ちょいちょい書くかもしれない日記(年越しの支度)
両親の友人がくれたでっかいクリスマスリース、葉っぱが茶色くなってきたので、そろそろ引退してもらうことにした。
明日、代わりに正月飾りをそこに懸けよう。
亡き父は年中行事にわりと熱心なたちで、年末になると、玄関と勝手口と自分の車用に、わざわざ注連縄を買いに行っていた。
そう、今でもごくまれに見かける、自家用車に注連縄を装備する浮かれた人類。あれだったのである。
しかし、いつの間にか、伝統的な注連縄を飾るおうちが町内にあまり見られなくなった。
我が家は今年どうしようかな……と考えた結果、無印であっさりしていい感じの正月飾りを買った。
何もないのも落ち着かないしね、というジャパニーズにありがちなソフトランディングである。
実家にいたときは、めがね飾りまできちんとやっていたが、この家ではやらない。猫のおもちゃになる末路しか見えないからだ。
鏡餅も、ずいぶん前からオブジェで済ませている。
木製と硝子製の両方があるので、気分でどちらかを出す。
猫が叩き落としても持ちこたえてくれるので、近年は木製の餅が続いている。
大晦日はなんだかんだ忙しいので、おせちは30日に作ってしまおうと考えている。
ということは、黒豆を煮汁につけるのは今夜だ。忘れないようにせねば。
私が炊く黒豆は、いつだって両親や親戚たちの大好物だった。
父方の祖父母も、でっかいタッパーでちょうだいや、と言ってくれていたものだ。
耳鼻科医だった祖父は、ピンセットで耳垢をつまむような慎重な手つきで、箸で一粒ずつ大事そうに黒豆をつまんでいた……とは、祖母が言っていたことだ。
もうちょっと他に何かあったやろ、たとえるアクションが。
そんなことを思い出していると、母に黒豆を食べさせたいな、とつい思う。
ただ、施設では豆は誤嚥防止という意味でNGだろう。ペースト状に潰したものでもいいから、お正月に振る舞われるといいのだが。
手料理や生ものの差し入れは許可されていないので、そこは何とも残念だ。
叔父叔母は揃って認知症ながらまだ自宅で頑張っているので、年が明けたら送ろう。
本当は叔父叔母のお世話をもっとしてあげたいけれど、何しろ遠い。
そして、自宅を諦めるタイミングは、やはり本人たちで決定してもらわねばならない。
実の親子でもそのあたりは難問なのに、姪の立場ではとても背負えない。
自宅を畳む手伝いならば、私でもいくらか役に立つと思うのだが。
施設から毎月送られてくる請求書と明細書に、今月はペロンとプリントアウトされた母の写真がついてきた。
どうも、施設のイベントのひとつとして、ポニーが来ていたらしい。
母は真剣な面持ちで、ポニーにおやつをあげていた。
動物が好きな人だから、きっと嬉しかっただろう。
お世話になっている施設には、感謝することばかりだ。
今日は友人を駅まで迎えに行く前に、ずっと持て余していた試験の採点を済ませた。
乾燥感と疲れ目が酷いので、年明け早々に眼科の診察予約も入れた。
親のことがやっと落ち着いてきたので、そろそろ自分の体調を整える期間を持ちたい。