見出し画像

【短編小説】ネコとキーコの青い空(最終回)

読み進めてくださってありがとうございます!
最終回、どうぞ最後までお読みください!


ずっとそばにいてあげるから

 その夜、ふたりはまた同じ家のコンテナで一晩過ごすことにした。夜明け前、ネコはぐっすり眠っているキーコを残して、そっと出かけていった。
空気が湿っている。雨になるのかもしれない。ネコはこの辺りの猫たちが集まる公園へ急いだ。もう家に戻るだけなので、今さら集会に顔を出すこともないのだが、ここで一番のボスである昔馴染みの猫に、久しぶりに会っておこうと思ったのだ。堂々とした風貌の、ネコも認める立派な猫だった。

「あいつもかなりいい年だろう。元気でいるのだろうか」

 明け方の青くひっそりとした公園に、ちらほらと猫たちの姿が見えはじめる。ネコは端のほうに座り、ボス猫を探していた。

「どうしたのだろう。もう来てもいい頃だろうに」

 ネコは妙な胸騒ぎを感じていた。少しして、顔見知りの飼い猫があらわれた。飼い猫はネコの姿を見つけると、そろりと近づいてきて、耳元でささやいた。

「お久し振りです。お元気そうで」

「そんなことより、マダラのじいさんはどうしたのだ」

 すると、飼い猫は一段声を低くした。

「やられたんです。2日前でした」

「なんだと? いったい誰に!」

「隣町から来た白猫です。どうやらここに居座る気なのでしょう。恐ろしく乱暴なやつですよ」

 ネコの目が鋭く光った。

(あいつだ! このあいだパン屋の角にいたあいつに違いない。まだこの町にいたのだ)

 ネコはしっぽをパタパタと地面に打ちつけた。

「どこにいる?」

 飼い猫は耳を後ろに伏せて、辺りをちらりと見回すと、ホッとしたように舌で鼻先をなめた。

「今日は来ていないようですね。どうしたのでしょう」

ネコはハッと顔を上げた。

(キーコ! まさか!)

 その瞬間、ネコは走り出していた。胸が裂けるような不吉な予感に襲われて、ネコは必死にアスファルトを蹴った。落ち葉が風に吹き上げられて、道路を滑るように飛んでいく。灰色の雲が空を覆い、町は重く沈んでいた。

 ネコは裏庭に駆け込んだ。コンテナがひっくり返り、土の上に白いキーコの片腕がちぎれて落ちていた。ネコは素早くあたりを見回した。垣根の根元に何かを引きずったような跡があり、隣の家まで続いてる。ネコは垣根をくぐりぬけ、隣の家の庭に忍び込んだ。用心深くあたりをうかがい、ガレージの車の横から植込みの向こうをのぞいた時、ネコの全身の毛が逆立った。
芝生の上にあの白猫がいて、太い前足の下に、土まみれになったキーコが転がっていた。
キーコの顔は空を向き、目はうつろで、眉毛も耳も、まるで死んだように動かない。

「キーコ!」

 すると、キーコは微かに首を曲げ、ネコのほうを向いた。ビー玉の目に光が戻る。キーコはネコの足から逃れようと、もがき始めた。それを見て、ネコはいくらかほっとした。
 白猫は突然動き始めた足元の人形を、面白そうに見下ろして言った。

「へえー。このおかしな物は生きているのかい。おまけにキミの知り合いか。偶然とはなかなか楽しいものじゃないか」

「そいつを離してやれ」

 ネコは低くうなった。白猫はキーコを足の裏でいたぶりながら、にやりと笑う。

「ああ、それは無理だ。こんなに愉快なおもちゃを独り占めしようって言うのかい? こいつはとっくにおれのものだ。返してほしけりゃ取ってみなよ」

 キーコは芝生に顔を押しつけられて、苦しそうに手足を動かしている。ネコはその胴体に片腕が無いのを見た。
コンテナの横に落ちていた腕。
カケルにつけてもらった大切な腕を、こいつが引きちぎったのだ。
 体の底から憎しみが湧きあがり、ネコは我を忘れ、鋭い歯をむき出して白猫に飛びかった。あっという間にふたりは組みついてマリになった。恐ろしい唸り声があたりに響く。そこらじゅうに毛の塊が飛び散って、あっちの岩、こっちの植木にぶちあたりながら、毛むくじゃらのマリはそれでも離れようとしない。
 キーコは庭の隅に這っていき、祈るようにネコを見守っていたが、「あっ」と声を上げた瞬間、ふたりは派手な水しぶきをあげて、庭の真ん中にある小さな池に落ちた。
 ネコと白猫は別々に這い上がり、水を滴らせながら池の両側でにらみ合った。白猫はネコの激しい攻撃を受け、立っているのもやっとという様子だ。一瞬のすきをついて池から飛びのくと、植込みの中に消えて行った。

「大丈夫? ごめんよ。ぼくのためにこんなことになって」

 キーコが今にも泣きそうな顔で走り寄ってきた。
 2階の雨戸がガタリと開いて、寝ぼけ眼のこの家の住人が顔を出した。ネコはキーコを連れてそっと垣根をくぐった。

「ケガをしてるじゃないか」

 キーコが心配そうに、肩に受けた傷口をのぞきこんだ。流れる血が体を伝い、ネコの白い足先を赤く染めている。

「ごめんよ。ぼくは無敵のソルジャーだったのに」 

「まったくだ。とんだ弱虫ソルジャーだな」

 ネコはフッと笑った。キーコを取り戻せたことで安心したせいか、頭が少しフラフラする。

「このくらい、なんということはない。慣れているからな」

 ネコは体をひねりいくつかの傷口をなめた。裂けているのは一箇所ではない。ネコもまた、かなり深い傷を負っていた。おまけに池に落ちてずぶ濡れだったので、冷たい風に体が冷え切っていたのだった。
 コンテナの置いてある家の裏庭で、ネコは少しの間横になった。ネコは、キーコのちぎれた腕のつけ根を見て胸が痛んだ。落ちている腕が何とかつかないものかとキーコと試してはみたが、どうやら無理なようだった。

「いいんだ。きっとカケルが直してくれるよ」

「そうだな。それじゃあそろそろ出発するか」

「無理しないでよ。何ならもう1日帰るのを伸ばしたっていいんだから」

 キーコは残っている片方の細い手で、ネコの背中をなぜた。ネコはグッと顔をゆがませた。激しい痛みがネコの体を貫いていた。それに少し前からいやな寒気にも襲われている。

(たぶんおれは、もうだめだろうな…)

 自分の体なのだ。幾度となく危機を乗り越えてきたネコだからこそ、わかることなのかもしれなかった。

(だが、今おれがここで死んでしまったら、キーコはどうなってしまうのだ。帰る道もわからずに、こんなところでたったひとり残されたら、どんなひどい目に遭うか、わかりきったことだ)

 ネコは力を振り絞って立ち上がった。キーコを家に戻さなければならない。もうあまり時間が残されてはいないように感じた。

「さあ、そろそろ行こう」

「本当に大丈夫なの?」

「おれをそんな弱虫扱いするのなら、おまえをもう二度とどこにも連れて行かないことにするぞ」

 ネコは平気な振りをして、笑いながらキーコをにらんでやった。

「わあ、ごめん、ごめん」

 キーコはようやく安心して立ち上がった。

 庭をいくつも抜けて、ふたりはやっと、山根さんの家が見えるところまでたどり着いた。
すぐ手前の空き地に入ったところで、突然ネコはガクリと腰を落とした。熱が上がり、寒さと傷の痛みでネコはもう歩けなかったのだ。

「どうしたの?」

 キーコは驚いて片手でネコを支えようとした。ネコはゆっくりと息をはき出して、草の上に腹をつけて座り込んだ。

「なあに、少し疲れただけだ」

「やっぱり具合が悪かったんじゃないか。ああどうしたらいいんだろう」

 キーコは耳をパタパタさせながら、ネコの隣りに座り込んだ。

「心配するな。このくらいのケガは百万回でもしているさ。それより、ほらそこがおまえの家じゃないか。もう一人で行けるだろう。なあに、玄関の前にでも倒れていれば、きっと誰かが見つけてくれるだろう。さあ、行くんだ」

「もう少しここにいる。キミをこのままにしてはいけないよ。ねえ、本当に大丈夫?」

「おれたちネコは、こうやって、ケガをしたときは動かずにじっとして、静かに傷が治るのを待つものなのだ。だから心配せずに帰るがいい。それにおまえ、カケルに色をつけてもらうんだろう! 楽しみじゃないか」

 ネコは精一杯明るい声を出した。

「そうだった!」

 キーコの顔がパッと輝いた。

「これから色をつけてもらうんだ! すっかり忘れていたよ! こんな重大なこと!」

 喜び勇んで立ち上がったキーコの白い顔が、ほんのり桜色に染まっているようにネコには見えた。

「キミに一番に見せるから、絶対また遊びに来てよ!」

「ああ、おれも楽しみだ。おまえはどんな色になるのだろう」

 ネコは、青空の下、ひるがえるカーテンのそばで、得意そうにネコを待つキーコの姿を思い浮かべていた。

(ああ、本当に見ることができたら…)

「じゃあぼく行くよ。ほんとうに大丈夫だね」

「心配ない」

 冷たい風が枯草を鳴らし、空き地を吹き抜けていく。ネコの鼻先にポツリと水の粒がついた。「おや?」と思う間もなく、大粒の雨が暗い空からボツボツと音を立てて枯れ草の上に落ちてきた。

「大変だ! 早くどこかにかくれなきゃ」

 キーコは慌ててネコを起こそうとした。けれど、ネコにはもうその力は残ってはいなかった。

「おれなら大丈夫だ。雨くらいなんということもない。それより早く帰るんだ」

「なにを言うんだ! こんなキミを残して帰れるもんか」

 キーコは眉毛をくねらせながら、怒った顔をしてネコを見つめた。
 そうしているうちにも雨粒はどんどん空き地をぬらし、枯れ草はすっかり色を変えていた。ネコはキーコの腕のつけ根に目をやって、ギョッとした。雨にぬれ、ちぎれてポロポロになった腕の付け根から、白い水が粘土のくずと一緒にしみ出していたのだ。

『水につけて練り直せばまた使えるよ』

 ネコは、前にカケルの母が言っていた言葉を思い出して背筋が寒くなった。これは大変なことになった。急いでキーコを家に帰さなければならない。
ネコは荒い息をおさえ、できるだけ落ち着いた声を出した。

「キーコ、よく聞け。おまえはどうやら雨にあたったら溶けてしまうらしい。いいか、よく考えろ。そうなったらもう大好きなカケルとも会えなくなるんだぞ。さあ、早く行くんだ」

 キーコは驚いて目を丸くした。ネコにはそのガラスの目が、ほんの一瞬恐怖に染まったかに見え、いい具合だと心の中でうなずいた。
 キーコは黙ってネコを見つめていたが、突然ネコの目の前からふいと消えた。
あっけない別れだったが、ネコは心の底からホッとした。
(ああ、おれの一生はこんなものだったのだな)
 間近に迫った自分の最期に向かい合い、雨に打たれながら、ネコは静かに目をとじた。その時だ。
ずぶ濡れのキーコが、どこで見つけたのかボロボロの布をひきずって戻ってきた。そしてそれを、濡れ雑巾のようになったネコの上に掛けてやったのだ。
ネコは驚いて目を見開いた。激しい怒りが湧きあがる。もう力はなかったが、精一杯声をあげてキーコを怒鳴りつけた。

「何をしている! そんなこと頼んでないぞ。おれの言うことを聞けないやつは、もう友達でもなんでもない! とっとと消えちまえ!」

 雨はますます強くなり、ダラダラとキーコの体の上を伝って落ちる。

「いいんだ!」

 キーコはきっぱりとそう言って、雨に潤むビー玉の目をきらめかせた。ネコは唖然としてキーコを見上げていた。

「キミはぼくを助けてくれた。ごめんよ。ぼくがいなけりゃあ、こんなことにはならなかった」

 ちぎれた腕のつけ根から、雨はどんどんキーコを崩していく。

「楽しかったなあ。丘の上で遊んだこと。連れて行ってくれて本当にありがとう。ぼくはキミに出会えて幸せだった。だから今度はぼくの番だ。ぼくはどこにも行かないよ。弱虫ソルジャーだってそれくらいはやれるさ。安心して! ずっと、キミのそばにいる」

 にっこり笑ったキーコの顔を眺め、ネコは動くことのできない自分を呪った。もうどうやってもキーコを助けてやれないことを知り、無念さで、胸が張り裂けそうだった。

 雨に濡れたキーコの体がヌラヌラとやけに白く光っている。
 ネコはようやく観念した。

(こうして共に消えるのも、きっと何かの縁なのだろうよ)

「あのさ、訊いてもいいかなあ」

 突然キーコが、空き地を叩く雨音に負けないくらい大きな声で言った。

「さっき、キミは言ったよね。友達でもなんでもないって。ねえ、もしかしてそれって、ぼくたちとっくに友達だったんだってことなのかな」

 もう声を出す力など残ってはいないネコだったが、おもわず肩をゆすってフッフと笑った。

(キーコ、おまえは本当におかしなやつだ)

 ネコは薄れていく意識の中で、キーコと出会ってからの不思議な毎日を思い出していた。そういえば前の夜、あの流れ星を見たことが、そもそもの始まりだったのかもしれないとそんな気がした。あの白い流れ星…。
 
 まてよ!
 
 ネコの頭が覚醒する。

(ああそうか。マイク、そうだったのだ!) 
 
 ネコはボロ布の下で、あの夜の自分を思い出した。

(マイク、おまえが教えてくれた通りやったのだ。あの星が流れたとき、おれはためしに祈ったのだ。もう一度、友達を…ください…と)

 大粒の雨が、容赦なくふたりの上に降り注ぐ。ネコは最後の力を振り絞った。
どうしてもキーコに伝えなければならないことがある。素直になれず、言ってやることができなかった。
ネコは口をわずかに動かしてはみたが、声は音にはならなかった。
 ネコの様子に気がついて、キーコはネコの前に顔をのぞかせた。湿った紙の匂いをさせながら、キーコはまたにっこり笑って言った。

「大丈夫! ぼくはここだよ」

 生まれて初めてネコは天に祈った。

(雨よ、どうかやんでくれ。おれの命と引き換えに、どうかキーコを助けてやってくれ。こいつはおれの、世界で一番大切な、大好きなおれの、友達なのだ)

 ネコはもう霞んで見えなくなった目を、雨粒の落ちる空に向け、それから静かにまぶたを閉じた。

 遠のいていく意識の中で、ネコはキーコの声を聞いていた。

 ぼくはずっとここにいるよ。ずっとそばにいてあげるから。

 どしゃぶりの雨の隙間を縫うように、ネコの耳にその声は、ずっとずっといつまでも、深く優しく響いていたのだった。

 

 目の前にフワリと明かりがさして、ネコは静かに目を開けた。
 どこからか話し声が聞こえてくる。ネコは暖かい部屋の中で横になっていた。あわてて立ち上がろうとしたネコに、激しい痛みが襲いかかる。ネコは自分の姿に驚いた。白い布に体中を巻かれ、おまけに首の周りに大きなワッカがついていて、身動きがとれないのだ。
ふと人の気配がして、部屋のドアがそっと開いた。

(カケルじゃないか!)

 ネコは思わず体を固くした。ここはカケルの家だったのだ。

「まだ動いちゃだめだよ。すごいケガだったんだから。おまけに肺炎も起こしててさあ、ぼくが通るのがもう少し遅かったら、おまえ死んでたぞ」

 カケルは心配そうにネコの頭をなぜた。その手はおもいがけず温かくて、とても柔らかいものだった。
 
(おれのそばにキーコがいなかったか? おまえの作ったソルジャーだ。キーコは見つからなかったのか?)

 ネコは顔を持ち上げて、カケルを見つめた。
 キーコも一緒に拾われているかもしれないと、ネコは部屋を見回したが、キーコの姿はどこにもなかった。
 ネコは力なく目を閉じた。外は強い雨だった。

 それから何日も雨は続いていたが、ある朝、カーテンのすき間から太陽の光がこぼれていた。
 2日前からなんとか普通に歩けるようになっていたネコは、いたるところに首をこすりつけ、いまいましいワッカをはぎとって、そっとカケルの家を抜け出した。

 垣根をくぐると、まだ水の引いていない空き地は、まぶしい光でピカピカ輝いている。
ネコはキーコを探した。
横倒しになったススキの束や、ぺしゃんこになった枯れ草の下にもぐりこんで、治りがけの傷のことも忘れ、ネコは泥まみれになりながら必死に這いまわった。
 しばらくして、水溜りの中のからボロボロの布が見つかった。それは間違いなくキーコがかけてくれた布だった。けれど近くにキーコの姿はない。ネコはがっくりと座り込んだ。

 水溜りは空を映して、悲しいくらい青く染まって見える。ぼんやりと眺めていたネコだったが、ふと水の底にキラリと光るガラスの玉を見つけた。ネコはハッと息を呑んだ。大雨に打たれ、白いからだは溶けてしまっても、ビー玉の目なら、まだここに残っているのかもしれない。 
 ネコは急いで前足を水の中に突っ込み、ガラスの玉をすくい上げようとかき回した。あっという間に水はにごり、泥にまみれ、もうどこをさらっても、それらしい光は見えず、たったひとつのビー玉もネコの手に触れることはなかった。  
 キーコは呆然と水溜りを眺めていた。自分の愚かさに泣き出したい気分だった。けれど確かに見つけたのだ。
キーコは確かにここにいたのだと、ネコは足の指に力をこめた。

「キーコ」

 ネコは空を仰いだ。高い空。ネコはキーコに始めて出会ったあの秋の日のよく晴れた青空を思い出した。澄んだ青い目をキラキラさせて楽しそうにキーコはネコを待っていた。

(マイク、おまえがくれたプレゼントなのかい? だけどあんまり悲しいじゃないか。あいつはもういないのだから)

 ほんの短い間ではあったが、ネコはキーコから抱えきれないほどたくさんのものをもらっていた。忘れていた温かい思い出。優しい心。そして、なによりも大切なものを失った悲しさをネコの胸に残して、キーコは消えていったのだった。

 それからは、ネコは山根さんの家の飼い猫になった。あのケガのせいで、片足をひきずるようになり、ボスの座から降りることにはなってしまったが、キーコの言っていた通り、カケルも家族の人たちもみんな優しい人間たちだった。
 夜、カケルのベッドにもぐりこむと、ネコは時々おばあさんのことを思い出す。そんな時はカケルの肩にそっと手を置いて、ゴロゴロとのどを鳴らしながら、頬をおしつけて眠るのだった。

 ネコは、晴れた日は、毎日空き地に向った。あの日キーコの掛けてくれたぼろ布の上に座って、ネコは青空に向って話をした。

「キーコ。とうとうおれはクロニャ―なってしまったよ。おまえはきっと笑うだろうが、慣れてみればそう悪くはないものだ。なあキーコ、おまえはおれに、どんな名前をつけてくれるつもりだったのだろう」

 冬が来て北風が毛皮を吹きぬけるようになっても、ネコは陽だまりにうずくまり、一日中風の音を聞いたりした。ネコは空が昼間のうちに何度も色を変えることも知った。

「本当に、この世に同じ色など一つもないのだなあ」

 やがて季節が移り、春が来ると、空き地は緑でいっぱいになった。
 ある日ネコは気がついた。ネコの姿も隠れるほどに育つ雑草の中に、何本か、もっと上へ上へと伸びる草がある。それは太陽の光を浴びてすくすくと育ち、夏が来る頃には、太い茎に大きな葉を何枚もつけた。やがて、真夏の太陽が空き地に降り注ぐと、見上げるほどの高い先に、見事な黄色い花を咲かせたのだ。

「ああ、キーコ。そうだった!」

 ネコは去年の秋、丘の上でキーコの背中のカバンに詰めた、いくつかのヒマワリの種を思い出した。
 太陽に向って元気に咲くヒマワリの花。
 伸び上がり、届かない大きな花を見上げて、ネコは始めて大声で泣いた。

 ふと、ネコの耳に、青草を渡る風に乗って、なつかしいキーコの声が聞こえたような気がした。

 ぼくはずっとここにいるよ。
 ずっとそばにいてあげるから。

 ヒマワリは秋になると種を地面にばらまいて、次の年の夏にはさらにたくさんの花を咲かせた。そうしていつのまにか、空き地はまるで花畑のように、黄色いヒマワリの花でいっぱいになった。

 ネコは山根さんの家で、愛されながら幸せに暮らしていった。夏になると、夕暮れまでヒマワリ畑の真ん中で、キーコと一緒にいつまでも青い空を眺めていたのだった。

 おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?