見出し画像

怖いけどやってみたい。仕事やめる?

最近
7年前にやった
バンジージャンプをする
イメージを良く思い出す。

怖い
でも
やってみたい。

本当にやってみたいの?
怖いよ?
別にやんなくたっていいじゃん。
わざわざそんな怖いことしなくたっていいのに
なんでわざわざするの?

そんな言葉が頭の中を交錯する。
バンジーをすると決めて
家を出る瞬間から
飛ぶ瞬間までずっと。

「ほんとにやるの?」
「ほんまか?」

いよいよハーネスを付けて
バンジー台に向かうときも

「ほんとに飛ぶんか?」
「まだ辞めれるよ?」

って言葉が
頭をリフレインする。

でも
私がバンジーを体験したときは
その前に飛んでいく人たちが
ひょいーーーひょいーーーって
見事にあっけらかんと飛んでいく。

しまいには
当時付き合っていた旦那は
ぴょいーんって
自らジャンプしてった。

びっくりした。

え、なんでみんなそんなに
ひょいぃぃ〜〜〜〜ってできちゃうの??

って。

でも
その姿をみていたのが
良かったんだと思う。

「なぁんだ、みんな飛べるんだ」

って。

だから、
私も
一回目のカウントダウンで飛んだ。

「今飛ばなければ
 多分、飛べなくなる。」

1回でも物怖じしたら
その癖みたいなのが
植わっちゃうから
ますますいけなくなる。

「飛んでみたい、きっと飛べる」

そういう
よくわかんない流れの中で
飛んでしまわないと
きっと私は飛べない気がする。

次飛べるとしたら
自分の中のハードルが
高いことに気づいちゃって
ますます怖くなる気がする

・・・。

だから
熟考するまもなく
「流れ」で飛んだ。

バンジー台の先、
つま先を徐々に出して行って、
土踏まずから先の靴先が
台からちょろりと顔を出す。
下を見れば
川底が見えるから、
視線はまっすぐ前よりちょっと上。
紅葉がきれいな山々だなぁ

そして

ちょっとずつ
胸を前に出して
重心が足場から
足場のないところへと移動する。


あっ・・・

もう後戻りできない

落ちるだけ

身を任せるだけ

大丈夫

いける。

行ってる・・・。



だから

飛べた。


飛んでみたら

なぁんだ。
こんな感じか。

一瞬で終わった。

ほんのたった10秒。

気づいたら
ウィンチでうぃーーーんって
釣り上げられてて、
気づいたら係の人に抱き抱えられて

終了だった。


飛べた。


でもその後の
会場を後にするときの
足の脱力感。
よくわかんないハイテンション。
心がずっとふわふわしてて
なんだろうこれって感じ。

心のエネルギーはもう
エンプティーサインだった。
むしろ足りてなさすぎて故障したみたいな。

(結局その後吐きそうな感じで気持ち悪くて1時間ほど休憩)

ーーーーーーーーーーーーーーー

今まさに
自分の人生を
バンジージャンプしようとしているみたいな
そんな頃合いだ。

仕事を復帰するための
保育所の入所申し込みを
ずっと出せずにいるのは

このまま
子供を保育所に預けて
あの仕事に戻るということを
心が拒否してる様に感じてならない。

きっと望んでない。

でもそういう自分の心には
自分ではあまり気づかないのだ。

うーん、認めたくない?もあるのかもしれない。

ただ、
自分の行動が、
見えない自分の心を
それを物語っているみたいだ。

私はどうしたいのだろう?

子供の今の育つ一瞬一瞬を
一緒に味わいたい。

働くことが大変だっていう背中を見せたくない

子供が食べるものはテキトウにせず
少しでもちゃんとしたものを食べさせたい

カリカリした自分で
子どもたちと接したくない。


仕事に復帰すれば
お金は安定してはいるかも知れない
学校の子どもたちとの世界の中で
色んな経験ができたり
感動があったりする
社会的にも大事な意味合いを担える。
だろうけど

泣いて帰ったり
辛そうな姿を見せちゃったり、
常に余裕なくてカリカリしてたり、
睡眠不足で
ご飯なんて勘弁してくれ
土日も仕事のことで頭が一杯で
自分の時間が欲しくてたまらない
家族の時間よりも一人になりたい

そういう世界へは
私はバンジーしたいか?

いや、バンジーしたくない。

なにより
仕事は好きだけど、
こういうエネルギー感で
仕事したくない。

フィールドは大好き。
だけど、
自分からあふれるもので
人と関わりたい。

ーーーーーーーーーーーーー

私がどう生きて生きたいかというと

やっぱり
子どもたちと
心穏やかに
生きてみたい。

自分の時間をもちつつ、
子どもたちにも関わり
家族の時間も持ちたい。

やってみたいフィールドで
もっと自分を投じてみたい。
色んな人の素敵を見つけて
散りばめてみたい。

お金が足りなければ
何かで働けばいい

なんなら
10年間は
正規雇用にだって戻りやすい世の中だ。

臨時採用は有り余るほどある。

正規である意味ってなんだろう?
社会保険?
安定していること?
キャリア?(あんまり気にしてないと思う)
給与が臨時採用よりちょっといいとかかな?

「辞めます」
っていうのが言いづらいっていうのもあると思う。
今まで関わってくださり育てていただいた
諸先輩方もいらっしゃる。

「辞めます」って言う
コレが今の私にとっては
やりたいバンジージャンプなんだ。

そこに行きたい。
そういう日常がいい。
だけど
辞めるっていうの怖い

とはいえさ、
辞めて
あーやっぱり辞めなきゃよかったとか
本気で
死ぬほど思ったとしたら、

また戻ればいいじゃないか
今ならなんと
10回も
特別選考枠チケットあるんだぜ?
コーチーチケットかよ!
普通ないよ。
すごい優待職業じゃないか!

何を怖がっているの?
飛び込んでみたら
きっと分かるよ。

死ぬわけじゃない。
何かを失うとすれば
きっと
もう片方を選んでも
何かは失うし

失ったものがやっぱり必要だって
思ったなら
また取りに行けばいいじゃないか。

なんだかんだ行って
10年くらい前から
仕事辞めてもいいように
色々準備してたじゃないか。

ね。

選択肢の
優先順位が変わるだけだよ。

やってみないと
わかんないし
やってみたから
わかることもいっぱいある

それは
十分に知っているはずだよ。

死ぬときに
あーやっぱりあのとき
飛んでみたらよかったなって
思うくらいなら
飛んでみようよ。

ね。

いつ死ぬかわかんないしさ

自分の波動が上がる場所で
生きてみようよ。

ね。私。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?