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ちょいちょい書くかもしれない日記(許す)

私はわりと経験したことを忘れないほうだ。
いいことについても、悪いことについても、とにかく憶えている。
別段、そうしようと努めているわけではない。
単純に長期記憶の容量が大きく、門番がルーズなのだろう。すぐにそっちへ入ってしまうのだ。
それだけに、なかなか怒れない性格も手伝って、以前は何年、ヘタをすると何十年分の憤りを全部まとめて、突然猛烈に怒り出す……というよくない傾向があった。
何がよくないって、怒られる相手は、自分がやらかしたことをそんなにいつまでも憶えていないのだ。
誰だって、とっくに忘れたことを「やったでしょ、言ったでしょ」と理路整然とリストアップして責め立てられたら、たぶん困惑するし、場合によってはむしろ腹立たしく思うだろう。
「そのときに言うてくれや!」
そのとおりだ。
さすがにいけないなと気づいて、ここ20年ほどは、できるだけ即時、小出しにするようにしている。
逐一、でも理屈をきちんと通して怒り、怒る前に落とし所をどこに据えるか決めておく。
だいたいそれで何とかなるというか、自分の中で、「この件についてはもう怒ったから処理済みの箱へ」とこまめに移せるようになった。

上手に怒る練習は、幼い頃からしておいたほうがいい。つくづくそう思う。
子供時代の私は、いつだって弟に何かやらかされては、「お姉さんなんだから、我慢してあげなさい」「いつまでも怒っていても仕方がない、許してあげなさい」と言われ続けていた。
正当な理由があっても、私が怒ったこと自体を咎められすらした。
怒りのレベルと持続時間を、親に勝手に定められていたのだ。
勿論、子供ふたりをほぼワンオペで育てていた母にとっては、子供のケンカほど煩わしいことはなかっただろう。
早々にやめさせたい、その場合、理屈を言ってもまだわからない弟ではなく、言えば理解できる姉のほうに我慢させようと思うのは、これまた自然なことだ。
別に責める気持ちはない……いやあるな、まあまああるが、それはおいて、やはりあれはよくなかったと思う。
怒る理由がある場合には、子供は怒りたいだけ怒るべきだ。
その子には、そうする権利がある。
怒って怒って怒り続けて、疲れ果てて、それなのに何一つ打開できず、友達をなくし、なぜか被害者のはずの自分の評価が下がり。
こりゃあんまり粘る値打ちがないな、どうすればよかったのかなと考え始める。
それを何度か繰り返して、いつ怒るか、どれだけ怒るか、いつ許すor諦めるか、許すための条件は何かを自分の中で組み立てることができるようになる。
勘違いで怒ると、あっという間に相手と立場が入れ替わる怖さもいずれ知るので、相手の話を聞く用心深さも備わるだろう。
そしてそういう訓練は、できるだけ早く始めたほうがいい。

アンガー・マネージメントを、怒りを抑える方法だと思っている人がいるようだが、そうではなかろう。
きちんと怒るべきとき怒るべき相手に怒り、怒りの内容と自分の感情を言葉で伝え、相手の話も聞き、誤解や行き違いがあればそれを共有し、自分にも非があると理解できればそれを認め、納得できる謝罪と償いの条件が整えば、正しいタイミングで矛を収める。
その一連の判断力を身につけることだと、私は考えている。
めちゃめちゃ難しいやんな、そんなん。
言うは横山やすし君やでほんまにー。
でも、どうせ心を決めて怒るなら、現状より少しでもいいところに着地させたい。
切実にそう思うので頑張ろう、こつこつ。


こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。