トナカイ遊牧民サーミ@Coyote
「人、旅をする」をテーマにした雑誌『Coyote(コヨーテ)』。訪れたことのない場所や知らないことを教えてくれるので、毎号楽しみにしている。一時休刊してしまったのだが、復刊してからはなんとか続けてもらおうと定期購読している。
年3冊。今号の特集は「北に遊び 小屋に暮らす」。
冒頭から「人よ野生へ」と呼びかけてくる。
カナダ/スウェーデン/アイスランド――
かつて人々が憧れた三大原野を旅する。
なぜ人類は極北の自然と暮らしへ惹かれるのか。
その羨望の在り処がここに。
写真も美しい。
今号、特に面白かったのが、ライフスタイル・ドキュメントの『八つの季節に生きる』。
スウェーデン、ノルウェー、フィンランドの北部、そしてロシアのコラ半島にまたがるエリアは「ラップランド」と呼ばれている。
ラップランドは聞いたことあるが、どの国も訪れたことはない。
そこに昔から暮らしている先住民族がいるそうだ。
トナカイの放牧と狩猟を生活の中心に据えて暮らす、サーミ。
サミーソーサあるいはサラミみたいな名前の遊牧民だが、ドーピングもせず、ピザに乗っかることもなく、その生き様はカッコいい。
「私たちサーミは四季ではなく八つの季節を生きています。トナカイに餌を与えて越冬の手助けをするまさに今が冬。太陽が射し始めて凍っていた木の表面が溶け出す頃が春冬。トナカイの赤ちゃんが誕生する春。初夏が来ればトナカイの移動が始まる。夏には子どものトナカイの耳にマークをつける。遅い夏にはベリーやハーブを摘んで冬にむけて備え始める。秋にはトナカイを解体して肉を得る。秋冬になるとトナカイを集めて山から降ろして越冬場所に移動する。そしてクリスマスを経て冬に戻る」
まさにトナカイとともに生きている。トナカイ中心の生活だ。かといって、決して原始人のような姿ではない。
伝統衣装だそうだが、北欧らしいシンプルで洒落た色使い!
かつて文字を持たなかったサーミは紋様に特別な意味を込めていて、色のパターンや紋様は住んでいる地域や性別によって違うらしい。観光用にカッコよくつくっているのかと思ったが、まったく違っていた。北欧は昔からオシャレだな。
トナカイとヘラジカの肉を毎日食べ、牛や豚は基本的に食べない。クリスマスの時だけ、ハムを買って食べる程度。あとは秋にベリーやキノコ類を収穫し、魚を釣る。ほぼ自給自足の暮らしだそうだ。
ただ、生き方も時代とともに変化していて、このおじさんも自分たちの暮らしを観光商材にしてしまおうと考えているという。知らなかったが、結構サーミブームが来ているらしい。
「都会に住む人は自然を危険な場所だと言いますが、私はそうは思いません。自然のなかには食料もあるし、知識さえあれば都会よりも安全な場所だと思います」
「実際に、サーミが雪崩に巻き込まれたり山で遭難したという話は聞いたことがありません。それだけ自然のなかで培われた経験があるのでしょう」
でも、自然を知り尽くしているというわけではない。
「物事を注意深く観察することで、通い慣れた場所からも毎回新しい発見を得ることができます。私にもまだまだ学ぶことが先にある。だからおもしろい」
謙虚だ。しかし当たり前だろう。これは何も自然に限ったことではない。諸行無常。すべては変化し続けている。一度読んだ本だって、年齢、心理状態、直前に起きた出来事によって、気になる言葉が違ってくるってもんだ。
宗教観についても、とても共感した。
「私は神ではなく自然を崇拝しています」
クリスマスにハムを買うが、ゴリゴリのキリスト教というわけではないようだ。まぁ日本人も同じだし、昨日も敬虔なチベット仏教徒の友達から「メリークリスマス!」のメールが来たわけで、もはやクリスマスは宗教の別なく万国共通の単なるハッピーデイになっている。
「事故を起こしたとして、ただ神に祈るだけでは何も解決しません。神ではなく自分を信じて、自ら解決策を見出すしかない」
まったくその通り。すべてをやりきったからこその神頼みであって、何もせず神に祈るだけでは何も進まない。厳しい自然と対峙してきたからこそ痛感しているのだろう。
「これは私の持論ですが、宗教に頼らざるを得ないのは戦争をする人だけです。争いに巻き込まれて心の弱った人が神を信じざるを得ない状況にあるのではないでしょうか」
「私にはムスリムの友人がいますが、彼らは日常的に紛争に巻き込まれているため何かを心の拠り所にしないと生きられない。だから彼らは信仰にすべてを捧げるのではないでしょうか。戦争をしない私には宗教は必要ありません」
これは特に一神教に対して言えるんだと思う。イスラム教やキリスト教は水すら乏しい砂漠で生まれた宗教だ。心もカサカサだったろう。厳しい環境の中で生きていくには、すがるもの、心の拠り所が必要だったのだ。
日本は資源は乏しいかもしれないが、自然は豊か。サーミ同様自然とともに生きてきた。だからか、私たち日本人に近い思想を持っている。別のサーミの女性が教えてくれる。
「サーミの世界では動物や自然のなかにあらゆる神がいると信じて常に敬意を払ってきました」
まさに日本古来の『八百万の神』!
「秋にベリーを収穫する際には根こそぎ採るようなことをしません。翌年も収穫できるように、そして他の動物たちのために必ず一定量を残しておきます」
翌年の収穫分はもちろん、動物が飢え死にすれば、時間差で自分たちが飢え死にするだけ。これも縄文時代の人たちが自然と共生し、循環した生活をしていくために分を弁えていたのとまったく同じ考え方だ。
「狩の成功といただく命に感謝する儀式をおこないます。なかでも熊は特別な存在です。熊には熊の世界があり、死んだ後の魂は熊の世界に戻り、自分の肉体が誰にどんな扱いを受けたかを仲間たちに報告をするものと信じられていたのです」
お、これは北海道の、、、
「そのため解体後の骨は元の形にきれいに並べて埋葬し、熊が再び自分たちのところに獲物として戻ってきてくれることを祈りました」
まさに、『アイヌの熊送り』じゃないか!!
サーミにしても日本のアイヌや縄文人、さらにイヌイットにしても、先住民といわれる人たちは共通点が多い。それは自然とともに暮らしていたから当たり前なんだろうな。住む場所は違っても、人間の根本はそうは変わらないってことだ。
なんかサーミの話を読んでいたら、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られてる気分になったよ。チコちゃん!
とりあえず入信を迫ってくる怪しい宗教の勧誘には「お前、戦争したいんだろ」と言うことにする。
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