見出し画像

パティシエたくとさん/一食千会


ミチムラです。

一食千会という企画をはじめて、1年以上が経ってしまいました。はじめたといってもまだほとんどなにもできていない状態で1年がすぎてしまったわけですが......

「あの企画、もっとやってほしいので、たのしみにしてますよ」

などというお声もいただいていたのに、長らく放置してしまい申し訳ありません......

というわけで、ひさしぶりのインタビュー記事になります。今回お話をうかがったのはパティシエたくとさん!!

大宮にある有名パティスリーの息子として生まれ、早稲田大学を卒業後、企業に就職をせずにパティシエへと進路をすすめ、兼業でYouTuberにもなってしまった異色のパティシエです。

今回はそんなたくとさんが、どのようにしてパティシエになり、YouTuberになっていったのかに追っていきます。

画像1

【経歴、修業時代について】

★大学~専門学校時代

ミチムラ:早稲田大学を卒業されていますが、そこからパティシエになるというながれが僕にはいまいち想像できませんでした。なにか心境の変化があったのですか?

たくと:大学3年のときに企業の合同説明会があって。そのとき、
「おれ、サラリーマンは向いてないな」
と思ってしまったんですよね笑
それで社長になろうと思ったんです。でも、ただの大学生がすぐには社長にはなれないじゃないですか。なんにも持ってないですし。それで実家がケーキ屋ということもあって、
「あ、継げばいいんだ!」
と思ったのがきっかけですね。

ミチムラ:めちゃくちゃ安易じゃないですか!

たくと:ほんとに笑
それで、親父に話してみたらとくに反対されるわけでもなく、じゃあ学校行けば?みたいに言われて。それで辻調を選びました。

ミチムラ:辻調を選ばれたきっかけはあったんですか?

たくと:2、3の学校を見ましたが、辻調の先生たちがいちばん現場のひとっぽくて。家がケーキ屋なんで、クリスマスなんかも手伝うこともあったりしました。先生たちの動きがいちばんそれにちかくて、食べたケーキもおいしかったので、そこで選びました。


大学を卒業し、製菓専門学校に入ったたくとさん。学業のかたわら、実家でアルバイトしながら、ほかのパティスリーでも働くようになり、そこにあらゆることに気がついたのだといいます。


たくと:学校に行きながら実家でアルバイトをはじめました。土日はもちろん平日もです。2学期のなかばには、ある有名パティスリーでもバイトを掛け持ちしました。でも実家で働くのと外で働くのとではおなじパティスリーでもわけが違いました。
そのパティスリーは規模がおおきくて、ひとつのセクションを学ぶのに2、3年ほどかかると言われました。パティスリーといえばセクションが4、5個もあります。それらをぜんぶできるようになるには単純に10年以上かかることになる。
でも個人店ならいろんな仕事を平行してやらないといけないから、覚えられる量がちがうことに気づいたんです。それに、そのセクションの仕事ができるようになれば、ほかの職場でもとなりで作業を見てるだけでなんとなく理解できるようになります。
当時、そのパティスリーから内定をいただいていましたが、そういう理由からも実家で働くことに決めました。

ミチムラ:実家のパティスリーで働く、という選択は正解でしたか?

たくと:実家では3年働きました。1年半でスーシェフまでなることもできましたし。仕事がおわったら親父と飯を食べて、親父がフランスで修業していたときの話だとか、あのシェフはどこどこの出身だからこういう系譜のケーキをつくるだとか、いろんな話を聞きました。親父の代は日本のフレンチレストラン、パティスリーの黎明期をくぐりぬけた世代です。親父もパリの3ツ星レストランでシェフパティシエをやっていたほどのひとです。そんなひととほとんどマンツーマンでやってたようなものだから、それはいい経験でした。

画像2

★渡仏

ミチムラ:その後、実家のパティスリーをやめられ、フランスへと修業へ行かれますが、ちょうどタイミングだったということでしょうか?

たくと:実家で働くとやめどきがなくなりますよね。だからフランスに行くことにしました。とはいえ、そのときにはすでに技術的には日本のほうがフランスよりもうえであることはわかっていました。フランスで修業、というあこがれもまったくありませんでした。
でも、フランスにプロのパティシエが通う専門学校があるのを知って、それには興味がわきました。
そこで数か月か学びました。残りの期間はパリのピエールエルメで修業もしました。技術面では親父に叩きこまれてきたのでまったく苦労しませんでしたし、エルメではすべてのセクションを短期間でまわることができたので貴重な経験ができました。

画像3

★帰国後

ミチムラ:帰国後はすぐに実家を戻られたんですか?

たくと:いいえ。帰国後は結婚式場で働き、その後、青山のピエールエルメで働きました。そのときちょうどエルメが改装を行ってアシェットデセールもはじめたときだったので、パリでお世話になったこともあって働かせてもらいました。
実家に戻ることになったのは帰国して2年後くらいでした。僕もそのころには実家を継ぐ意識みたいなものもあって。そろそろかな、みたいな。

でも実際にもどってみると、中小企業の弱いところがバンバン出てきて。最初の3年間修業していたときの自分と、もどってきたときの自分とでは考え方もだいぶかわっていました。
今後、原材料の原価もあがっていくし、ひとりあたりの人件費もあがっていきます。そういうことを考えていくなかで、拡大路線を歩んできた親父と、縮小路線を行きたい僕とでは考え方がまったく異なってしまったんですね。
それで税理士さんを入れたり、いろいろ話し合った結果、僕は店を出ました。

ミチムラ:社長にはなれなかったと。

たくと:そうです。ぜんぶパーです笑
でも、そんなこと言ってられないじゃないですか。食べていかないといけないし。それである大箱のレストランに就職したんです。でも、そこでお菓子をつくるという仕事が資産として積みあがらない仕事だと気がついて、このままだと体力と時間を消費するだけだと思いました。このままだとおれの人生やばいなって危機感も覚えました。それで、YouTubeを本格的にやろうと決意しました。

ミチムラ:ここでYouTubeが出てくるんですね!!

画像4

【YouTubeをはじめる】

ミチムラ:そのときはじめてYouTubeをやろうと思ったんですか?

たくと:YouTubeをやりたいと思ったきっかけはフランスにいるときでした。あるフィットネス関連のYouTuberの動画を観ていて、たしかそのときは登録者3,000人くらいでした。最初は自宅のガレージみたいなところで動画を撮っていたんですよ。それが回を追うごとにあきらかに家がよくなってたり、家具がよくなったりしている。そういう一連のながれを観ていて
「これ、けっこう稼げるんだ」
って思ったんです。Tシャツなんかもいっしょに売っていて、YouTubeは商品も売れるんだってことに気づいたんです。それはケーキに置き換えると、つくり方の動画をつくって、商品を売るっていうことになる。

ミチムラ:たしかにそのとおりですね。

たくと:でも、そのときはぼんやりとそう思っただけで。しかも日本に帰ってきたときはもう手持ちのお金がまったくなくて、機材なんかもそろえられない。そんなこんなで、そのことはすっかりわすれてしまったんですね。

ミチムラ:その後、結婚式場、ピエールエルメを経て、実家のパティスリーにもどったときにはYouTubeを意識してから2年ほどが経っていたことになります。

たくと:中小企業は広告宣伝、採用教育がほんとうに弱いんです。飲食業はとくに。実家にもどってそれを痛感しました。そうしたときにYouTubeの存在をあらためて意識するようになりました。
YouTubeで動画を撮ったら、お店のケーキの広告宣伝ができるし、お店の内装だったりスタッフの様子を撮ったら採用にもつながるし、作業内容も動画にしてしまえば教育もまかなえると思いました。でも、そのときは日々のルーティンワークですべてを使い果たしていたので、まったく手がまわせなくて。マイクとか機材なんかをなんとなく買いはじめるくらいで、それ以外のことはまったくでした。一歩踏み出す勇気もなかったんです。

ミチムラ:そうしたなかで実家のパティスリーと袂をわかち、レストランに就職したわけですね。

たくと:そうです。YouTubeなんてどうやっていいのかもまったくわからなくて、先延ばしにしていたわけですが、レストランに就職したときに、このままじゃやばい、勇気とかなんとか言ってる場合じゃないなと思ったんです。

【TikTokでバズる】

ミチムラ:YouTubeと並行してTikTokもされていますが、なにか戦略があったんですか?

たくと:TikTokはYouTube用に撮った10分くらいの動画を30秒くらいに高速再生したもので、そこに歌なんかをつけるだけで、それ専用に作り込んだというのではありませんでした。
ただ、Twitterよりも再生回数が多いことに気がついて、Twitterに先にあげたクネルの動画の反応がよかったからTikTokでもあげてみる、みたいな試行錯誤はしました。
そのなかのひとつの動画がバズってくれたので、そこからYouTubeのアクセスにながれてくれたりしました。


【お客さんをファン化する】

ミチムラ:パティシエや料理人がYouTubeをやることにおけるメリットはなんだと思いますか?

たくと:これからお菓子屋さんをはじめる、独立したいというひとはたくさんいると思いますが、そのまえにある程度自分のファンをつくらないといけません。それをしないままお店を出すのは本質的にギャンブルと変わらない。お客さんをファン化させてから商品を売る。そういう方法が主流になってくると思うし、ファンをつけるために動画を使うながれはこれからもっと加速するして、やがて王道になってくるはずです。

ミチムラ:お客さんとファンでは、おなじ消費者でもまるでちがいますよね。

たくと:そのひと自身に対してファンがついていけば、マグカップでもTシャツでも売れますよね。僕はB'zが好きで、ライブに行ったらタオルとか買っちゃう。稲葉さんも松本さんもタオルなんかつくってないのに。ライブや音源以外にマネタイズができて、それでファンがよろこんでくれる。そういう仕組みつくりが今後たいせつになってくると思っています。

画像5

【今後の目標】

たくと:動画編集ができるようになると、自分の動画をYouTubeにアップする以外にもマネタイズできる場面が増えるんです。

ミチムラ:どういうことですか?

たくと:これから飲食店のホームページは動画に移行していくと思うんです。この流れは確実にくると思います。ホームページだっていまはふつうにありますが、20年まえはほとんどの飲食店がホームページを持っていませんでした。それとおなじように、飲食店が独自に動画コンテンツを持つのがふつうになる時代がくると思います。でも、飲食業界はそのあたりの知識にまだまだ明るくない。そうなったとき、飲食業界にいて、動画について知識がある人間がひつようになってくる場面がくると思っています。だからゆくゆくは動画編集そのものでマネタイズできるようになりたいですね。

ミチムラ:単にYouTubeのためだけに動画を撮っているのではなく、そのさきのビジネスシーンまで見越して動画をつくっているということですね。

たくと:そうです。あとは軽井沢なんかにラボを持って、動画を撮りながらお菓子の研究をして、皿を焼いたり絵を描いたりしたいですね。皿のうえに載るものはつくれるので、ぜんぶできたらいいですよね。


【取材後記】

今回、たくとさんのお話をうかがい、いったいなんのためにYouTubeをやり、動画を撮っているのかを理路整然と説明してくださるその姿勢に感銘を受けました。

また、YouTubeをされていることを主軸に話をうかがおうと思っていると言ったときに返された言葉、

「でも、そもそもYouTubeをやるためにパティシエをやってきたわけではないからね」

僕にはこのひとことがおおきく響きました。自分のやってきたことがあたらしいコンテンツと親和性があり、そこに活路を見いだしたのです。
YouTubeはいまだに一獲千金のイメージがつよいですが、たくとさんはまじめにキャリアを積んできたうえであたらしい地平に立ち、そこを走っているのだと、今回のインタビューでわかりました。

チャンスとは、それをつかむ準備をしてきた人間にしかつかめないのでしょう。



たくとさんのYouTube、Twitterはこちらから!!!




写真 :パティシエたくとさん
聞き手:ミチムラチヒロ
文章 :ミチムラチヒロ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?