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そもそも、人生はすべて「無理ゲー」。

 会社で週一度、読書発表会を行っています。
 もともと、コピーライターの育成を目的にスタートしたのですが、これが、意外にも、経営者である私自身の学びに役立っています。自分が買う本というのは、えてしてワンパターンになりがちなので、他の人が読む本の中身をまとめて発表してもらい、意見を交わすという時間はなかなか勉強になります。

 今週、ある社員が紹介してくれたのは、こちら。

無理ゲー社会

 橘 玲さんの書籍です。
 インターネットにある「若者用語の基礎知識」によると、「無理ゲー」とは、こういう意味だそうです。

 無理ゲーとは、難易度が高すぎて「クリアするのが無理なゲーム」を指す用語です。上記のような意味から、ゲーム以外の実生活でも環境的・物理的・状況的に解決が難しかったり、実行が困難な場合にも使われています。

 初めて聞く言葉でした。先日も「親ガチャ」という言葉を初めて知ったのですが、少しニュアンスが近いかも知れません。

 会社の上司から、残業とか休日出勤しなければ完了できない仕事をふられたとき。あるいは最近では、コロナ禍でリストラに遭って人生をどうやって取り戻そうか困っているとき、

「こんなの、無理ゲーだよ」

みたいに使うのでしょうか。
 たしかに、今の20代の若者は、生まれたときから不景気が当たり前で、なかなか将来に希望が持てない世代だ、という話は聞いたことがあります。
 私も仕事柄、新卒採用で15年近く若者たちの面接をしているので、なんとなく変化に気づくこともありました。

好景気を知らない若者たち

 さて、今も将来に希望を持ち続けている50過ぎの私(笑)。その私が若い頃と、現在の若者たちとのちがいは何だろうかと考えてみました。

 たしかに、私が大学に入学した頃は、バブル真っ盛りでした。妙に覚えているのは、クリスマス・イブに、若い男性が女性に数十万円もするティファニーのネックレスを贈るという、今にして思えばおかしな「流行」があったこと。もちろん、私には女性に高価な宝石をプレゼントするという、「お色気」いっぱいの時代を過ごしたことはございません。
 また、「大学の入学祝いに車を買ってくれた」「結婚祝いにマンションの頭金を払ってもらった」という、うらやまし過ぎる親をもつ友人が、結構多かったのも事実です。

 それに比べると、今の若者は質素だな、と感じることも多いです。会社にお弁当を持ってくる新入社員もいますし。不景気で家庭に余裕がなくなったこともあるでしょうけど、奨学金を借りて大学に進学する学生の割合も激増していると聞きます。

 こういった経済状況の悪化が、若者のマインド変化に影響していることは、否定できません。
 ただ、私の若い頃と現在のちがいには、もっと根本的な「差」があると思うんです。

SNSによる偏った情報が日常的に

 それは、インターネットの登場、なかでもSNSによる偏った情報にふれる機会の増加です。

 私も、この「note」だけでなく、「Facebook」や「LINE」をやっています。会社の「ブログ」も書いています。もちろん、日々、インターネットにアップされた、嘘か真かわからないような情報に翻弄されている一人です。かつて、一日に浴びる情報が、ここまで多かった時代はないでしょう。
 このSNSというやつは、情報リテラシーが低い人にとっては、大変に厄介な悪影響を及ぼしています。

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 SNSには、どんな情報がアップされているでしょうか。
 家族で京都へ旅行に行った記事。銀座で美味しい料理を食べた記事。仕事仲間との楽しい飲み会の記事。ハロウィンではしゃいでいる記事……。どれも、ポジティブな記事ばかりです。

 「いい異性とめぐり合って、ついに結婚した」記事は掲載されていたとしても、「残念ながら、私たちは離婚しました」という記事は、まず見当たりません。実際には日本人の3組に1組は離婚しているにもかかわらず、です。

 つまり、ポジティブな記事というのは、氷山の一角どころか、ほんの「上澄み」で、非常にレアな出来事です。実際には海の下に沈んでいるネガティブな出来事が大半で、人はその中で生活しているというわけです。

 だから、うかつにSNSの記事や、ネット上の「幸せいっぱいな人たちの笑顔」に囲まれた生活をしていると、平均的な日常生活がわからなくなってしまいます。
 まして、現代は昔とちがって、ご近所やまわりで生活する人とのリアルな接点がもちにくい世の中です。
 実際には、自分よりも苦しんでいる人、もがきながら生きている人の叫びとは、縁遠くなっているということです。

同窓会も実は「上澄み」

 これは、SNSだけに限りません。
 私もちょくちょく、お誘いがあるのですが、高校や大学の「同窓会」。ここに参加する方も、偏った人種だと考えてまちがいありません。

 たいてい参加者を見ると、それなりに仕事で成功している人、家庭円満な人ばかりです。リストラされたばかりの人、家族の不幸や自身の病気でつらい思いをしている人を、同窓会で目にすることはめったにありません。
 私も起業する前、貧乏なデザイナーだった時代は、なさけなくて同窓会に参加する勇気がもてませんでした。今は平気で堂々と参加している自分自身の経験からも、偏った参加者だと断言できます。

比較するなら、歴史と世界に目を向ける

 だから、自分の状況を他人と比較して、目の前の苦労を「無理ゲー」などと考えないことです。そもそも、苦労しないで幸せな人など一握りだし、現代でも苦労している人は、いっぱい、いっぱい、山のように存在します。

 もし、正しく比較したいのなら、もっと視野を広げるべきです。

 100年前の「王様」より、現代の「生活保護世帯」のほうが幸せかもしれません。昔はクーラーも冷蔵庫もないし、美味しい食事も、海外旅行もありませんでしたから。また、昔は戦争や災害、不十分な医療により、かなり短命でした。

 また、世界には今日食べる食事に困っている人は、何億人もいます。紛争で家族がバラバラになることも、若くしてテロに遭い命を失う人もいます。
 それらと比較して、目の前の苦労を「無理ゲー」のひと言で片付けるのはどうかとおもうのは、私だけではないでしょう。

 結論。

 そもそも、どなたの人生も、すべて「無理ゲー」です。
 安心して、目の前の苦労と、全力で向き合ってください。

追伸
健康をそこなうほどの苦労は「ハラスメント」といいます。
私が言う「目の前の苦労」とはまったく別物ですので、お間違いなく。

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