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移民をめぐる文学 第3回

栗原俊秀

(この連載は、2016年に東京の4書店で実施された「移民をめぐる文学フェア」を、web上で再現したものです。詳しくは「はじめに」をお読みください)

4. アマーラ・ラクース『ヴィットーリオ広場のエレベーターをめぐる文明の衝突』栗原俊秀訳、未知谷、2012年

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アルジェリア生まれのイタリア語作家による、ミステリの形式を装った社会派喜劇作品です。ローマに実在するヴィットーリオ広場は、移民の住人が多いことで有名な界隈です。この広場の付近に建つあるアパートのエレベーターで、イタリア人の若者が殺されます。アルジェリアからの移民の青年に嫌疑がかかりますが、さて真相は……。異なる文明を背景に持つ人びとの「衝突」を喜劇の素材として活用した本作品は、イタリアの移民文学に新たな息吹をもたらす一冊として高く評価されました。登場人物のひとりである愛すべきナポリ人女性は、「あたしゃ人種差別主義者じゃないよ。だけどこれが真実なんだ!」と叫びつつ、人種差別的な言説を次々と繰り出します。こうした人びとのメンタリティは、タハール・ベン・ジェルーン『娘に語る人種差別』(本リスト10)のなかでも触れられています。


5. アマーラ・ラクース『マルコーニ大通りにおけるイスラム式離婚狂想曲』栗原俊秀訳、未知谷、2012年

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前作に引きつづき、ローマに実在する多国籍空間を舞台にした作品です。タイトルは、往年のイタリア映画の名作『イタリア式離婚狂想曲』から採られています。アラビア語に堪能なシチリア人の青年クリスティアンは、イスラーム過激派組織の内情を探るスパイとしてスカウトされます。チュニジアからの移民に扮し、マルコーニ大通りのムスリムたちと共同生活を始めるクリスティアン。果たして、テロリストの陰謀を突きとめることはできるのか……!? 本作のもうひとりの主人公は、エジプトからマルコーニ大通りに移住してきたソフィアという女性です。移民が移住先の社会で直面する「名前」の問題について、ソフィアは次のように語っています。「人があなたに投げかける最初の質問はいつもこれ。あなたの名前は? もしあなたが外国人の名前を持っていたら、途端に一枚のバリアが生まれる。それは「わたしたち」と「あなたたち」のあいだの乗り越えることのできない境界なの」。移民には、けっして乗り越えられない壁がある。四十代半ばでアメリカからローマに移住したジュンパ・ラヒリも、『べつの言葉で』(本リスト11)に収められた「壁」という章のなかで、似たような嘆きを漏らしています。

[栗原による追記]
 アマーラ・ラクース『ヴィットーリオ広場のエレベーターをめぐる文明の衝突』は私にとって、文芸書の翻訳家として最初の一歩を踏み出すことになった作品です。私がこの本に出会ったのは、留学先のカラブリア大学で受講した、「現代イタリア文学」の授業をとおしてでした。この作品の魅力に打たれた私は、出版を依頼する版元の当てもないままに、数週間にわたってくる日もくる日も翻訳の作業を続けました。原稿の持ちこみ先を紹介してくれたのは、日本で学生をしていたころにひょんなことで知り合った、ロシア語翻訳家のKさんでした。Kさん経由で原稿を未知谷に送ってもらったところ、編集長の飯島さんはなんと一晩で目をとおしてくださり、そのまま刊行に向けて話が動き出しました。未知谷とコンタクトを取るために、ノキアの安っぽい携帯電話を握りしめ、イタリアから日本に国際電話をかけたときのことを、いまでもよく覚えています。
 日本では無名の作家を、無名の翻訳者が訳したわけですが、さいわい何人かの作家・専門家が、書評で取りあげてくださいました。以下に、webで読める書評のリンクを貼っておきます。

楊逸「文化の壁打ち抜く軽妙な語り口
菊池正和「ヴィットーリオ広場のエレベーターをめぐる文明の衝突

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