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人生最大の“挫折”を乗り越えた方法



こんにちは!



大阪 堺で

“コーヒー屋兼パーソナルトレーナー”として活動しているみっきーです!





先日


精神病(パニック障害)



についてお話しましたが、



今回はその時乗り越えれた方法についてお話します!







小学校4年生の頃

学校にも外にも出れない、

頭痛にいつ襲われるか分からないような状態の日々が続いていた中で、

徐々に唯一できることがありました。







それは大好きな

“野球”


です。







正確には母とのキャッチボールですが。。笑







学校にソフトボール部しかなかったのでソフトボールから始めましたが、

プロ野球を見ていたり、友達と遊ぶときなどはいつも野球をして遊んでいました。







できることだけでも!

と思い母が僕を外に連れ出してくれました。







近くの大きな公園で母と2人でキャッチボールをしていたのを

今でもすごく覚えています。





暴投を投げ、母に取りに行かせることもしばしば。。笑







母は仕事を休みながら僕に付きっきりで相手をしてくれました。





キャッチボールが日課になり、

徐々に外に出ることができるようになりました。





キャッチボールをしていた近くの公園が

小学校の真横だったのもあり、

体育の授業は公園から覗いていたりもしました。







そうしているうちに先生が、

「入れるんやったら入っていいよー」

と言ってくださり、入らせてもらうこともありました。





僕の小学校は制服がある学校だったので、

1人だけ私服で体育の授業だけ受けて、帰る。

めちゃくちゃワガママなことをしていました。笑











ですが、そんな先生方の考慮もあり、

外に出る回数は自然と増えていきました。







水曜日と土曜日にソフトボールの練習があったのですが、

そのソフトボールの練習にも参加できるようになりました。







そしてそうしているうちに

学校に来てくれるなら!

と、先生が僕のために1時間外で遊ぶ授業を作ってくれたりもしました。。





公園でキャッチボールをして、体育だけ受けて、1時間自由時間を受ける。

今思えばとんでもないですが、

当時は最高でした。笑













こうして徐々に

“学校に行く”

という機会を色んな方が作ってくださったおかげで

5年生くらいからは学校に行き始めれるようになりました。







ちなみになぜか学級委員になればモテるという風潮があり

4年生の2学期に始業式だけ行き、学級委員になるだけなってその後不登校してました。笑

調子乗りが出てます。笑







林間学校や修学旅行などのお泊り行事はすべて親に付いてきてもらっていました。

ですが、そのおかげで6年生最後のスキー合宿では1人で行くこともできました!





行ったり行かなかったりを繰り返しながら、

小学校の卒業式にも参加できるようになり、無事?卒業することができました。















中学に入ってからも頻度は少なくなりましたが、

頭痛や体調不良を起こしていました。





ですが基本的には学校にちゃんと通学できていました。😏





発作などはなくなっていたので、

大丈夫だと思っていたのですが、

中学校のお泊り行事のときに発症し、、

父に迎えにきてもらったことも。。。





ですがこのときだけで、中学、高校の6年間はその後ほとんどなにもありませんでした。

(頭痛は定期的に起こります)







高校卒業後は野球をもっと極めたい。

と思ったこともあり、

独立リーグに入団することに!!







新しい環境にかなりワクワクしていて、

野球まみれになれる環境が今までなかったので

すごく楽しみでした。





発作ももうなく、たまに頭痛になることくらいでした。





ですが、、、

入寮当日に発作を発症し、1日で帰ることになりました。





すごくワクワクしていただけに、

自分もかなり残念でした、、





という感情もなく、

ほぼ鬱状態になってしまいました。笑





気持ち的に回復してきてからも、

野球をしたいのかどうかもわからない、

どうしたらいいねん。。。

という感情しかありませんでした。





小学校のときほどひどくはなかったので、

1年ほどでかなり回復しました。





そしてこのとき母の病気が見つかり、

チームには自宅から通うことになりました。











高校卒業してから2年目で、

やっと野球にまみれの環境でプレーすることができました。







野球人として大成することはできませんでしたが、

その後の独立リーグでのプレー中は体調的にもしんどくなることはほとんどなくなり、

野球にかなり集中してプレーすることができました。







野球を引退した後、

パーソナルトレーナーとして活動し、

今現在コーヒー屋としても活動しています。















精神的に1番辛いとき、

学校にいけなくなってからは

僕のことを思い、荒療治に出たり、色んな病院にも行きました。





ですが、どれも上手く行かず、、





“頭痛”


もいつ起こるか分からない状況で、

体調もかなり崩しやすかったので

今思うと徐々にやっていくペースが1番自分に合っていたのだと思います。









僕が精神病を克服したのは間違いなく、


“自分の機嫌を取ってあげたから”


だと思っています。



好きなことをして、自分の機嫌を取ってあげてください!





僕はそれがたまたま


野球をすること、学校に行くこと


だったのでこれらをすることで

精神病の症状がマシになっていったのだと思います。





自分の機嫌の取り方が



ゲームだったらゲームをする、

遊ぶことだったら遊ぶ、



など自分のできることをして

自分の好きなことをしているうちに心は回復するかもしれません。





実際僕は

野球をプレーしている最中に発作や頭痛をおこしたことがありません。







周りの方々の支えがあり今の自分があり、

当時助けて頂いた方には本当に感謝しています。



それと同時に自分の機嫌を取ることをすることで

乗り越えれたと思っています。







今思えば滅多にでけへんいい経験できたなあ〜と思います。笑




















自分の機嫌を取ることを

今でも僕は大事にしています!







みなさんもしんどくなった時はやりたいことだけやって、自分の機嫌取りを実践してみてください👍





読んでくださってありがとうございました!!





ではまた👋

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