに嫉妬しながら、あの日、私は練習場の隅で一人泣いていた。中央で騒ぐ人々を尻目に、しゃがみ込んだまま動かずに。心臓の鼓動が速く大きく波打って自分自身を揺らす中、私は空を見上げて呟いた。「もっとうまく飛びたい」と——  積年の研究開発により、人類は重力に逆らうことに成功した。様々な利便性が向上する一方で、フィギュアスケートのように、選手たちが自ら楽曲をセレクトし、それに合わせて空中を舞い踊るスカイアートが流行りはじめた。スカイアートとは、無重力発生装置が開発されてから、

          掌編『羽のない鳥たち』

          SF作家ではなく、幻想文学作家になりたい

          今の心情はタイトルの通りです。何をもってSFと呼ぶのか、幻想文学と呼ぶのか人それぞれだとは思うけど、私の中でSFと幻想文学は似て非なり、という解釈です。では何故ゲンロンSF創作講座を受講したのか? そう訊かれたら迷わず、過去受講生の河野咲子さん作『水溶性のダンス』を読んだから、と答えるでしょう。『水溶性のダンス』は私にとって多大なる影響をもたらしてくれた秀作で、その幻想的な作風も文体も凄く好みでした。そしてもう一つの理由。私の尊敬する幻想文学作家・山尾悠子さんの『飛ぶ孔雀』が

          SF作家ではなく、幻想文学作家になりたい

          カテゴリーエラーについて考える

          昔から、自分の書きたい小説ジャンルがひとつに定まらない傾向がある。それが功を奏する時もあるのだけど、新人賞に限っては、ある程度絞っていった方がいいかなと最近思うようになった。というのも——世間的に見ても――どんなに素晴らしい作品を応募してもカテゴリーエラーによって受賞を逃すことがかなり多発しているからだ。 引用にあるように、カテゴリーエラー(以下、カテエラ)は存在論的な誤りであって、自分の書きたいものと、レーベル側が求めるものとの不一致を表わすものともいえよう。端的に一致す

          カテゴリーエラーについて考える

          掌編『琥珀色の龍』

          「琥珀色の龍のあざなんて見たことがない」  聖が最初に口にした言葉だった。  娘の由架が悲鳴をあげる度に聖は、ゆらゆらと揺れる暖炉の炎に薪をくべながら、「またか」と溜め息を吐く。もうこれで何度目になるだろう。由架がまだ赤子の頃、妻を病で亡くした聖は、男手ひとつで子育てをする大変さを日々かみしめていた。  四歳となった由架は、いつもひとりで人形遊びをしていたのだが、時々家中に響き渡るほどの大声で「背中痛あい! 背中痛あい!」と泣き喚くのだった。  その度に聖は町外れにある病院に

          掌編『琥珀色の龍』

          呼吸記~洞窟に棲まう背徳の詩人~

          君に、親愛なる君達にはっきりと告げておく 私は雀である、空を飛ぶ雀である 良いことばかりではない 昨日はカラスに虐められ、羽に怪我を負ってしまった 叫ぶ、叫ぶ、何時間も痛みに叫ぶ しかし見上げた空は何故か祝福してくれた 君に、いや空に分かるか? 私の痛みが かぐわしい花たちに己の醜さを、完璧な空に己の不完全さを重ね合わせて泣いた お父さんに向かって泣いた 肉のお父さんではなく霊のお父さんである 私は雀ながらに必要以上の喜怒哀楽をふせもつ こんな腹正しい思いや悲しい想いを君は汲

          呼吸記~洞窟に棲まう背徳の詩人~

          小説愛

          暑い中、小説を書いている。途中で行き詰まってしまう時は、詩やエッセイを避難所とする。表現さえしていれば、私は私でいられるし、更にインプットとアウトプットのバランスを上手く取っていれば、この炎天下さえも乗り越えられるのだ。別段、書くことではないかもしれないが、TwitterをはじめとするSNSで振る舞う私は氷山の一角に過ぎない。様々な媒体に文字を書くことで本当の自分を探しているのかもしれない。 私が初めて物語を書くようになったのは小学校低学年の頃。読書もさることながら、書くこ

          ただ、生きる

          両親が遊びに来た。語り合ったのは愛犬アトムについて。その場にいた誰もが特定の宗教団体に属してはいるわけではないのだが、仏教やキリスト教の話もした。仏教では輪廻転生——人間ふくめあらゆる生き物の魂は生まれ変わる——があるからこそ心の灯(ある種の希望)が消えないのだが、キリスト教では人間以外の生き物は魂を持たないと説くので、正直、悲しい気分になってしまう云々。私は輪廻転生を信じている。亡くなってもいつかどこかでまた逢えると思っていると気持ちも楽になるというのもある。人間は不思議な

          ただ、生きる

          掌編『積み木の夏』

           あの夏、私たちは祖母の家に集まっていた。たまにしか逢えない従兄弟たちを含めた顔ぶれは今でも懐かしい。  みんなが仏壇のある部屋で佇む中、最初に積み木遊びをしようと言い出したのは姉だったと思う。 「積み木崩したひとが負けだからね」  積み木遊び。それは毎年恒例のイベントだったのだが、あの夏の私には何だかそれが残酷なゲームに思えたのである。必死に積み上げてゆくのはまるで気難しい"内なる自我"のようで……。でも、そこまではいい。それをみんなで共有する中、崩れるとしたら一体何が崩れ

          掌編『積み木の夏』

          掌編『色彩圧力』

           生い茂った草原のなかでの出来事だった。軽く散歩するつもりが、緑、青、赤、紫などの花々が花粉症を悪化させてきたのだ。大きなくしゃみを繰り返しながら涙を拭いていると、Tが隣から茶化してくる。哀しそうに見つめるとTは「ごめん」と言ってすごすごと遠ざかっていった。本当は傍にいて欲しかったのに……  身体に突き刺さる青い空気。曇り空であるが故に影を写さない緑の地。突如、頭上に気配を感じて、ふと空を見上げると色鮮やかな小鳥たちがくるくると弧を描くように飛んでいる。こんなにもわたしは色彩

          掌編『色彩圧力』

          命のことば

          川で身を洗っていると、どこからともなく蜻蛉が現れ、近くの小枝に止まった。なぜかわたしは心を見透かされているような気がして、無になるよう試みた。すると蜻蛉は、何かを諦めたかのように体の向きを変え、壮大な青空に向かって飛んでいった。無言のまま、さよならなんて言わずに。どうしてだろう。生きとし生ける者すべてに共通言語があればいいのに。そんな想いが湧いてきたが、本当はただ、わたしが命の言葉を知らないだけなんじゃないかとも想った。秋だって急いで衣替えを始めている。そう考えるとすっと気が

          命のことば