見出し画像

身障者として仕事をしてからの私

今日は身障者枠でお仕事をしていた時のお話が飛んでしまったので
そのお話をしますね。

私は足のリハビリを3年間続けた後、平成21年から身障者枠で事務職としてお仕事をすることになった。
本当は調理師免許があるからそちらの道に進みたかったけれど、
足を怪我してしまい立ち仕事ができなくなったために選んだのが事務職だった。
私にとっては畑違いの仕事。
それに身障者としての初スタートだ。
だから、「周りからどんなふうに見られるんだろう?」と身構えていた。
でも、皆んな気を遣ってくれて優しく接してくれた。
最初は職員の人の補助的なお仕事から始まったけれど、1年くらい経ってから
ついに私にも担当のお仕事を任されるまでになった。
専門用語ばかりてわからないことや間違えたりしたこともあるけれど、少しずつ
覚えていった。
こんな自分でも役に立てているんだと感じた。
そして3年くらい経って、また新しい担当に変わった。
書類を確認するだけでも大変…
支社だったから、本社との連絡や営業所への連絡もしなければならなかった。
私は覚えるのが遅かったから、慣れるまでにかなりの時間がかかった。
でも、頑張って覚えた。
そのうちにだんだん人間関係も上手くいくようになった。
そして、お仕事をしていて信頼されるようにもなった。
「○○さんは、本当に丁寧に教えてくれるから助かるよ」と営業所の年上の
数人の事務員さんからも言われるようになった。
嬉しかった。本当に嬉しくて、お仕事をしていても充実していた。
5年間だけは…
その後、また担当のローテーションをするという雰囲気になった。
私は今の担当が好きだったから、変わりたく無かった。
でも、皆んな数年ごとにローテーションで担当が変わっていた。
それは正職員だけのことであってほしかった。
ついに、担当変えの声がかかった。
「○○さんなら、きっと出来るから大丈夫だよ。やってみて!」と。
私は何度も断った。
何故かと言うと、そもそも正職員と私の勤務時間が一時間違うから。
私の方が短い。
なのに同じことを押し付けられても、私には無理だとずっと断り続けた。
でも何度も呼ばれて説得されて「もし、次の担当が私には出来なかったら
辞める」と覚悟を決めた。

そうして新しい担当に配置された。
席も変わった。
私は最初にもお話しした通り両膝に障害があるから
1️⃣寒いところは冷えて足が痛くなる
2️⃣立ったり座ったりの繰り返しが人よりも遅く辛い
3️⃣窓口業務なんてやったことがない
なのに、一番窓口に近い一番寒い席に移動して新しい業務と窓口業務も
同時にしなくてはいけない席に移動させられた…

冬の一番寒い雪の降る季節だった。
私は両膝に痛みが常にあるため、冷え防止のために年中膝掛けを使っていた。
でも、その席は膝掛けだけでは間に合わないくらいの足元が冷える場所だった。
そんな中、必死で覚えようと頑張った。
でも、訳のわからないやったこともない窓口業務を新しい仕事の合間にやることになりいちいちお局に聞いてやっと終わったと思ったら、今度は自分のお仕事に
戻る。

でもなかなか覚えられなかった私の姿を見てお局達は、イライラを募らせて
ヒール👠でカチカチ音を立てたり、PCのキーボードのエンターキーをものすごい勢いで叩いたり、書類をバンバン机にわざと置いたりして嫌がらせをしてきた。
後ろの席で二人が並んで同じようなことを毎日毎日された。
その音を聞いて私は焦ってばかりで何も頭に入らず、ドキドキしながらお仕事を
したけれど全く追いつかない。
わからないことがあって聞いても「マニュアルを読んで!」と言っていつも上から目線で「こんなこともできないの?」って顔に出ていた。
そんなことをしてきたのは、私より歳が一回りも下のお局だ。

どんどん書類、やることが貯まる一方だった。
だから16時が定時だったのに終わるはずもない。
残業がずっと続いた。
正職員は17時が定時。
でもね、皆んな17時になったら「お先に失礼します」と言って帰っちゃう。
残っているのは、男性職員と女性はポツンと離れた席で私一人…
だれにも声をかけてもらえずに、一人だった…
辛かった…

そうこうしているうちに、体に異変が起きてきた。
朝のバス通勤の出勤前に物凄く動悸がして止まらなくなったのだ。
そして帰りはいつも19時過ぎのバス。
バスから降りて家までの寒い道のりを、泣きながら歩いた。

そんな生活が半年くらい続いて、ついに「死にたい」と思うようにった。
朝バス停まで歩く時に「ここで誰か私を轢いてくれないかな」って毎日
思うようになった。
毎日毎日「死にたい」と言っていて、知り合いが「死にたいくらい辛い会社なら
逃げても良いんじゃない?」って言ってくれた。
そしてその当時、婦人科に相談して抗うつ剤をもらうようになった。
そして、上司へ退職したいと伝えた。
でも上司は私がパワハラを受けているのを知りつつも「せっかくここまで9年間
頑張ってきたんだから、もうちょっとやってみない?」とかなりの間説得された。
でも最後の切り札じゃないけれど「精神的なお薬を飲んでいるから、仕事に影響を与えてご迷惑をかけてしまうかもしれないので、退職させてください」と伝え
やっと退職できることになった。

退職するにあたり私の送別会を開いてくれると言ってくれたが、私は断った。
そんなこをして欲しかったんじゃないって言いたかった。
退職する最後の日の朝礼で挨拶をした。
あの会社では退職する人には必ず花束を渡すのが慣例だった。
でも、私には何も無かった…

辞めたくて辞めたわけではない…
だからとにかく悔しかった…
ただそれだけだ…

その後1年くらい足の治療をして、また同じ業種の仕事に就いた。
でも、その時にPCのキーボードのうるさい音でフラッシュバックが
起きたのだ。
そしてまた死にたくなった…
そんな状態が続いてついに死のうとした。
でも死のうとした所を知り合いに見つかり、病院へ行き入院を勧められたのだった。
でも私は入院だけはしたくなかったから、何とか通院で治療したいと主治医に伝えてお薬を飲むことになった。

そして現在も精神科へ通院している。

今、泣きながらnoteに書き留めている…

長くなりましたが、今日も最後まで読んで下さりありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?