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ちょいちょい書くかもしれない日記(ソフトクリーム)

ようやく母の施設が面会可能になった(感染症発生で面会差し止めが続いていた)ので、書類にサインを貰う必要もあり、会いに行った。
職員の方々は、皆さん笑顔で迎えてくださる。挨拶の声も無駄に大きくなく自然なのがいい。
母は何故か職員さんたちのワークステーションのカウンター前で、車椅子に座って寝ていた。
おいおい、そんなとこで寝とるんかい。
「ここが落ち着くみたい。お仕事なさっている気持ちなんだと思います」と、カウンターの中の介護士さんが笑っていた。
たぶん、ほぼ日課なんだな、と察する。
カウンター前には、他にも車椅子のパイセンたちが何人かおられて、これは職員さんたちにとってはおそらく、「ベンチに座っていたら前に鳩がおる」くらいの感じなんだろうなと思った。
母は私が会いに行くといつも眠そうなのだが、今日は初手から寝ていたため、居室に連れていっても、トイレからのベッド直行である。寝る気まんまんだ。
何度か名乗ったが、「はあ、覚えてますよ」と言いつつ、徹底して敬語で応対する母。
覚えてはいるが、認識してはいないというやつだ。
いや、それはそれとして、書類。本日のメインイベントにして回避不可クエストである。
横になる前に! これだけはお願い!
と、一応、それが父の銀行口座を解約するためのあれやこれやに必要な署名です、と簡潔に説明して、サインをしてもらった。
施設に入ったばかりの頃は、お金の話になると驚くほどシャキッとしたものだったが、今日は、「これは手続き上は私が相続するけれど、税金を払って残ったお金はすべて、お母さんがここで不自由なく暮らせるよう、それ用の通帳に入れますからね。安心してね」と言っても、どうでもよさそうな顔をしていた。
むろん眠いせいもあるのだろうが、こうして少しずつ関心事が減っていくのだな、と実感する。
サインの字も、ボードで書きづらかったこともあり、ずいぶんと乱れていた。
初夏には、驚くほどしっかりした字を書いていたのにな。
書類をもたもたしまい込んでいたら、「もういいんでしょ? いい加減寝かせてください」と若干怒り気味に言われてしまった。
職員さんたちには、もっと優しゅう言いや。
早くも目をつぶってしまった母に、「ご協力ありがとうございました」とねんごろにお礼を言い、猫たちの新しい本を短くプレゼンして、枕元に置いておいた。

「あら、もうよろしいんですか?」
介護士さんが意外そうに声をかけてきたので、「また寝ちゃって」と答えたら、「せっかくいらしたのにねえ」と気の毒がられた。
まあ、家、そこそこ近いんで。大丈夫っす。
皆さん、柔らかい表現を心がけておられるようでハッキリとは仰らなかったが、母には夜間の徘徊が出ているらしい。
「昨夜も、お部屋を出てずいぶん歩いておられましたから、お昼間、眠いんでしょうね。できるだけ話しかけて、起きていただくようにしてはいるんですけど、お食事が済んだら眠いのは、私たちも一緒ですしねえ」
ああ、なるほど。それでカウンター前配置だったのか。
ちょいちょい声をかけて、爆睡を妨げてくださっていたのだな。
一時期、飢えた猫みたいに欲していたお菓子も、最近はそうでもないようで、「溜まってきたのでしばらくいいです」と言われた。
ああ、お金に続いて、食への執着もなくなってきたか。
日々の食事も、自力で完食してはいるが、食べ物をぐちゃぐちゃに掻き混ぜてしまったりするらしい。
職員さんが「ちょっと混ぜちゃったり」と仰るからには、実際は相当やらかしているに違いない。
テレビを見たがることも、もうないそうだ。
病に倒れた1年ちょっと前までは、私が湯むきしたトマトを悩みながらも三等分できるように切り分け、しょっちゅうしくじって炊飯器を罵りながらも(パーフェクトに濡れ衣)かろうじてご飯を炊き、テレビを見てあれこれと意見を述べ、世間話をしながらお箸で普通に食事をしていた母が。
もう、そんなになってしまったのか。
目の前に居るのが、言葉を交わしているのが、生まれてからずっと母であったその人であること。過去と今が地続きであること。
毎日会わなくなったことも手伝って、わかっていながらもそう感じるのが少し難しくなりつつある。
いやもう誰なんだこの人、と思ってしまうこともある。
母の心は、まだその身の内にあるのだろうか。
ずいぶんと苦しかったとは思うけれど、ごく短期間の闘病で死んだ父と、こんな風に人間としての思考や情緒を少しずつ失っていく母と、どちらが幸せなのだろうな、とつい考えてしまう。
無論、答えなど出ようはずもない。
ただただ、今の母の生活を支えてくださる施設職員の方々への感謝がつのるばかりだ。

またしても茫洋とした気持ちで、皮膚科と調剤薬局とスーパーマーケットに立ち寄った。
皮膚のトラブル、それも顔で、ブツブツとガサガサと腫れと痒みが主症状というのは、けっこうメンタルを下げるものだ。早く治したい。
スーパー併設のカフェでソフトクリームをカップで買い、駐車場で、あつあつになった車内が冷えるのを待ちながら食べた。
冷たくて甘くて優しい食べ物。
生きていくんだ それでいいんだ ……という玉置浩二の「田園」がカーステレオから聞こえて、そうだよな、ほんとにそうだよな、と思った。
思いがけないところで、歌は心を助けてくれる。


こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。