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「ミチシロカで見つけた“道標”。意見を尊重しあえる仲間と出会った」参加学生インタビュー(敬和学園大学3年・後藤美有さん)
「ミチシロカ」のnote編集担当です。
北海道内で地域貢献・地域活性化に寄与する体験型教育プログラムとして2022年夏に初めて開催した「ミチシロカ」。
先日、ミチシロカの取組みについて興味を持っていただいた新潟県新発田市にある敬和学園大学へミチシロカ プロジェクトマネージャーの入交さんとお伺いしました。敬和学園大学には、記念すべき第1回の真狩村でのプログラムミチシロカに参加してくれた3年生の後藤美有さんが在籍しており、そのご縁で今回ご訪問しました。
ちょうど、後藤さんともお話する機会があったので、今回のnoteでは後藤さんのインタビューをおこないました。
後藤さんは、新潟県出身で、現在も新潟県内の大学に在学しています。
新潟でも様々な地域貢献の取り組みをおこなっている後藤さん。
“今までの自分”を振り返りながら、「ミチシロカ」の経験を通じて気付いた“新しい自分”について、色々と語ってくれました。
「わがまま」だった私から、「チーム」を考える私へ
後藤さんは、2001年生まれの21歳。
現在、新潟県新発田市にある敬和学園大学に通う大学3年生。
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彼女は生まれも新潟県で、小学校から中学校まで新潟市内で過ごした。
小学校の頃から彼女は"自由な人間”だった、と本人が語る。
私は子どものころから自由な人間で、やりたいことはすぐにやる人間でした。
悪く言ったら我慢ができない性分で、結構わがままだったりで周りを困らせていたんじゃないかと思いますーー
小学校のころから、集団行動よりも個人プレー派で、割と自由に生きてきました(笑)
彼女は、音楽ができる人に憧れて中学校で吹奏楽部に入った。
吹奏楽部ではパーカッションを担当。
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高校生になってから、ビッグバンドに入った。ビッグバンドとは15人〜の編成でジャズを演奏する、いわば"ジャズのオーケストラ”。中学時代からパーカッションだけでなく、トランペットも始めていた彼女は、ビッグバンドではリードトランペットとしてバンドを牽引していった。
パーカッションだと、ソロ演奏のときにもお辞儀ができず、拍手をもらいたかった自分にとっては苦痛だったんです(笑)
自分も目立って拍手をもらいたい。そんなわがままで目立ちたがり屋な性格が、トランペットを始めたきっかけですーー
自由気ままに生きてきた彼女にとって、吹奏楽の経験、ジャズバンドでの経験が、少しずつ彼女自身が気付いていなかった才能を花開かせようとしていた。
集団行動で周りとの協調はそこまで考えていなかった自分。それが、吹奏楽というチームプレーが重要な活動をすることで、少しずつ変わっていった。
自分が楽しいと思うのは、個人プレーだと思います。ただ、ジャズバンドではリードトランペットを担当したり、部活内でもムードメーカーとなっていて、気付いたらチームや組織全体がいかに最大のパフォーマンスを発揮できるのか、そのために自分はどのような立場で、どのような役割を担うべきかを自然と考えるようになったと思いますーー
高校時代にはジャズバンドで見事、日本一に。
彼女は、中学から高校で勤しんだ音楽を通じて、「わがままな自分」から「まわりのことを考えられる自分」へ成長できた3年間となった。
自分の意見を押し殺し、“八方美人”になってしまう
しかし、大学に入学してから、新たな壁にぶち当たったという。
2020年、敬和学園大学 人文学部 共生社会学科に入学。敬和学園大学は“リベラルアーツ”を掲げており、学生は特定の分野に片寄ることなく、さまざまな学問を幅広く学ぶ。
彼女は「地元である新潟を愛しているからこそ、地域の中で人と関わることを将来のキャリアとして考えたい」という想いで入学した。
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ゼミにも参加するようになり、地域のボランティア活動や、大学がある新発田市や新潟日報などとの共創プロジェクトなど積極的に様々な活動を行っていった。ゼミの担当である堀野先生からはゼミ長として指名を受けるなど、ゼミ生をまとめる役割として活躍していく。
・・・順調にみえるが、実は彼女のなかにはモヤモヤして、言葉にできない悩みを抱えるようになった。
ゼミ長として学生のみんなをまとめる立場になって「チームのため」に考えて、自分の意見や考えがあったとしても、先走って話さないようになりました。
自分の意見を言うのではなく、まずは同期や後輩に「◯◯さんはどう思う?」と問いかけることが多かったんです。自分では自分の意見を押し通すのではなく、押し殺すことが先走って考えてあまりやらないことが「チームのため」になると思っていました。いわゆる、八方美人なやり方です。
ただ、それだと、なんとなくゼミがうまくまわらない、議論が活性化しないなと悩むことが増えていきましたーー
先生からも「もっと自分はどう考えているかはっきり意見したほうが良い」とアドバイスをもらったのだが、なかなか実行に踏み出せずにいた。
中学や高校での部活の経験などから、他人の意見を容認することには長けているとは自負していました。ただ、そこからもう一歩先にある「他人の意見と自分の意見を噛み合わせてよりブラッシュアップしていく」ことに苦手意識を抱えるようになりましたーー
「何かが、足りない。」
彼女はそんな風に考えていたのです。
ミチシロカで見つけた“道標”。意見を尊重しあえる仲間と出会えた
「ゼミがうまくまわらない」と悩んでいたある日、堀野先生から1枚のチラシをもらった。
ミチシロカの参加学生募集のチラシだった。
もともと地域に関わることをチャレンジしたい、人と関わる仕事をしたいという想いがあり、「地域」のことを5日間で学べるフィールドワークという文字をみて、ピンと来ました。応募期限ギリギリセーフでなんとか間に合いましたーー
一人での飛行機移動、北海道で、しかも、真狩村という名前も知らなかったまち。名前も顔もわからない学生同士で5日間過ごすことにかなり不安はあったが、逆に彼女はチャンスとも捉えていた。
すべてが初めての体験ばかりで行く前はかなり不安でした。
ただ、5日間だけだし、極論言ってしまえば、失敗しても5日間で終わる。人間関係も後腐れない(笑)。この5日間だけは、自分が考えている意見をしっかり発言して他人にぶつけてみよう。そんな思いを持って飛行機に乗り込みましたーー
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彼女は、有言実行通りにどんどんと自分の意見をぶつけていった。ゼミでは周りの人への配慮の気持ちもあって言えなかった自分の意見を真狩村で出会った同志たちにぶつけていった。
ミチシロカでは、みんなが大きな夢とかいっぱい話す姿を見て、気づいたら自分も素直に話せるようになっていました。正直、2日目まではドギマギしていましたが、少しの勇気で話すと、みんな素直に受け入れてくれて、本来の話し合いを取り戻せました。お互いの意見を言い合い、受け入れる。自分の中で足りなかった考えや視点を周りのみんなが補ってくれました。
私もみんなの考えに自分なりの切り口で発言したりしました。そうすることで、どんどんとアイデアや考えが積み重なっていけるようになりました。
また、みんなの意見の言い方や姿勢も学ぶことができました。
真狩村では自分自身の成長と人々の優しさに触れ、大好きになりました。もっと繋がりたい。そんな気持ちが芽生えましたーー
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ミチシロカで得た経験を地元・新潟で活かす
ゼミの活動では、自分の意見を押し殺して、相手に合わせていた自分がいた。
しかし、ミチシロカの5日間を通じて、「自分はこうしたい」「自分はこう思う」と意見を言うこと、意見を言うことによって相手の意見を引き出すことができる、という発想の転換をすることができた。
「自分を隠す」ではないけど、八方美人(いい顔をする)ではなく、自分の心や考えをオープンにすることで、他人の心も開くことができることをミチシロカ・真狩村で経験できました。
ミチシロカから帰ってきてから、ゼミでもミチシロカで実践したものを活かすようにしました。まずは自分の意見を言う、そして他人の意見も受け入れるオープンな心を持つ、態度で示す。そうすると、今まで停滞していたゼミ活動も、よりクリエイティブなディスカッションに変化していきました。
彼女は、ミチシロカの経験をどう捉えたのか。
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ミチシロカでの経験は私にとって2つの意味の“道標”になりました。
一つは、自分がこれまで暗闇の中でもがきながら頑張ってきたことが、ミチシロカの5日間で「今までやってきたことは間違いではなかった」と思えたこと。導かれて、花開いたと確認できたという意味での“道標”。
もう一つは、ミチシロカでの経験が、これからの私の人生の道標を示してくれたきっかけだったこと。これからの人生がどうなるかまだわかりませんが、ミチシロカで培った経験が必ずこれからの未来に役に立ち、花開かせるときがくると確信しています。
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ミチシロカを経験した彼女は、これからどのようなキャリアを歩んでいくのか。
まずは、目の前のゼミ活動を通じて、地元・新潟の方々と関わることをしていきたいと思っています。現在大学3年生なのでそろそろ就職活動も始まります。社会人では、一度新潟の外に出て、違う角度から新潟をみてみたいと思います。地元新潟には海も山も、美味しい水や農作物、なんでも揃っていますが、新潟に住んでる私たち自身が新潟の本当の価値を見出していないのではないかと考えています。それは、ミチシロカで真狩村で住民のみなさんともお話をたくさんしていくなかで「自分が住んでいることを客観視することの難しさ」を肌で感じたことで得られた考えです。
社会人になったら、外で得た学びを新潟に還元したい。違う角度から新潟をみて、貢献していきたいと考えています。もちろん、ミチシロカで出会った真狩村との関係もこれから絶やさずに。また真狩村の人たちに会いに行きたいと思っています。
編集後記
後藤さんは、初日からメンバーや真狩村の地元の方々と積極的にコミュニケーションをとっていて、ミチシロカの初めての取り組みに大きく貢献してくれました。彼女自身では「自分はわがまま」と話していますが、周囲からみると全くそうは感じさせず、まわりとの調和を図りながらもチーム全体を前にすすめるエネルギーを持っていると感じていました。
2つの意味で「道標」と言ってくれたことが、ミチシロカを運営したメンバーとして最高のフィードバックでした。
後藤さんのバイタリティで、新潟の未来を輝かせてほしいです。
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最後にお知らせです
ミチシロカの活動をまとめた冊子を鋭意製作中です。今後の地域活性化や地域連携活動・大学との連携活動などのご参考になる冊子で、ご希望の自治体様・教育機関様等に無料でご送付いたします。
下記の連絡先までご連絡ください。
中央コンピューターサービス株式会社
生涯学習事業部
担当:入交(いりまじり)
電話:050-3614-1115
Mail:michishiloca@ccs1981.jp
URL:https://www.ccs1981.jp/
ミチシロカについてはこちらのnoteをご覧ください。
発起人インタビュー第1弾も公開中です!
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