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愛のしるし

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たくさんの「スキ」をもらった文章。下のほうにも良いやつがたくさんあります。
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2021年6月の記事一覧

たったひとこと、miwaの“声”

 1年ほど前、数ヶ月だけ働いていた当時の職場で初めて「VIPのお客様」というのを経験した。  その日の朝はみんなが少しソワソワしていたように思う。当然わたしもそうだった。今日来店する顧客の一覧とタイムテーブルの表を見る。他の欄には「タケウチ様」などと名前が書かれているのに、VIPのところは「VIP様」としか書かれていない。  新人のわたしはもちろん、職場で1番下っ端だった。そもそも正社員が顧客の接待や打ち合わせ、アルバイトはその下準備という構図で成り立つ仕事であったがゆえに

それでも「書くのが好きだから」と胸を張る

 落ち着かない。すっかり慣れ親しんだいつもの椅子に座りながらも、妙にそわそわ落ち着かない。最近のわたしは常に何かしら文字の並びを書いていないとダメみたいだ。  パソコンの画面を2つのウィンドウで半分に区切り、左半分でドラマを観ながら右半分で文字を打つ。  とはいえ書いているのはオンライン授業の感想文や、ちょっとした情報収集の記録など、さして頭を使うようなものではない。ただ手ぶらでぼーっとドラマを観ているだけの状況が先述の通り落ち着かなくて、無理やりにでも書いている。  そ

結局モノトーンが1番落ち着く

 今この瞬間、ぱっと視界に入る色。  まっさらに白いnoteの紙と、キーボードがカタカタ綴る文字の黒。Apple純正よくあるイヤホン。白い大理石柄のスマホケースに、黒い花々がプリントされたクリアボトル。  わたしの周りは家具も小物も、ほとんどのものが白と黒とで構成される。ロックに惚れ込み、ライダースとスキニーパンツがかっこ良いなと思い始めた高校2年。そのあたりから、何でもかんでもモノトーンで揃えるようになっていた。  結局モノトーンを着ているときが1番落ち着く。  白

エモ短歌 読んでるうちに 心越え

涙出てくる、ぼやけてくるの  即席ではそんな歌しか読めっこのないわたしである。  これを書いてからほんの数十分後くらいに「うたらば」という場所を見つけた。短歌×写真の作品たちを掲載しているフリーペーパー。毎月単語ひとつのお題をさだめて歌を募集しているそうだった。  サイトにはWEB版で読めるバックナンバーが何冊かある。今も公開されているのは「祝う」「駅」「青春」などなど。佳作の中にも思わず天を仰いでしまう31字がひそんでいたりで、冒頭の通りなぜだか次第に泣けてきた。

心臓ちょっと、どきどきしてる、お酒のせい

 初めて呑んだアルコールの味を、その後しばらく心が美化し続けていた。  どこにでもあるような安い居酒屋で出された、至って普通のカルーアミルク。ごろんと大きな氷を1つだけ浮かべたパステルブラウンはお酒らしくない、ほんのり甘くて上品な匂いを漂わせていた。  ドキドキしながら呑んでみると、淡くて心地良いカフェオレの奥にきゅんと感じる微酔の火種。するすると喉に癒えていくその感覚を、何とか舌で絡めとる。  ハタチを迎えた誕生日の夜。帰り道の夏風は妙に涼しく思えたが、まだ「酔う」とい

「縦書きの国」に梅雨が降る

「少しも雨に 濡れたくない」 贅沢を言う 女子高生。 空の機嫌が かたむいて 天気が坂を 転がり落ちて いきそうな朝、 わたしは母に 運賃をもらい 家を出る。 自転車の カギの代わりに 傘を持ち、 皆が過ぎゆく バス停で 右の遠くを 眺め待つ。 だけどあの日は 家を出るのが 遅くなり、 曇天の下 ペダルを漕いだ。 下校の頃は 雨降りで 仕方がなしに 打たれて帰る。 冷えゆく肌が シャツと抱きあい 透かしあう。 はねるクセ毛は 風に舞う。 あれほど 濡れたくなかっ

Go to Alone, Sing Alone

 もう随分と長いこと、カラオケに行っていない。  カラオケの楽しみ方は人それぞれだと思うが、わたしはとにかく「歌唱」のためだけに行きたい人間だ。  だいたい1人か、多くて3人くらいで入り、10分前のコールが鳴るまでノンストップで歌い続ける。飲み会の後に大人数でぞろぞろ行って、最初の1曲が始まるまでに何十分もかかるカラオケは好きじゃない。 「Go to ナンチャラ」みたいな制度をやるんだったら、ぜひとも「Go to Alone」だって欲しかった。そうしたら1人カラオケだって

忘れられた言葉はいずれ死んでしまう

 たとえそれが大きなことでも小さなことでも構わない。己の心を信用し、自分が大切だと思うことをやりなさい。  最近読んだ短編の中にそんな内容の台詞があった。少し言い方を変えれば「自分にできると思ったことを真心込めてやりなさい」という意味にも繋がっている。  自分にできることを探すとき、わたしはいつも「自分にできないこと」から逆に考えた。少し後ろ向きな方法ではあると思う。  例として真っ先に思いつくのは社交的な人付き合い。決して愛想や人当たりが悪いわけではないのだけれど、わた

最後のたまごまる杯 銀賞受賞

 このたび、たまごまるさん主催のnoteコンテスト「最後のたまごまる杯」にて銀賞を受賞いたしました。賞をくださったのはゼロの紙さんという何やらすごいお方です。  お2人とはこのコンテスト以前に何も面識がなかったのですが、それでもひと月ほど前の記事まで遡って読んでいただけたことがとても心に残っています。  1次選考、2次選考まで残してくださったたまごまるさん、そして最終選考にて銀賞7作に選んでいただいたゼロの紙さん、本当にありがとうございました。  今回の賞をいただいたのは「

WEBライティングの「書く」を学んで思うこと

 わたしにとっての文章は自己表現の手段であった。自分の中の深いところを可視化する。noteというプラットフォームで何かを綴り続ける時点で、そういう人間なんだといえるのかもしれない。  だけどWEBライティングで求められる「文章」は、どう考えてもそれとは全く別物だ。「こういう記事を書いてください」という依頼は「これについてあなたの考えを書いてください」なんて言葉を意味しない。  WEBライティングはネットでググって出てくるような記事を執筆する仕事。1つの事柄に関する情報をまと

大門未知子の楽しみ方が少し変わった

 初めて観たのは中学生の頃だったんじゃないかと思う。母がテレビで観てるのをたまーに一緒になって観ていた。  あのときは「私、失敗しないので」や「致しません」が痛快でカッコ良かったり、定番のメロンと恒例の請求書のくだりが分かっていても面白かったり、まあ如何にも中学生らしい楽しみ方をしていた気がする。  最近になってAmazon Primeでまた久しぶりに大門未知子を観始めたのは正直妥協の結果であった。  ワンピースのアニメ2周目を観終わって次は何にしようと考えたとき、本当なら

評価を気にして書くのはよして

 noteの公式から通知が届く。 おめでとうございます! あなたの記事が合計1000回スキされました!  まず「え、もう?」というのが正直な気持ちだった。  わたしがここで書き始めたのは今年の3月1日のこと。毎日何かしら書き続けて、今日でようやく119記事目にいたる。  単純に考えて1記事8~9スキくらいが平均だけど、感覚として相違はない。まあそれを超えたら相対的に多いかな、の感じである。わたしのマガジン『愛のしるし』もスキの数が10以上になった記事だけ入れている。

たまには手書きで

 通りすがりで見つけたyuriさんという方の企画「#たまには手書きでnote」にときめき、気分に任せて書きました。  手書きといえばお手紙だなあ、と思ったので「最近会っていない友だちみんな」をぼんやりとした宛て先に、貴族の和歌の送りあいみたいなロマンチックさも。本気でシャーペン握るのなんて幾日ぶりのことかしら。  いつもnoteでこんな感じの言葉は書き慣れているはずなのに、タイピングでなく手書きにすると何かめちゃくちゃ恥ずかしいです。本当に。  だけどそれも「自分を身近

幸せをのせてアゲハ蝶

 襟足を刺す白日が少し痛いと思うのは妙に懐かしいことだった。こんな辺鄙な住宅街にも平等に夏はやってくる。  歩道の脇に植えられている低木の葉はあまりに普通で疾うに見慣れた。だからたった今この瞬間、この樹の隣であなたに出会うことがなければ、わざわざ名前を知りたいなんてきっと思わなかったろう。  花の香りもつぼみのひとつもない場所を、陽射しと緑の合間を縫ってひとひらの蝶が飛んでいた。久しぶりに見るアゲハ蝶。  わたしは思わず立ち止まる。後ろを歩く知らない誰かに追い越されたけど