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「好き」と「好きになりたい」の距離

「好き」と「好きになりたい」の間には、大きな隔たりがある

「好きになりたい」と思って行う数々の努力は、決して無駄ではないと思う。

ただ、その努力の方向は、「好き」という気持ちに近づく方へ向かっているのか、遠ざかる方へ向かっているのか、わからない。

そして、「好き」と「好きになりたい」の、その距離を推し量ることも難しい。
もしかしたら、もうすぐそこまで「好き」に近づいているかもしれないし、まだまだずっと先かもしれない。
もしかしたら、もう「好き」の状態かもしれないけれど、自分が思い描いていた状態とは違うかもしれない。そうして、自分の「好き」に気づかず、他人の「好き」と同じになろうと努力を重ねる。

「好き」の答えは、人それぞれなのに。


努力はいつまで続くかわからない。
「好きになりたい」が、あるとき「好き」に変わることもある。
「好き」までの道のりが遠くて、「好き」になることを諦める、その決断をすることもある。
「好き」になれるかどうかはわからない、むしろ望み薄な気はしているけれど、行動をやめられないこともある。
一度諦める決断をしても、またやってみようと努力を再開することもある。


さて、どんな選択をしよう。

「好きになりたい」に対して、いつまで続くかわからない努力をするよりも、直感的に「好き」と思える何かをたくさん集めれば、好きになれない気持ちを、罪悪感や背徳感を軽減させることができるかもしれない。

でも「好き」という状態も「好き」でい続ける努力をしないと、その想いを抱き続けることは難しいんじゃないか、とも思う。「好き」でいることも、きっと大変だ。
そして「好きになりたい」という気持ちを全て「好きになりたかった」で片付けることも難しそうである。


…さて、どうしようか。
この問いに答えられたとき、私は一歩、踏み出せるのだと思う。



こんなことを考えさせてくれた、私に響いた一冊の読書感想文でした。


佐々木愛『料理なんて愛なんて』


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