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こんぴら狗になりたい。猟犬マイヤーが琴平に飛んだ❗


 香川県琴平町の金毘羅宮。古くから「さぬきのこんぴらさん」として知られた地にかつて、代参のため訪れた犬たちがいた。首に「こんぴら参り」と書いた袋を付けた犬は、旅人に託されて遠い道を歩き、飼い主に代わって参拝。無事に務めを果たすと、再び自分の家を目指した。長く苦しい旅を続けた犬は、金毘羅宮で何を見たのか。山育ちの猟犬マイヤーが、参道から御本宮まで785段の石段に挑んだ。



参道から金毘羅宮を目指す

代参犬を支えた善意のリレー


旅人に連れられた犬。歌川広重「東海道五十三次」から

 自由な移動が制限されていた江戸時代。「こんぴら参り」は、伊勢神宮(三重県伊勢市)を参拝する「お伊勢参り」と並ぶ庶民の夢だった。
 すべての行程を歩き、宿屋に泊まる旅は多額の費用がかかる。お金のない人たちは「講」と呼ばれる組織をつくって資金をため、毎年代表者を金毘羅宮に送り出した。
 たとえお金が用意できても、病気などの事情で旅をあきらめた人たちもいる。「こんぴら狗」は、そんな飼い主に代わって金毘羅宮に向かった。
 琴平町観光協会などによると、犬が首にかけた「こんぴら参り」の袋には木札や初穂料のほか、えさ代にするお金も入っていた。家を出た犬は、旅人から旅人へと引き継がれ、街道筋の人たちにご飯を食べさせてもらった。
 当時は、こんぴら狗の世話をすることが功徳になると考えられていたようだ。四国八十八カ所を巡る遍路は、今でも飲食や寝泊まりの接待を受けている。江戸時代には、犬であろうと参拝者を支えようという優しい人たちがいたのだろう。
 こんぴら参りの袋に入れたお金は、帰ってきたら増えていたこともあったという。

参拝に出発。階段登りは楽ではない

参拝を急ぐマイヤー。きつい石段が続く

 5月14日、午後1時。マイヤーは参道口から石段に入った。気温は25度だが、日差しが強い。観光客の中には、暑さ対策で日傘をさしている人もいる。年がら年中、厚い毛皮を着ているマイヤーは、早くも「はぁ、はぁ」している。
 785段の道は、けっして楽ではない。何度も水分補給をしながら歩く。
「かわいいね」。若い女性に声をかけられても、愛想を振りまく余裕がない。なにせ、こんぴら狗の追体験である。ここまで車で乗り付けたからには、少しは苦労しないと恰好がつかない。

すげ笠に日傘。金毘羅宮は初夏の装い

 金毘羅宮は有名な観光地だから、石段沿いにはたくさんの土産物店がある。お菓子の「灸まん」「かまど」「べっこう飴」、香川名物の「讃岐うどん」、おいしそうな地酒。外国人観光客を狙ってか、模造日本刀や着物も並んでいる。
  江戸時代もやはり、同じような眺めだったに違いない。マイヤーはうどんやアイスクリームのにおいを嗅ぐ度、思わず足を止める。昔は、店でおやつをもらったこんぴら狗もいたことだろう。現代の犬に、そんなチャンスはない。命がけの代参と、単なる観光では重みが違うのである。
 それにしても暑い。私も「はぁ、はぁ」言いながら、ひたすら歩く。中国語を話すグループが「なんてこった。日本はもう真夏かよ」(おそらくこんな意味)とぼやきながら、空を見上げている。

土産物店に並ぶお菓子


こんぴら狗と対面

 大門を通り抜けると、日陰で少し涼しくなった。477段の鳥居近く。マイヤーが石段わきに立つ銅像を見つけ、ヤマドリを追うときのように動きを止めている。これこそ、大先輩の「こんぴら狗」だ。高さ約80センチ。にまったと笑った顔がかわいい。
 通りかかった人たちは、銅像を見て微笑んでいる。近くに案内看板があるから、その由来はすぐ分かるのだ。
 


これが「こんぴら狗」
「会えて光栄です」と、マイヤーが感激する。

いよいよ参拝。そこでは何が見えたのか

 マイヤーはさらに歩いた。石段はどこまでも続き、空まで届くように見える。金毘羅宮は海抜250メートルというが、歩いている感覚だともっと高い。時代を感じさせる石灯籠や、寄進者の名前が入った石塔。数えきれない人々が踏みしめた石段は、不規則にすり減っている。
 

こんぴら狗の足跡をたどる
先は長い。石段が続く

 

目的の場所。ここに、多くの代参犬が来た

 歩き始めて約1時間。マイヤーはついに、御本宮に到着した。この場所こそ、全国各地から来た「こんぴら狗」の目的地だった。当時、江戸から金毘羅宮までは、最低で片道40日前後かかったとされる。
 生まれて初めての旅に出た犬たちは、どんなに心細かったろう。
 それでも、見知らぬ土地を歩き、船に乗せてもらって四国に渡った。旅の途中、命を落とした犬もいた。ただ、飼い主のため、一生懸命続けた旅の終着点が金毘羅宮だったのだ。



目的地の御本宮
無事参拝を終えてくつろぐマイヤー

人気を呼ぶ犬の縁起物

 立派な御本宮で参拝をすませたマイヤーは、境内で変わったおみくじを見つけた。その名も「こんぴら狗おみくじ」。初穂料は税込み300円だ。
 お札を授けてくれる窓口には、幸福の黄色いお守りとこんぴら狗のセットも並んでいる。そういえば、石段の途中では、犬用の讃岐うどんを売る店があった。
 恐るべし、こんぴら狗。代参がなくなった現代でも、犬たちのけなげな物語は商品化という形で伝えられているのだ。
 本来、神社の境内は神聖な場所で、ペットの立ち入りを禁じているところが多い。犬がおおっぴらに歩け、偉大な先輩の徳をしのべる金毘羅宮にはおおらかな雰囲気がある。
 こんぴら狗にとって、ここは自分の家のように安らげる場所だったに違いない。

こんぴら狗おみくじ


お守りとこんぴら狗のセット。これはポスター


犬が泣いて喜ぶ讃岐うどん

日本人の心の遺産

 江戸時代、たった一匹で家を出た犬が、人々の善意で代参を果たした。そんな、素敵な動物の旅が世界のどこにあるだろう。
 日本人はかつて、自然と人間、動物と人間を同列に扱い、物言わぬ犬でも「こんぴら狗なら助けてやろう」と大切にしていた。
 こんな素晴らしい文化は、明治の文明開化とともに消滅していく。
 「雪女」や「耳なし芳一」で知られる作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本独自の文化が西洋文明の前にすたれていくことを嘆いた。
 「日本にこんなに良いものがあります。なぜ西洋の真似をしますか」
 ハーンは島根県松江市で士族の娘と結婚し、生活のすべてを日本風にすることにこだわった。ハーンがもしこんぴら狗を知ったら、どんな物語を紡ぎ出しただろう。
 「こんぴら狗」になったのは、飼い犬ばかりでなく、野良犬もいたという。しかし、明治以降、野良犬は「衛生に悪い」という理由で、無慈悲に狩られた。人々の情けを背に旅をしたこんぴら狗も、歴史のかなたに消えてしまった。
 御本宮前の境内からは、讃岐平野を一望できる。昔、代参を果たした犬たちも、ここでのどかな風景を見たことだろう。犬たちは疲れをいやす間もなく、また遠い旅に出た。
 どれだけの犬がこんぴら狗になったのだろう。犬たちは飼い主と再会できた瞬間、うれしさと懐かしさで全身を震わせたに違いない。

金毘羅宮から望む讃岐平野の眺め


石段を下る人たちを見送る。こんぴら狗はいつでもここにいる。







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