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『わたしはわたし。ありのままを受け止めてくれるか、さもなければ放っておいて』

 ぼくが営むコーヒースタンドでは「I am」と書かれた伝票をわたしています。そのフリースペースにその方自身を表す言葉や絵などを自由に記入してもらっています。改めて問われることのないそのなげかけに、みなさんの表現はさまざまでユニーク。

 でも、最も多い表現は、「名前」と「わたし」

 他のどんな表現を用いようと、「わたしはわたし」。この「わたし」をそのまま含み表すのが「自分の名前」。つまりは、そうゆうことですよね。

 わたしはわたし。自分は自分。
 だがしかし、その「わたし」なるものが何よりも問題です。
 英語の一人称は1つだけですが、日本語の一人称表現は多種多彩です。その代わり、英語の三人称は20以上の表現が生まれているそうです。それに対して日本語ではどうでしょう?彼、彼女、彼ら、だけ。男性への呼びかけ、女性への呼びかけ、複数形のみ。せっかく「自分とはこのような存在である」と示すことができるのに、その本人の表現を受け止め呼応できる三人称がありません。それではまるで、「自分をどう言おうと構わないけれども、結局あなたの存在は“これ”ですからね」と、相手の言葉を受け止めるのはおろか、その意味を認識するつもりすらないように感じます。

 素直なありのままのわたしを、あれこれと評価しようとしたり、「わたし」ではないものにしようとするくらいなら、放っておいてほしい・・・そんな思い、抱いたことありませんか?

 ぼくは、常々思っていました(笑)

 そんなわけで手に取ったのが、この本です。

I am what I am. Take it or leave me alone.
わたしはわたし。
そのままを
受け止めてくれるか、
さもなければ
放っといて。

 このタイトルはこの本に収められている名言の一つです。ここに載っているのは昔っからの格言ではなく、自分の人生を生きた人たちそれぞれの立場から紡がれた言葉です。共感できる言葉もあれば、そうでない言葉もあるかもしれません。ぼくは、『ん?』と思った言葉に関しては相手が一体何を観て感じ、どこを見つめているのか、つつつっと相手に寄ってみて、相手の側に立って観てみようとイメージしてみることにしています。

 たぶんですが、相手のそのままを受け止めるということは、相手を肯定することではなく、もちろん否定することでもなく、肯定も否定もせず、自分の勝手な判断を差し込まない、ということだと思います。勝手なレッテルを貼り付けない。決めつけない。例え、そのレッテルが自分にとってどんなに好ましいものであったとしても、です。そのままを受け止めるということは、そうゆうことだと思います。相手の言葉をそのままに受け止める。だけど、言葉の表面にとらわれないこと。自分と相手の言葉の意味は異なります。言葉の意味を決めるのは、それぞれが触れて歩んできた人生だからです。異なる人生を歩み、異なる感覚をもち、異なる感性を持っているもの同士、お互いの言葉の意味は異なります。だから、そのままを受け止める。ただそれだけ。「そう言ったということは、つまり、こうゆうことだ!」と考えることは、もう自分の考えであって、相手の考えとは別物です。

 これは、共感できた言葉も実はそうです。『自分と同じだ!』と、どんなに親しく感じたとしても、全く同じではありえない他者同士。「同じだ!」という自分の思いはあくまで思い込みでしかないのです。

 同じように見えるところにある違いを楽しみ、違うように見えて実は似ているところを喜びあい、違いを違いのままに受け止める清々しさ、感じたことありますか?

 それは、きっと音楽に似ているかもしれません。違う、からこそ生まれるもの。自らの響きを相手に届け、相手の響きに呼応することで生まれるハーモニー。自然って、そうしたハーモニーのことかもしれません。それに気づかないままでいるのは何とももったいない、そう思いませんか?

ほとんどの人は、
自分の音楽を奏でることなく生き、
そして、死んでいくのです。
勇気を出して、
奏でようとすることなく。
  メアリー・ケイ・アッシュ
 (化粧品会社創設者/アメリカ)


 おまけの呟き。

 ぼくはぼく。女の子なんかじゃない。「なんか」とはとても失礼な言い方で女の子たちには申し訳ない。それでも、そう言ってしまいたくなるほどに、「女の子って可愛くて良いよね」みたいな押し付けは全くもって見当違いも甚だしかった。ぼくは女の子であったことなど一度もなかった。だからって、わんぱく男子じゃないよ。強いて言うのなら、ぬいぐるみをなんとなく男の子の自分として投影して遊んでいた子ども。セーラームーンよりガンダムの方がよっぽど面白い、そう思っていたぼうや。ずっと自分を表せる言葉が見つからなかった人。それが、ぼく。わからないけど、そんなよくわからない自分を「ぼく」という言葉に込めて生きてきた人。


ぼくはぼく。そのままを受け止めてくれるか、さもなければ放っといて。


わたしはわたし。
そのままを受け止めてくれるか、さもなければ放っといて。

アルファポリス編集部・編 2010年(初刷)

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