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移民をめぐる文学 第4回

栗原俊秀

(この連載は、2016年に東京の4書店で実施された「移民をめぐる文学フェア」を、web上で再現したものです。詳しくは「はじめに」をお読みください)

6. カルミネ・アバーテ『偉大なる時のモザイク』栗原俊秀訳、未知谷、2016年

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南イタリアの各地には、「アルバレシュ」と呼ばれる人びとが暮らすアルバニア系コミュニティが点在しています。アルバレシュの共同体を創建したのは、オスマン帝国の支配を逃れイタリアへと流れ着いた、何世紀も前のアルバニア人たちです。現代のアルバレシュはれっきとした「イタリア人」ですが、土地の住人は今もなお、独自の言語や文化を保持しています。本書の著者は、そうしたアルバレシュ共同体の出身者です。物語の舞台は、作家の生まれ故郷をモデルにしたと思しき、「ホラ」というアルバレシュの小村です。20世紀末のアルバニアから難民としてホラに逃れてきた、モザイク作家ゴヤーリの語りをとおして、ホラの村が創建された時代(すなわち、「偉大なる時」)の記憶が、今日を生きる若者たちへ引き継がれていきます。「物語は、俺たちの内側や俺たちのまわりに、はじめから存在している。俺はただ、木から果実をもぎとるように、物語を集めるだけさ。そして、物語ができるかぎり長持ちするよう、モザイクの姿に留めるんだ」。同じくホラを舞台とする『帰郷の祭り』(本リスト7)と、併せてお読みいただければ幸いです。


7. カルミネ・アバーテ『帰郷の祭り』栗原俊秀訳、未知谷、2016年

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本書の語り手マルコには、少年時代の著者の姿が投影されています。出稼ぎの移民を父に持つマルコ少年は、一年の大半を、父親のいない家で過ごさなければなりません。年に一度、父が帰郷するナターレ(クリスマスを意味するイタリア語)には、教会の前で炎が焚かれ、盛大な祭りが催されます。「もつれ合い楽しげに、鐘の音は広場へと降りそそぎ、炎の舌を激しく揺らした。その音色は夜にむかってなだれこみ、はるか遠くの小道や峡谷まで響き渡った」。読者の五感を刺激する美しい描写が、そこかしこに散りばめられています。本書のエピグラフには、イタリア系アメリカ移民の第二世代であるジョン・ファンテの著作(『犬と負け犬』拙訳、未知谷)から、次の一節が引かれています。「書くためには、愛さなければならない。愛するためには、認めなければならない」。アバーテはファンテの愛読者で、ファンテの作品はすべて読んでいるそうです。父親をめぐる描写に着目しながら、移民の息子である二人の作品を読みくらべてみるのも面白いかもしれません。

[栗原による追記]
 私がアバーテの作品を手にとったそもそものきっかけは、アマーラ・ラクース(本リスト4、5参照)の言葉でした。留学生としてイタリアで過ごしていた時期、ローマでラクースに会う機会があり、「僕の作品に興味があるなら、カルミネ・アバーテの小説も読んでみるといい」とアドバイスしてくれたのです。最初に読んだ『帰郷の祭り』の冒頭には、John Fanteなるアメリカの作家の小説から、印象的な一節が引かれていました。数年後、自分がファンテの作品を訳すことになるとは、当時は想像もしていませんでした。
 アバーテの小説は拙訳の二冊に加え、新潮クレストブックスにも二作が収録されています。日本への紹介が進んでいたこともあり、2017年には「ヨーロッパ文芸フェスティバル」の開催に合わせて、作家の来日が実現しました。アバーテと同じく、自らの生まれ故郷を舞台とする小説を書きつづけている小野正嗣さんとの対談がセッティングされ、たくさんの聴衆を前に刺激的なディスカッションが交わされました。イベント終了後のホールでは、訳書(または原書)へのサインを求める人びとが、作家の前に長蛇の列を作っていました。通訳を交えながら、日本の読者と楽しそうに交流していた著者の姿が印象に残っています。
 文藝誌『新潮』の2018年3月号には、カルミネ・アバーテの「足し算の生」(拙訳)、「海と山のオムレツ」(関口英子訳)という短篇が収録されています。あいにく当該バックナンバーは品切れのようですが、ご興味がありましたら、図書館等で探してみていただければと思います。拙訳による「足し算の生」は、アバーテの創作の種明かしのような趣を持つ一篇です。

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