母の日に
今日は母の日。
地元ではスーパーのカーネーション売り場に少し行列がありましたが、それ以外は、さほどいつもと違う様子はなかったです。
私は両親の買い物に付き合い、夕食は焼肉をご馳走しました。
母とは巷の話をあれこれし、賑やかに過ごしました。
ふと母は言いました。
「みんなのために長生きしようとは思っているけれど、それはそれで家族は大変なのかね・・・」と。
私は帰宅してその言葉を思い出し、母がいなくなったら、どうなるのだろう。と初めて冷静に考えました。
父が残されていれば父が寂しくなりますし、身の回りのことはなかなか自分でできないと、想像はつきますが、そう言うことではなく、<私にとって>どうなるのか。それを想像したのです。
私は一人っ子です。
思えば、女性同士の共感ができる話は、母としかできていない人生でした。当たり前ですが、姉妹はいないですし、主人も、父も、そして我が家の子供二人は、男性です。
男性というのは、大体全てに意味があるか無いか、のフィルターを通して話をする合理主義者、と思っています。男性脳というでしょうか。
女性はハンカチ一枚、のプレゼントが些細なサプライズですが嬉しい。そんな話をしますと、主人や息子は、「ハンカチが無かったのか」「ハンカチが欲しかったのか」ということを言います。
ささやかな思い、そこに宿る気持ち、が嬉しいこと。それがあまりピンとこないようです。
そんな話で共感し合えるのは母と娘。
そしてそんなこと以上に、私のこれまでの人生で、辛い思いや壁にぶち当たった時、私と同じ、いや、それ以上に胸を痛めてくれたのは紛れもなく母であった、と確実に思っています。母親というものが、そうなのかもしれませんが、それも一つの共感力ですよね。
女性の方がその能力に長けているのでしょうか。
そんな母には、やはりまだまだ相談したいことや聞いてほしいことが、これからも沢山あると思っています。
健康第一で、長生きしてほしい。そう願います。
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