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清水玲「子どものまなざし」(4日目)

午前中に子どもたちと合流し、午後から稲取ふれあいの森へ。家庭の都合もあり、今日から子どもたちもワーケーションに合流。駐車場から200メートルほど樹々に囲まれた遊歩道を登ると一気に視界がひらけ、その先に展望テラスがある。そこからは稲取の街並みと海岸線、水平線には大島や利島、新島、式根島、神津島などの伊豆諸島を一望することができる。 

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「今晩泊まるお部屋はあの街にあるんだよ。」と子どもたちに伝えると、4歳の息子は「いなとり?」と聞き返し、6歳の娘は「お船が見えるね。」と言いながら街の様子を眺めている。 

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展望テラスから少し歩くと、斜面に沿って設えられた長い長いすべり台があり、遊具のある広場につながっている。長いすべり台に大喜びする子どもたちと、降り口から滑り口までの斜面の往復に気が滅入る親子のコントラスト。大きなすべり台あるある。 

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子どもたちと生活するようになって、公園の存在を強く意識するようになった。公園の広さや遊具の有無と種類、トイレの清潔さ、混み具合、自宅からの距離など、公園データベースなるものが頭の中に形成されてゆく。 

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思う存分しっかり体を動かす時間を楽しみ、夕方に錆御納戸へ。普段から旅行に出かけることが多く、その機会を利用して子どもたちにできるだけ様々なタイプの宿泊施設、宿泊可能な空間を体験させようとしてきたが、港町の路地裏に佇む一軒家を改修した部屋ははじめて。子どもたちは、部屋の空間的特徴(大きなテーブル、長い造り付けのソファー、2階の部屋に続く階段など、改修設計する際に熟考したであろう痕跡)に直ぐ気づき、反応する。意匠として表しになっている筋かいは秒で遊具になる。

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本能的に自分の居場所と使い方を見つけだす。このような子どもたちの反応から、空間と行為の関係性を再認識させられる。そして、空間の豊かな使い方を発見していく子どもたちの想像力に寄り添いたいという気持ちと、それとは対照的に机の上には登らないで、といった躾的な視点との狭間で気持ちが揺さぶられる。

これまで展示やレジデンスのために国内外様々な場所に赴くことがあったが、家族との生活から離れての現地生活が常であった。むしろそれが当たり前のことかもしれないけれど、それが長期となれば、その間ワンオペを強いられるパートナーの負担が増え、少しずついろいろなところで支障を来すようになる。ひとり離れて仕事をする機会の度に、心のどこかで誰かの負担のもとで成り立つ遠方滞在ではないあり方を実践できないものかと思っていた。そしてそれは、作家本人とその家族の連携と対策だけでは解決できるものではなく、作家を受け入れる体制や地域のあり方に大きく依存している問題でもあると感じていた。

今回のマイクロアートワーケーションは、家族も含めた現地滞在のあり方について考えるいい機会になるのではないかと思っている。未就学の子どもたちの介入によって、現地滞在・現地制作のあり方だけでなく滞在する街の特徴や構造的な部分でも、見えなかったことがいろいろと見えてくることに期待している。そんなわけで今日を含めた残りの日々は、最初の3日間とは少し違ったまなざしで稲取の街と向き合っていければと思う。

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