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生命(いのち)がまま

無意識のうちに「自分自身」と思っている心、意志、身体。
身体は思考や意志によってコントロールされ、「私」が人生を生きている、という思い込み。

本来この場であふれ出てくるはずの生命の表現・働きを、その「思い込み」が阻害しているとはなかなか気づけない。
というか、社会のシステム・成り立ち自体が、その「思い込み」を前提に形づくられている。

いや実際にそれで社会が機能しているので、それ自体も生命の自然な表現であるという見方もあるかもしれない。

「思い込み」や「意志」が介入・干渉しない時、生命(いのち)本来のはたらき、活動、表現が、この場でさまざまな現象として立ち現れる。
既に「わかっている」ものや、理想とする状態とは異なる、未知なる、新鮮な現象が立ち現れる。
生命のふるまいに繰り返しはなく、つねに新しい形として表現される。

人間の日常も、「思い込み」や「意志」が介入・干渉しない「生命がまま」に展開すれば、きっともっと創造的な活動として表現されることだろう。

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