20240211

2月11日。
朝までぼんやりしていたのでかなり疲れた。
とにかく、日記だけは習慣化させたいので一行でもいいから書こうと思う。

なんでも上手くやれるような人の押しの強さみたいなものを目の当たりにする度に、そういうのは自分には絶対出来ないと思ってしまう。
どうしてあんなに思った事や思ってない事を言えるのだろうか。誰かに何かを伝える事ってそれだけでリスクがあるような気がしてしまう。言葉数が多いという事は失言の可能性を増やすという事だろう。相手にとって良くない事を言ってしまうくらいなら何も伝わらない方がマシだと思っている。恐らくこの考え方は間違っている。何も言わずにコミュニケーションをやり過ごそうというのは人として間違っていると思う。分かってはいるのだが発言で何かミスをすることを恐れてしまい結局何も言えなくなる。

ASDはコミュニケーションができないのではなく、"しない"のだ。自分の発言の仕方で人間関係を拗らせていることを学習したので、なるべく"何も言わない"とういうことを実践しているだけだ。
雑談というのは発話と思考の距離が特に近い。
普通の人は相手の言葉に対して直ぐに自分の言葉を返せる。しかもそれが"おかしい"ことではない。正しい会話として成り立つ正解のコミュニケーションを取ることができる。
しかし我々ASD(人によって程度が違うので全員ではない)は結構な確率で間違った返答をしてしまう。例えば気温の話をする中で「今日寒いね」と言われたら普通の人は"今日"がそれ以外の日と比較して寒いかどうかを答えるが、私は"自分にとって寒いかどうか"を答えてしまう。答えてしまってから自分の視点が間違っていることに気付く。このような視点の間違いから来る発言のミスが自分にとっても相手にとってもストレスになる。だから発言をしない、若しくは自分の意見を放棄してしまう。
似たようなASDで、初見の人とのコミュニケーションが上手く取れない人におすすめしたい方法がある。
それは、とりあえず相手の話を肯定しておくということだ。これだけで当たり障りのない話題なら円滑に進む。先程の気温の話題だったら「そうだね」の一言で良い。但し、この自分の意識とは無関係な相手への肯定を繰り返していると、だんだん自分が空っぽであるという感覚が強くなり虚無感に苛まれる。

今日は少し長くなってしまったが、また明日。

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