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待つこと
自然な動きや感応は、「~しよう」という意図の中では生まれない。
韓氏意拳でも
「しようとしないでください。待ってください。まだまだ、待って。」
と指導される。
「待つ」というのは、とてもあたりまえの言葉であり、概念でもあるけれど
自分を振り返ってみれば、「待つ」という状態に在ったことはなかなか少ない。
例えば、散歩のとき、スナップ写真を撮る時も
けっこう「意図的に」撮っている。
この切り取りであれば絵的に落ち着くし美しい構図になるなぁ、という
もともと自分の中にある「良い画」になるよう、フレームとピントを調整してシャッターを切る。
すると出てくる画は、ある意味予想通りの「画」となり、落ち着く、みたいな。
しかし、これを繰り返していても、しっくりこない。
過去(記憶・自分の良い画の基準)をなぞることを繰り返すだけなので、飽きてくる、という状態に落ち込む。
結局、自分がこれまで写真を撮ってきたプロセスは、ほとんどがそれで、だから7~8年経った頃から、写欲が急に減退してきたのだろうと思う。
自然に「撮る」、自然な感応として「撮る」ということはなかなかできていなかったのだ。
意図的な計らいなしに、ただ待って、自然にシャッターを切る
ただ待って、「自然に」体を動かすことができるようになるのが
今の切なる想い。
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