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エッセイ5./でたらめなひかり


ここ最近、朝方に眠る日がある。なにかを書いたり、調べたり、YouTubeを観ているとそんな時間になっている。

カーテンが開いていると、朝方の空気がすうっと青白くなってくるのが見えて、なんだかひどく不安になってくる。

入社時期が6月中旬にまで延び、生活が貧窮してきた。家にこもっていても、僕はあくまで生きているので、出費はする。

昼間、起きているのがだんだんとこわくなってきた。買い物のために外に出歩くと、ひとびとはこれまでとかわりない生活を送っているように見える。これまで品切れだったマスクが、徐々に店にならぶようになった。あんなに我先にと行われていた争奪戦は見る影もなく、積まれたマスクを横目に通り過ぎていくひとびと。それはまるで、コロナの終息を告げているかのように思える。

もう、ひとびとはふつうに仕事をし、ふつうにデートし、ふつうに旅行しているみたいに見えてくる。ニュースをほとんど観ないせいかもしれない。

立ち止まって、交差点を振り返ると、どこかに没しはじめた太陽がはげしくかがやいていた。でたらめなひかりだった。そんなひかりも、街も、交差点を歩くひとびとも、みんなでたらめだった。


だから夜になって、みんなが寝静まってから、僕は活動しているのかもしれない。昼間がこわい。家にこもり、外のひかりをながめていると、なにか閉じ込められているような気がしてくる。そんなのはまったく気のせいだとわかっているので、まだだいじょうぶなはずだ。たぶん。

最近、画材を引っ張り出して油絵を再開した。日々には変化が大切で、なにかここで文章以外の趣味をひとつ定着させる必要があると思ったのだ。

文章だけ書いていると、陰気くさくなってくる。なにか文章で表現している人間で、明るい人間などいるのだろうか。いるのだろう。僕が知らないだけだ。

こういうとき、根明の友人がいてくれたらいいなと思う。そういう友人がいないのだ。ここらで根明とはなにか、ちょっと学んでみようか。根明について学ぶ、という発想がすでに根暗でいやになる。


この文章を書くまえに、べつの文章を2000字ほど書いていて、気持ち書き足りなかったから書いてみた。1000字書こうとだけ決めて、ここまでなんのプランもなく、ただ書いてみた。ノープランはいつものことだが、ひさびさに文章を書いてみて、やっぱり書くという行為は気持ちがいい。この感触がないことには文章は書きつづけられない。


ミチムラチヒロ

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