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本原令子「浜松市天竜区龍山町まとめ」

台所が好きだ。
いろんな国へ行ったけれど、
覚えているのは人んちの台所でご飯を作りながら、食べながら話したこと。
観光もしない。 
近所のグロッサリーやスーパーへぷらぷら歩きながら、そこに住んでるみたいに過ごすのがいい。
どの国でもハウス(家)にはたいてい台所が一つあって、
そこに食材を持ち込んで作って食べると
街がホームになる。
(「Kitchen Stories」より)

10月19日~25日まで1週間、浜松市天竜区龍山町に滞在した。静岡アーツカウンシルのマイクロアートワーケーションの旅人として、ホストの龍山未来創造プロジェクトのメンバーに案内してもらいながら、過ごした。

私は昨年(2021)名古屋市にある港まちづくり協議会(以下、まち協)と、港まちに住む人たちの台所へ出かけて行って、そのウチの定番料理をを一緒に作ったり食べたりしながらの会話を記録するアクションリサーチプロジェクト「Kitchen Stories」を行った。このとき訪ねた台所の主は、まち協スタッフが長い時間をかけて良い関係を作ってきた街の人たちだったが、おしゃべりしていくうちに彼らも知らなかった個人的な話が飛び出した。これがよそものである私の「まれびと力」なのか、もう少し検証したくて、このワーケーションに応募した。

舞台は、海から山へ。

龍山未来創造プロジェクトのメンバーに、見ず知らずの私を台所へ招いてくれる人をリクエストした。

①龍山生まれ、龍山育ちの方(80歳前後の方)
②龍山生まれ、龍山育ちの方(若い方)
③龍山に移住された方
④龍山に住む外国人の方

人口504人、平均年齢69.2歳の龍山に外国人は住んでいなくて(別荘を持ってる方が一人いるらしい。)若い人はとても少ない。長谷山くんが龍山生まれ龍山育ちの洋子さん(81) 、房子さん(80)と18年前に龍山へ嫁に来たゆみこさん(65)、龍山へ就職とともに移住してきたIくん(24歳) と3組を探してくれた。

まとめでは、毎日の日記に書かなかったことを話そう。3組の方と一緒にご飯を食べていく中、わたしがよそ者力を発揮できたかどうかはわからない。一人一回きりの人生で、誰一人として同じでないのは、ここも同じだ。龍山では、モノ・知恵・人の力・情報、なんでもシェアするのが当たり前!それがいちばん印象的だった。

最初に訪ねた洋子さん宅へ行く前に、龍山で有名なぶか凧を揚げる場所に住むチヅコさんを訪ねた。畑仕事をしていたチヅコさんが肩からかけていたビニールテープで編んだ籠の中には、フマキラー、ハサミ、手鋸(太い枝を切る用)、鉄の棒が入っていた。棒はよく工事現場で見る綱棒で、お友達が根の張った草をとるのに便利だからと作ってくれたそう。持つところは曲げてあり、手を痛めないように赤いテープを巻いてある。あるもので工夫しているのも、これいいよって知恵と道具を他の人にあげるのも良い。「その時、身の回りにあったものを使えば生きて、プラでもなんでもありがたい。」と言う友達の顔が浮かんだ。田舎暮らしに憧れて、やたらと自然素材にこだわって暮らすのは不自然。ありゃ、豊かさを知った上での削ぎ落としだ。今、足下に在るものをありがたく使う。よし、これを『在るモノ派』と呼ぼう。

ちづこさんの畑道具

このあと、茶畑から手を振っていたねぇぼさんのお宅を訪ねた。天竜川をはさんで対岸の山を眺めながら、奥さんがへちまのように長いカボチャが甘くて美味しいと自慢げに言った。

洋子さんちに到着し、自宅まで細い石積みの階段を登ると、いろんな花が咲いていた。「これは、いわぶきの花。おじいさんが伊豆の方から持ってきた。」
ねぇぼさんのところで見た細長いカボチャが蒸して食卓に並んだ。
「これが甘くて美味しいから、ねぇぼに種をあげただよ。」
あぁ、さっきねぇぼさんの奥さんが自慢してたヤツだ。
赤目の里芋を掘りに畑へ出ると、洋子さんが「あっ!種、こぼしちゃった、、、」と困り顔で、地面を眺める。それは百合の花の種で、どんどん増えてしまって困っているらしい。
「これね、夏に何もないときに食べれるからいいよ。磐田の方の人にもらったの。」と種がたくさん付いた草を手でちぎって渡された。

夜、宿にもどると、ちづこさんの畑から里芋の親芋と小芋がたくさん届いてた。伝言で「あまり、いいのじゃなくてごめんね。種芋にするなら洋子さんちのがいいよ。」と届けてくれた千陽さんから聞いた。

種、種、種。

龍山で会った女性達の肌がツルツルなの。洋子さんは、柚子と焼酎で自分で化粧水を作っているらしい。1日目に会った最年長のマキちゃんに「肌綺麗ですねぇ。」と言うと、「この先の床屋で売ってるアロエクリーム。あれ1本よ!」というので、訪ねてみた。なんとも素敵な昭和のつくりの床屋さん。帰り際、入り口に紫色の実をつけた植物の鉢植えが目に入った。
「これ、変わってますねぇ。」
「種がいーっぱい落ちてね。葉っぱも綺麗でしょう?」
赤く熟した方の実を2ついただくと、店の奥から小さな蕾をつけた苗を袋に入れて持たせてくれた。

トップ画像の植物を分けてくれた床屋さん

1日目にサロンで会った大野さんが「うちからの景色が一番だ。」と言うので5日目の夕方に訪ねた。大野さんにはアンタ、誰?顔で迎えられたが、奥さんの今子さんは覚えていてくれた。玄関先で自慢の景色を眺めてお茶をいただいた。心地いい、今も思い出すあの時間。帰り際、今子さんが「アンタのお母さん、家に引き籠っちゃってるんでしょ?これ、あげて!ここへ連れてくれば、良いよ。」と自家製の辛味噌と紫蘇の実の塩漬けを台所から持ってきた。なんで知ってるの??そういえば、一昨年父が亡くなって、人生初の一人暮らしを始めた母は緑内障と白内障の手術を前に不安なせいか、こじれてるってことを洋子さんに話したんだっけ。情報、早っ!そして、わたしの母の心配までしてお裾分けをくれる今子さん、ありがとう。

在るモノはみんなで分ける、在るモノ派。

みんな等しく貧しかったから、猪や鹿を射止めれば、冷蔵庫もないからみんなで分け合ってたと話した方がいた。松村圭一郎さんの著書の中で知った「邪視」と言う言葉をふと思った。自分だけが富を得ると、「うらやましいなぁ。」「いいなぁ。」と言うネガティブな眼差しを受ける。それは自分にとって良くない作用が起きるから、富を分配し、みんなに与えることで回避するみたいな話だったと思う。(わたし流・理解)

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龍山での滞在を終えて2週間。
ちづこさんからいただいた親芋で、のぞみさんに教わった「枝豆と里芋のポテトサラダ」を2回作った。房子さんの細くて綺麗なナスは味噌汁にして食べた。床屋さんの不思議植物は鉢に植わっていて、私は毎朝、今子さん特製紫蘇の実塩漬けをご飯にかけて食べている。12月になったら、今子さんのところで、友人と一緒に蒟蒻づくりをさせてもらう。出来立ての蒟蒻をたべるの、楽しみだなぁ。

あぁ、そうだ。秋葉ダムで作られた電気がわたしの住む静岡市清水区まで来ていると言うのも、ときどき思う。

土地はいつもずっとそこに在って、その上で暮らす人が入れ替わっていく。わたしが出会った人たちは何を遺していくんだろう?

昨日、スニーカーを履いたら、ビーちゃんの散歩にお供した時にくっついたひっつき虫の種が3本付いていた。

【さいごに】
2011年、オランダのアーティストインレジデンスに滞在制作をしたとき、私は3ヶ月のあいだに何かを成し遂げなければ!と必死だった。向かいのスタジオを使っていたナタリーが「レイコ、たった3ヶ月で何かできると思ってるの?ここで種を拾って、自分のスタジオに持って帰るんだよ。」と言ったことを思い出す。
1週間のマイクロワーケーション、作曲家の鈴木のぞみさん宅に宿泊し、おなじく音楽家の鈴木雄大さんと一緒に過ごせたのは大きかった。音楽って一瞬にして人の気持ちを動かすことができていいなぁ。時期がずれてお会いできなかったさとうなつみさんも一緒ならよかったのに、と何度も話した。同じ景色を見ていても、それぞれが感じることはちがう。このワーケーションでは違うフィールドの作家との出会いも、素敵なことだ。
龍山未来創造プロジェクトの長谷山大騎さん、鈴木のぞみさん、鈴木千陽さん、私を台所に招いてくださった皆さん、たくさんの種をありがとうございました。

百合の花の種を落としてしまった、洋子さんの畑