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荻野NAO之 【伊東市 MAW統括レポート】 及び 2022年伊豆半島創世記(PDF)

総括レポート 荻野NAO之
種類 写真家 / 滞在地 静岡県伊東市 / 滞在期間 2022 3/10〜3/16 6泊7日 (17日〜18日は私費で延泊)

数秘術というものがあるらしい。もともと詳しいわけでもなんでもなく、ふとこの統括レポートを書こうとして、3という数字の意味ってどんなかなとネットで検索したら出てきたのである。

数秘術という単語の音ぐらいは耳にしていたが、内容はよく知らなかったし、今も知らない。が、とにかく3の意味的なものがここでは「拡大」とか「クリエーティブ」とか「成長」とかを表すと書かれている。三位一体の3でもある。

過去にも、海外のレジデンスプログラムなどに参加したことがあるが、

【ゲニウス・ロキ的な場の存在】

【ホストの存在】

【一緒にいるアーティストの存在】

この3つがどう化学反応を起こすかがレジデンスプログラムの醍醐味だと感じている。

今回は、私にとってこの化学反応が、ものの見事に開花し、この数秘術が言っている感覚が多いに溢れ出したと感じられるレジデンスプログラムとなった。

伊豆半島が、世界でも多くはない3つのプレートが重なり合う現場であったことも、少なくとも私の意識の中においては大きな影響を持っていたように思われる。


【ゲニウス・ロキ的な場の存在】については、2022年伊豆半島創世記というタイトルで妄想と現実の混ざったようなテキストにしたので、土地についてはこれ以上書かないが、土地以外の人や文化についてはここで改めて少し触れておきたい。

この伊東市は、伊東市の文化は、伊東市の人々は、私にとっては、一言でいうと「とても素敵なセンスの良さが滲み出ている」ということになる。かつて訪れたどの温泉地よりも、こぎれいで、爽やかで、上品で、そういう美しさが静かに静かに漂っている。もちろん別荘地のエリアには、バブルの残り香としての強烈な美術館の廃墟などもあるのだが、それでも打ち消されないだけのセンスの良さが伊東市全体の空気を包んでいる。

これは、ひょっとしたら伊東市中のいたるところに点在している今も現役の彫刻家重岡建治さんの作品の気配と、それらの作品をもう80歳を越えていらっしゃるのに、御自ら娘さんと共に掃除し、磨いていらっしゃるという、そのお人柄と姿勢が街全体に伝播しているからなのかもしれない。重岡さんのアトリエを訪問させていただいて、感じたことである。重岡さんは伊東市の方々からの援助で、ローマの国立アカデミア美術学校へ留学し、エミリオ・グレコへ師事し研鑽を積んで伊東市に戻ってこられた。伊東市が生んだアーティストが伊東市を美しくしている。そういう意味では、アートの力が、アーティストの心が息づいているところであるとも言えるかもしれないが、残念なことがあるとすれば現在伊東市在住の若手アーティストが少ないと町では認識されているようである。その意味でも、今後もこうしたレジデンスプログラムなどでアーティストの関連人口が増えていったら素晴らしいだろうと感じている。

ついついアーティストに話が偏ってしまうが、ぐり茶の市川製茶の市川正樹さんとのお茶の一時からも伊東市の上品さが存分に感じられ、昔からの地元の人々の気配が感じられ、私の伊東市への印象の大きな比重を占めている。

そして、私は生まれて初めて市会議員の方々と接し、市を案内いただき、市についての印象や課題などを議論する機会をいただいたのも、大きな経験であった。杉本一彦市議には、初日の出迎えからしていただき、山焼きのポイントの案内などまで何度もご足労をいただき、彫刻家の重岡健治さんのご親戚でもある重岡秀子市議にも、伊東市についての色々と認識を共有させていただく対話の機会をいただいた。普段私には縁遠い政治家の方々との交流も新たな視点でものを見るきっかけとして得難い機会をいただき、感謝申し上げたい。


【ホストの存在】は今回は特に素晴らしいもので、想像だにしなかった歓待をいただいた。そしてどこか懐かしい空気が私個人としてはしている。私は父親の仕事の関係で3度にわたり合計10年メキシコ合衆国で暮らしたことがある。そこではもちろん現地の人々とも多く接したが、日本人コミュニティーも濃密だった。まずは何十年も前に両親や祖父母の代が移民としてやってきて暮らしている日系人二世、三世の方々がおり、自分たちで移住してきた日系一世の方々がおり、国際結婚でやってきた日本人がおり、私の家族のように数年の予定でやってきた日本人もいた。この在外邦人関係者たちが、新たにやってきた日本人たちに対して、本当にきめ細やかにサポートをする文化があったのだが、その暖かさが今回のホストである「いとう すもう PT」の方々、山本夫妻や菊田夫妻はじめプロジェクトチームの方々には共通して感じられ、マイクロな移住でもない滞在が大変に生きたものになった。心から感謝申し上げたい。

「ホスト」といえば、「このホストのホスト」ともいうべき、「アーツカウンシルしずおか」が創り出したマイクロ・アート・ワーケーションの建て付けが、私にとってはとても参加しやすいもので、ありがたいものだった。おそらくそれは私だけでは無く、他の参加アーティスト達も同じだろうと思う。それがある意味証明されているのがこのnoteのボリュームだろう。

もしあらかじめ「作品をちゃんと創りなさい」とか「面倒な書類仕事や報告書の書類をたくさん出しなさい」などといわれていたら、アーティストはすぐ嫌気がさして、言われたこと以上のことはやらなかっただろうと思うのだが、「noteは、日々一度は更新してほしいが、写真一枚だけでも良い」と言われると、なぜかアーティストは頼まれてもいないのに、せってとせっせとnote記事を書き出してしまう。私などは「あれ、写真一枚でも良いんじゃなかったっけ?」とはじめは怖気付いたものの、気がつけば何やら分からない妄想の創成期などを勝手に書き出していた。

「アーツカウンシルしずおか」、「いとう すも PT」、の他にも、「りんがふらんか城ヶ崎文化資料館」、「TOMODACHI GAREDEN」、「VISIONARY INSTITUTE」などが複合的にホスト役を担ってくださり、我々アーティストの滞在を支えてくださった。大変に感謝申し上げたい。


最後に、【一緒にいるアーティストの存在】については、ごちゃごちゃ書くよりもシンプルに得た影響の現れを記すことで十分だと思われる。

設楽陸さんの「妄想」というキーワードが、私に2022年伊豆半島創成期という妄想テキストを書かせ、原口みなみさんの「切り絵と絵画の融合」というキーワードが、私の過去の経験と、伊東市滞在中の経験と、知識と妄想とを融合させ、2022年伊豆半島創成期という実験テキストに向かわせた。これだけでも十分な化学反応である。

しかし、これだけではない。仮想現実空間でも絵を描いている設楽陸さんの影響で、私と原口さんはすでにOculus quest2をそれぞれ昨日までに購入し終えていて、明日の夜、バーチャルチャットで再開することになっている。オンライン空間でスタジオを共有する日も近いかもしれない。


追伸:

今回のプログラムで改めて、3者の間での、レジデンスプログラムやアートフェスティバルの力、化学反応の可能性を感じた。重岡市議との話を経て、「いとう すもうPT」の方々から、今後の伊東市とアートの関わり方についてブレスト的なミーティングをしたいと、延泊した日の午後に企画会議のようなミーティングにお声がけをいただいた。

いろいろとレジデンスプログラムを通じて感じたこと、可能性について、アート・プロジェクト妄想案を作ってみた。非常にお節介なことと思いつつ、ホストの方々にいただいたもの、この地にいただいたもの、一緒にいたアーティストたちにいただいたものが、頭の中で妄想案となって膨らんでしまったので、ミーティングのレジュメのようなつもりで置かせてもらってきた。

立つ鳥跡を濁さずというが、どうも私はそれが苦手なようである・・・




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