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6年越しの出産レポ③


モルヒネのおかげで子宮口がある程度開き、硬膜外麻酔を入れる段階になった。

麻酔を入れると自分の意思で排尿ができなくなるため、その前におしっこを出すよう促される。

トイレへ向かおうと立ち上がると、目眩がしてよろけてしまった。

30時間痛みに耐え続けほとんど睡眠もとっていないため、意識が朦朧としていたのだ。


すると担当助産師はいきなり

「のろのろしてないでさっさとトイレに行きなさい!!」

と私を怒鳴りつけた。

私はビクッとし、「すみません、目眩がしたので…」と急いで歩き出す。

すると助産師は

「目眩がするなら歩くな!!座ってなさい!!」

とまた私を怒鳴りつけた。


そう、この助産師はこういう人なのだ。

妊婦健診の時から気付いていたが、話し方が関西のおばちゃんのようというか上沼恵美子のようというか、何でも大声でズケズケと物を言うのだ。

しかし上沼恵美子のように笑いの才能があるわけではなく、面白いことは一切言わない。

面白くない上沼恵美子、つまり一番関わりたくない種類のババアだった。


ただ一応ババアの名誉のために書いておくと、もしかしたら私は『怒鳴られた』のではなく『喝を入れられた』だけかもしれない。

ベテラン助産師として、妊婦が疲れ切っている時に敢えて喝を入れることで、出産に向け気持ちを鼓舞していたのかもしれない。


しかしながら、その方法は私には逆効果だった。

心身ともに疲れきっているところに理不尽に二度も怒鳴られたことで、私はパニック発作を起こしてしまった。

過呼吸になり、涙が止まらず、体が震えてしまう。

麻酔を打つには体を静止させる必要があるが、過呼吸のせいで体が動いてしまうため、発作が治まるまで麻酔を打つことができない。


麻酔科医は私の発作が収まるまで10分ほど待っていてくれた。

夫によると、私の発作を一刻も早く治めようと助産師がワーワー騒ぐ(「深呼吸しなさい!」「落ち着かないと麻酔打てないよ!」等ずっと怒鳴り散らしていた)のを制止し黙らせてくれたのもその麻酔科医だったらしい。

ようやく発作が治まり、麻酔を打つためベッドに腰掛け、ぐーっと背中を丸める。

麻酔科医は陣痛と陣痛のわずかな時間の隙間に、背中にすっと針を入れてくれた。


麻酔を入れてからはまさに天国だった。

今までの苦しみが嘘だったかのように、全く何の痛みも感じない。

脚全体が冷たくなったように感じたが、下半身の感覚がなくなっただけで実際手で触ると温かかった。


そこから3時間ほどで子宮口が全開となり、本格的ないきみを開始。

麻酔が入っていても子宮収縮のタイミングで便意を催す感覚があったため、うんこを思いっきり出す感覚で踏ん張ったら上手だと褒められた。

本当に便が出たらどうしようなどという躊躇いは一切なく、出るなら出ろと思った。

30時間前にはすっぴんを恥じていたのに、今やうんこを漏らすことすら気にならない。

まだ産んでいないが、『母は強し』という言葉が自分に当てはまるのを初めて感じた。


いきみ始めて10分程経った頃、赤ちゃんの心拍が下がっていると言われた。

医師が私の股から出かかっている赤ちゃんの頭に針を刺し、何かを調べている。


「赤ちゃんの状態があまり良くないので、あと2回いきんで産まれなかったら吸引します」

それから2回、渾身の力を振り絞る。

私は全身の血管が切れる勢いでいきみまくった。

その結果、無事に2回目のいきみで出産することができた。


助産師が取り上げた赤ちゃんを見た瞬間、まじで腹の中に人間がいたのか!と衝撃を受けた。

思わず「うわ、赤ちゃんだ!」と叫んでしまい、助産師にそりゃそうだろと突っ込まれる。

頭では分かっていても、実際に出てくるのを見るとビビる。

出てきたのはもちろん人間なのだが、エイリアンみたいだと思った。

自分の子どもというより、無関係の生き物が何の由縁か私の体内から産み出されたような感覚だった。


産まれてきた赤ちゃんは紫色で、全く泣かなかった。

え、赤ちゃんって産まれたらまず泣くんじゃないの・・・?

不安になり赤ちゃんの姿を目で追うと、赤ちゃんはライトが煌々と照らすテーブルの上に乗せられ、医師が注意深く観察を始めていた。

酸素マスクのようなものが赤ちゃんの口に当てられていた気もする。

分娩室の空気がピリッとなるのを感じた。誰も一言も話さない。


2分ほど経った頃だろうか。

医師が「この子は大丈夫」と言い、部屋を覆っていた緊張が一気にほどけた。

赤ちゃんはすぐに私の胸の上に乗せられた。


ああ、よかった。

ちいさい。かわいい。

ちゃんと息できてるかな。

どうしよう。人間だ。

どうしよう。息が止まらないようにしないと。

どうしよう。


正直、喜びより不安の方が大きかった。

このか弱い赤ちゃんを、私が生かし続けないといけない。

小さな人間と共に誕生した大きな責任に、私は最初から押しつぶされそうになっていた。


6年越しの出産レポ、おわり。



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