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いのり

生命は生きるべくして生きている。
現象は、エネルギーが様々なバリエーションで顕現しようとする様(さま)として感じられる。

人が望む、自己実現や成功願望と呼ばれるものも、その根本由来は、源泉のエネルギーが顕現しようとする勢いだと感じる。
しかし、多くは、自分は無力であり、他から何かを得ないと実現できないという本来とは真逆の「誤解」にとらわれ、様々な情報に影響をうけているため、実現に向けた計らいはおおよそ統合ではなく破壊に向かい、延々と同じループを繰り返している(これが「輪廻」と理解している)

僕自身でいえば、若い頃はさんざん願望実現に向けた取り組みを狂ったようにやり続け、結果、ある種の自己崩壊に行きつき、そこから「そもそもこの自分という現象はなんなのか?」という根本の疑問に突き当たり、そして自分なりに現象の構造を理解し、今にいたるという経過があり、すべては必然の経験、経過だったのだと思える。

話がそれてしまったが、何を言いたいかというと、
「祈り」というのは、生命のはたらきそのものなのだなーと。
ここで言う「祈り」とは、自己中心的な願望実現に向けた神への依存ではなく、純粋に生きとし生けるものの健やかな生を願うこと。
最近感じるのは、これまで縁してきた家族、親族、知人などが、元気に健やかに生きられることが、自身にとっての一番の喜びだし、もっといえば、多くの生き物、ありとあらゆる現象が、のびのびとそれぞれの生を全うする様(さま)が本当に幸せだし、そうあってほしいと思うのだが、これって、結局、生命エネルギーのはたらき、ベクトルそのものだよなーと。

ちゃんと生きたいんだよね。現象は。生命は。
だから、自分自身のことを誤解して無駄に得ようとしたり、対立したり、奪い合ったり、同じループにはまってぐるぐるしたりと、生命エネルギーを無駄に使って滞るのはもうたくさんだよーと心底想う。
これは今の個々人のエネルギーの状態でもあるし、イコール、人類全体のエネルギーの状態でもある。
でも最近はさすがに行きつくところまできて、ほころび始めてるかな。

自然は、生命は、本来の流れを取り戻そうとはたらき続けている。

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