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vol.10 農業の価値を高め続けるファーストペンギン 〜サラダボウル:田中進さんのはじめの一歩〜

ミチナル新規事業研究所、特派員の若林です。
組織に潜む「ファーストペンギン」が一人でも多く動き出して欲しい!という想いで知恵と勇気を与える記事を定期的にお届けしていきます。
第10号の記事では株式会社サラダボウルを立ち上げ、農業の価値を高め続けている田中進さんのはじめの一歩を紹介します。

農家の息子であることが恥ずかしくて、金融の道に進む

山梨県で生まれた田中氏の実家は専業農家であり「絶対に農家になるな。」というのが両親の口癖だった。「農業は儲からない」という愚痴が深刻に農家の間に渦巻いていた時代だった。



そんな環境で育ったため、実家が農家であることは「恥ずかしい。コンプレックス」といったネガティブなものばかりだった。学生の頃から一刻も早く田舎を抜け出し、都会に行きたいと考えていた彼は大学卒業後、東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行した。

入行から3、4年すると、新規開拓を担当することになった。当時はバブル経済が崩壊し、銀行は貸し渋りや貸し剥がしに走っていた時代だった。攻略するべき相手は無借金経営のような優良企業ばかりで、「難攻不落。歴代担当者がドアを開けられなかった企業ばかりでした」と語る。

この「無茶なミッション」に応えられるよう、「経営者と話をするための準備」として、新聞や業種別の収益構造などをまとめた銀行向けの分厚い専門書を「全部暗記しよう」という勢いで読み込んだ。

体の中にある”農業のDNA”には逆らえなかった

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事業構想大学_インタビュー記事より

その後、経営をより深く知りたいと外資系のプルデンシャル生命保険に転職をした。「銀行の時は経営者の表の顔と付き合い、保険では裏の顔とつき合いました。」と語る田中氏。


企業は銀行と接する時に良い面のみを見せようとするが、保険会社と接する時には、ありのままの悩みを話してくれるという。彼は経営者の悩みを聞き、助言するようになった。時には経営会議に出席し、決算書の書き方のアドバイスもした。



経営コンサルタントの仕事で手数料をもらっていたわけではないが、助言によって経営が改善した相手は「何かあんたのためにできることはないか」となる。それが保険の販売に結びつく。経営者同士の紹介で田中氏の評判は広がり、業績は右肩上がりであった。
脱サラをし事業を立ち上げる直前の年収はなんと7000万円に達していた。

仕事を通して様々な経営者に出会うことで彼の中に眠っていたある想いに火がついた。
それは「農業をやりたい」という想いだ。

農業に対して抱いていたコンプレックスは仕事をしていくうちに変化をしていた。


大手銀行、外資系生命保険会社で営業マンとして華々しく活躍していた田中氏であったが「いつも心のどこかで満足していなかった。駆け引き、建前、理屈の世界のビジネスに感動を得ることはできなかった。」と語る。


そんな中、脳裏に浮かんだのは自身が作った野菜を堂々と自慢する父の姿だった。反対にハウスの温度管理に失敗してさくらんぼが全滅した時には、「チクショー!」と叫ぶとかぶっていた帽子を地面に投げつけ悔しがっていた。幼少期に見た、感情をあらわにするほど仕事を夢中でやっていた父がかっこよく思えてきたのだ。

「美味しいものを作った時にはみんな素直に喜んでもらえる。農業こそ、素晴らしい仕事なんじゃないかって思うようになったんです。たぶん、僕の中の”農業のDNA”が目覚めたんだと思います。」

その想いに気がついてから、仕事をしていても考えるのは農業のことばかりだった。様々な産業の課題や解決方法を見ながら、農業に置き換えて考えるクセがいつの間にかついていたのだ。

「あのレストランのホスピタリティーを農業の世界に取り入れたら、どこまで可能性が広がるだろう。」や「この企業の事業計画を農業に置き換えたらどうなる?」といったようにだ。

そして「羨ましがられる、憧れられる、農業の新しい形を作る」という人生のミッションが決まり、2004年、名古屋での10年間のサラリーマン生活に終止符を打ち山梨県に帰郷。着々と準備をしてきた事業計画をもとに、農業生産法人、株式会社サラダボウルを設立した。



農業にサラリーマンとしての経験を活かす

実家とは関係なく、耕作放棄地を開墾して畑にすることから事業は始まった。雑草ばかりが生え
、まともな野菜が収穫できなかった。人手が足りず、どれほど働いても成果が上がらなかった。従業員を採用してもすぐに辞めていく。

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DIAMOND Online記事より

悩んだ田中氏は拡大路線を止め、サラリーマン時代に学んだ知識を農業に落としこむ取り組みを行った。人材育成と5S活動に取り組み、マニュアルも整備し、栽培品目ごとに作業を整理、改善を繰り返した。その結果、無駄な作業が減って生産効率が上がった。計画的に生産・納品をするために生産管理を徹底し、従業員間で情報の共有もした。

この取り組みのおかげで、作物の品質も向上し、販売ルートも安定した。
創業時から黒字経営が続いている。

農業経営を担う人材育成も田中氏の目標の一つで、オンラインアグリビジネススクールをサラダボウルで展開している。本業が急拡大しているため、現在は主に社内人材の育成に力を入れ、外部向けは協力会社と提携してコンテンツを提供している。



海外も視野に農業の可能性を伝えていく

トマトに特化した戦略経営を展開するサラダボウルは、各地域から求められて事業を拡大している。

「栽培環境のいい場所とか、我々にとって都合のいい場所という観点は全くありません。農業は地域に根ざした産業で、地域に期待され、請われる場所に進出してきました。農業で幸せに生きることが重要で、働き手も自信と誇りを持って働き、作り出されたものが喜ばれる。これは地域づくりそのものです。農業はそれほど可能性のある仕事です。」と田中氏は語る。


実際に地域経済への影響も大きく、サラダボウルの進出したある地域ではパートを含めた従業員の雇用はもちろん地元金融機関、包装資源、段ボール物流会社などに収入をもたらしている。トマトの出荷のために運送会社では新規にトラックを2台買ったほどだ。

「農業は地域経済のハブになれる」という彼の言葉にも納得する。

こうした農業の可能性を海外にも広げようと考え、現在はベトナムでも事業を行なっている。気候、風土、文化、労働意識が違い、かつ設備資材なども手に入りにくいことから、立ち上げには苦労をしたが、2016年から栽培を始めることができている。

「農業は食糧供給から社会的課題を解決する手段になります。高齢化、福祉介護、健康、人手不足、食のあり方から心の問題まで農業が真正面から向き合える産業になる。私たちがそんな価値を創り出す一助になれればと思っています。」

自分の中で目覚めた”農業のDNA”に素直に、熱量を持って事業を前に進めてきた田中氏。地域から世界へ目を向け、農業という産業の価値を高める事業を広め続けている。



編集後記:夢中になって取り組んだ経験は全て未来につながっていく

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農業の価値を高め続けている会社「サラダボウル」を立ち上げた、田中進さんのはじめの一歩を紹介しました。

今回の記事を書いていて思ったことは夢中になって取り組んだ全ての経験は、その人の力になり、必ず役に立つ時が来るということです。
田中さんの経歴は、銀行員、生命保険会社職員、農業会社の社長と、一見すると何も繋がりのない業種を転々としている方のようにも思えます。しかし、農業会社の社長という現職に就くまでに経験したこれらの仕事は、遠回りではなく、全て必要なことだったのだと記事を書きながら理解することができました。


そして、全てに対して夢中になって取り組んできたからこそ、それらの経験が力になり田中さんを現職に導いてくれたのだと思います。

銀行員時代に”無茶なミッション”に対して、正面から向き合わず努力をしていなければ、経営者の方々に出会うこともなく、「農業をやりたい」という本当の想いに気がつくこともなかった。


目の前にある課題や困っている人に対して真摯に向き合い、熱量を持って仕事をすることでその経験が自分の力になる。そしてその経験が繋がって自分の本当にやりたいこと、自分らしく生きることの出来る環境へと導いてくれる。そんなことを教えてくれる、田中進さんのはじめの一歩でした。

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