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ちょいちょい書くかもしれない日記(牛乳)

幼い頃から、牛乳が苦手だった。
フルーツ牛乳とかコーヒー牛乳とか、何らかの味がついていたら平気なのだが、そのまんまの牛乳がどうにも駄目なのだ。
あと、あたためた牛乳の表面に張る蛋白質の膜が致命的に苦手で、うっかり口に入れてしまうと、今でも真剣に慌てる。
湯葉は大好きなのに、勝手かつ不思議なものだ。

遠い昔、牛乳を飲まない幼子に、よほど強い危機感を感じたのだろう。
私が大人になっても、母は毎晩、私に牛乳を飲ませようと奮闘していた。
認知症が徐々に進み、色んなことを忘れたり、少しずつできていたことができなくなっても、夕食の時、大きなグラスに「濃縮紅茶の牛乳割り」を作り、ストローを差すという作業を、母は何より重要な任務と心得ていた。
濃縮紅茶の量を、長い時間をかけて慎重に加減していた母の姿を、今もありありと思い出せる。
あれは、ただひとつ残っていた、そして実家を離れるまで母が握って離さなかった「娘のためにしてやれること」だったのだなと、今になって理解した。
ときに重過ぎて見当外れで困ってしまうことも多かったけれど、親の愛は他に代え難くありがたいものだ。

両親が実家からいなくなってすぐ、私は母が契約していた、週に二度の牛乳配達を断った。
牛乳を主に飲んでいたのは父だったし(何故か父のほうは濃厚な牛乳が大好きで、それで甘くないミルクコーヒーを作り、毎日職場に持参していた)、自分ひとりの分ならば、必要なときに必要なだけ買えばいいと思ったからだ。
でも先日の夜、その牛乳屋さんから電話がかかってきた。
1本でも2本でも、また再開してくれないか、と仰る。
いろいろと厳しいのだな、と察した。
私は深夜まで作業をするので、午前3時頃、暗闇の中を配達に来られる姿を何度も見ている。
ガラス瓶をガチャガチャ鳴らしながら軽トラでやってきて、懐中電灯で足元を照らしながら牛乳びんをボックスに入れる……その音と光景を思い出すと、胸がギュッとなった。
何となく、母が変化球で「牛乳をしっかり飲みなさいよ!」と言ってきたような気もして、これもご縁だからとお願いすることにした。
低脂肪乳を、週に2本。
油断するとたまってしまうので、毎日きっちり飲まねばならない。
チョコレート味のシリアルと濃縮紅茶を、再び買ってこようと思う。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。