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バックパッカー料理人 大野尚斗さん/一食千会

ミチムラです。

2020年1月、飲食業で活躍している方や若手の飲食業従事者、業界にかかわるさまざまな事柄をnoteに書いていきたいと発信したところ、さっそくすばらしい料理人の方とお話する機会を得ることができました。

今回、お話をうかがうことができたのは大野尚斗さん。

現在、世界中を旅しながら独立に向けて準備をしている30歳の料理人です。
来年の5月に独立される予定なのですが、さきに言ってしまいます。

このひとは来年には絶対に話題のひとになっています!!!

なのでいまのうちに先取りしておきましょう。要するに読んでください。よろしくおねがいいたします。

【noteについて】

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TwitterのDMを介してお会いする約束を交わし、そのあいだに大野さんの書いているnoteをすべて読ませてもらいました。おもにアメリカでの学生時代、修業時代、バックパッカーについての記事なのですが、文章から伝わってくる臨場感がすばらしい。

飲食業界は全体として発信の苦手な業界であり、料理人自身が文章を書いたり、なにか発信するということが極端に少ない。そのこともあってか、大野さんによって文章化された海外での修業、経験は読み手はこれまでにない新鮮さをあたえるのかもしれません。

飾り気がなく、自分を大きく見せたりすることのないありのままの文章にとても好感が持てます。それに書いている内容が数年も前のことなのに、つい先日修業から帰ってきました、みたいに感じられるリアリティーは文才があるとしか言いようがありません。

大野:「婦人画報の方に、なにか文章を書いてみたら? とすすめられたのがきっかけでした。自分たちがおもっている以上に、飲食業界の常識は一般の常識とかけ離れている。それで、いまやっていることを書くよりも修業や海外について書いたほうがよりキャッチーかなとおもってnoteを書いています。でも文章はあくまで手段であって、僕は料理人。本質がずれたらおわりです。独立するので、その宣伝も兼ねてやっています」

これだけ書けて、そう言い切ってしまうところに「僕は料理人なんで」という言葉の重みが感じられます。

大野:「でも最近は文章をほめてもらう機会が多いので、文章を褒められるのではなく、料理で褒めてほしいですね(笑)」

【修業について】

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大野尚斗さんは高校卒業後に福岡にあるフレンチレストランに就職。その後ニューヨークへ渡り、
料理学校「The Culinary Institute Of America(CIA)」へ入学。その後は
ニューヨーク「The NoMad Restaurant New York」シカゴ「Alinea」を経て帰国。
都内の会員制レストランでシェフを務めたのちにスウェーデン「Faviken」にて研修。
そのほか、各国を渡り歩いては食べ歩き、その土地のレストランで研修を繰り返している異色の料理人です。

大野:「古い考えかもしれませんが、僕は厳しい修業を超えてきていない人間が好きじゃない。なんでも基礎があって成り立つもの。厳しい環境にいないよりは、いたほうがいいと思う。こういう時代だからこそ、厳しいところにいた経験は役に立ってくる」

と、こともなげに言ってしまう大野さん。NoMadでの修業中、

「世界で一番きつく、厳しいレストランはどこ?」

とシェフたちに聞くと、みんなが口をそろえて、

「Alineaだね」

と言ったそうです。

するとさっそく研修させてもらうことにし、その研修を終えると就職まで決めてしまうという超ハードモードを選択。
Alineaのなにが厳しいのかというと、

・いかなる音も立ててはならない
・キッチンを歩いてはいけない(つまり常に全力疾走)
・何もしていない時間があってはならない
・私語厳禁

など、決められたルールそのものがハードすぎるところ。

研修でさえ過酷だった仕事が、就職するなりAM04:45にはキッチンにはいり仕込みを開始し、キッチンを出るのがAM03:00。22時間働き詰め、週に一日ある休みには3合炊きの炊飯器で炊いたご飯を一晩で食べつくし、そしてそれが一週間で摂る唯一の食事だったといいます。毎日レッドブル、あいまに栄養ドリンク、そしてコーヒーだけで乗り切っていたというエピソードは僕には想像することすらできません。

詳しくはAlineaでの修業時代のエピソードがまとまったnoteをご覧ください。ほんとうにすさまじいです。

こんな環境で、どうしてやっていけたのか。その答えは、

大野:「だってやるしかない」

でした。

大野:「ともだちも家族も、話し相手もいない状況。やるしかないんです。当時はそれすらたのしくもあったけれど。僕は自分を客観的にみれているほうだとおもっています。学校では宿題なんかやらなかったけれど、授業はきちんと受けるタイプでした。だから日本でみんなと同じことをするよりも、Alineaのようなところで働くのが僕にはあっていました。
でもいまAlineaに行ったところで同じ経験はできない。シェフも変わったし、席数も減った。いちばんいいときにいられたと思っているし、日本人でアリネアで働いたことがあるのは僕だけ。逆にラッキーでした。
ひとからしたら過酷な環境かもしれませんが、Alinea時代にいやと思うことはなにひとつありませんでした。
Alineaは一週間だけむりやり研修しに行ったのがはじまりですが、研修の最終日前にディナーをサプライズでご馳走になり、最終日に正社員として誘われました。それがとてもうれしかったですね」

しかし時代は変わりつつあり、働き方改革もあいまって、パワハラ、暴力の問題などが料理業界でもやっと減りつつある昨今。これから修業に出る若い料理人には、これまで行われていた厳しい修業や概念がだんだんわからなくなってくるのではないかと僕は思っています。

それについて大野さんは、

大野:「やる子はやる。僕の料理人仲間でも、28歳ですごい女の子がいる。そういう子がいるからたぶんだいじょうぶ。それに、がんばりたいやつだけがんばればいいんです(笑)。コートドールの斎須さんとか、そういう時代のすごいひとたちの世代にも、がんばれなかったひとはたくさんいたと思います。やりたい子はやって、勝手に伸びていく、それだけです」

ーー料理をいやになったことはないですか?

大野:「ないですね。基本的にはポジティブに考えてるんで。ごみ捨ても筋トレ。ネガティブに考えているといやになってくる。銅鍋ひとつ磨くにしても、たとえば自分がそのお店に食べにきて、ちらっと見えた銅鍋がきれいだったらうれしいじゃないですか。基本的に二択で考えるようにしています。きれいと汚い、どちらがいいか、とか。きれいなほうがいいに決まってるじゃないですか。だからきれいにする、みたいな。おいしい、おいしくない。おいしいほうがいい。二択にするとシンプルなんです。めんどくさいことはたのしいことを考えながらやるし、皿洗いは味見できる。ぜんぶ考え方次第です」

厳しい修業を乗り越えていくなか、Alinea時代にシェフからめちゃくちゃうまいラーメンが食べたいと言われてつくる記事がある。

まかないでめちゃくちゃがんばり、スタッフ全員からスタンディングオベーションがあがったという内容。まかないでも本気で取り組むとそういうことが起こるんだなと感動しました。

――noteを読んでいて、和食をつくるシーンがありますが、やはり和食はむこうでうけますか?

大野:「そうですね、というより、和食を作らないといけない空気ですね。日本人だから」

――そういった意味でも、これから海外に修業に出ていく料理人は料理にジャンルにかかわらず和食の基礎はやはりあったほうがいいですか?

大野:「基礎というより、日本人なんだから、自分の国の料理くらいある程度できないと、料理人として論外だと思います。外国人は自分の国のことについて聞かれたらきちんと答えられる。でも、海外に出て、そこから学んであらためて自分の国について考える、でもぜんぜん遅くない。そういう意味でも僕はすぐにでも海外に行ってみるべきだと思います。なにしたいかは行ってから考えたらいいです。だって30歳までしかワーキングホリデーは取れないんだから、そんなのは行ってから考えるくらいでいいんです」

【食べ歩きについて】

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大野:「日本の料理人のなかでは、おそらくいちばん食べ歩きをしていると思います。料理人ともだちからはフーディーと呼ばれています(笑)」

というほど食べることが好きな大野さん。

大野:「食べ歩きをしていて大切にしているのは、いいところをみつけるということ。わるいところばかりみつけていくことに食べ歩きの意味はないです。そしてだれよりも真剣に食事をしているし、どのお客さんよりも楽しんでいます」

――海外からみた、日本のミシュランというのは、どういったものなんですか?

大野:「海外のひとは日本のカンテサンスを知らないです。日本人がアメリカのミシュラン星つき店を知らないのとおなじで。5年前、僕が日本に帰ってきたときに、アメリカでミシュラン3つ星のAlineaを知っていたのは川手さん、生江さん、浜田さんしかいませんでした。海外ではミシュランよりも世界のベストレストラン50のほうが知名度は高いです」

――日本でのベスト50の知名度はまだまだ低いですよね。ミシュランはメディアが扱いやすいというのもあると思いますが。

大野:「とくにアジアのひとは情報で食事をする傾向があります。情報や評価はたしかに大事ですが、そればかりにとらわれていてはいけません。それと同時に、同業に嫌われても、星がつかなくても、お客さんによろこんで来ていただけたら勝ちの商売、それがレストランです」

【独立、自分の料理について】

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2021年の5月を目標に独立を目指している大野さんですが、2020年は2月から8月末くらいまでバックパッカーをしつつテレビ番組の撮影をこなしていくとのこと。

――各国で修業、研修をしていますが、大野さんの料理のスタイルはどのようなものになりますか?

大野:「いまはみんな「自分の料理」をつくっていく時代です。僕の場合、フランス料理が根幹にあるから、料理の基本はフランス料理の技術になりますが、あくまで創り上げるのは僕の料理です。
前菜とデザートは遊んでいいと思っていて、魚と肉は温度がとにかく大事になってくる。盛り付けはセンス。盛りつけはすればするほど味がどんどん落ちていくから、そのバランスは常に考えています」

――現在テレビで日本各地を生産者さんをめぐって、その土地で料理をつくるという企画をされていますが、なぜテレビ出演をしているのですか?

「生産者さんのなかには、食材を卸しているけれど東京には来られない、その食材がどういうふうに使われているかわからないという方もいる。だったら僕が行ってつくろうと思って。生産者さんへの食べさせ歩きですね。ちょうどテレビの話があって、僕がしたいことをテレビ向けにつくっているという感じです。本当はガストロノムがやりたいけれど、予算の関係もあって、うかがった場所にある食材、冷蔵庫にある食材で、ほんとうに仕込みなんか一切なく即興でやっています。だからめちゃくちゃきつい。やりながら考える。そんなロケがあといくつもつづく(笑)」

――とにかくボキャブラリーがもとめられそうですね。

「ボキャブラリーや引きだしってそのひとの人生だと思っています。お皿の上にのせる料理はそのひとの人生。だからコピーとかパクリでやっているひとには自分の人生がない。得たものをそのままやるのはコピーと変わらない。自分に落とし込んでそれをインスピレーションとして使えないといけないわけです。以前ボローニャで働いたことがあって、ボロネーゼを覚えたからといって、そのままボロネーゼ出したりしないのとおなじで、それを自分なりに解釈して引き出しにしていく。そうやって「自分の料理」というのはつくられていくのだと思います」

――独立は来年の5月ということですが、これほど世界中をめぐっていて、独立の地に日本を選んだのはなぜですか?

大野:「NYとかもいいんですが、まず大きなスポンサーが必要で、土地関係でもいろんな利権がからんでくる。フランスはフランス語できないし(笑)。
それと、これがいちばん大きい理由ですが、日本の生産者の方々、一次産業を裕福にしたいという想いがあります。だから日本。98%の食材を直産でやりたいと考えています。だからテレビもやっているし、すべてはつながっているんです」

――何人くらいで、どんなひとと働きたいですか?

大野:「料理人4人、サービス2人が理想ですが、いきなりは無理なので、僕をふくめて料理人3人、サービス1人でやることになるかなと思います。グランメゾン東京のみっちーと翔平くんみたいなひととやれたら最高ですよね。あれが理想形。僕はまわりから尾花タイプだと言われるので(笑)。だからああいうムードメーカーだったり、料理に真摯な人間と働けるといいですね。
僕は職人としての気持ちは料理にしか出さないし、ひとの扱いに関してはあくまで経営者として一緒にやっていきたいと考えています。ひとを道具として扱うのではなくて、チームとしてやっていくのが会社だし、そうでないと働いていてたのしくないですから」

――チームで働く上でもっとも大切なことはなんだと思いますか?

大野:「いちばん大切なのはスタンダードの共有だと思います。みんな同じスタンダートを持たないといけない。
なんでもそうなんですが、僕はできないことはできないってきちんと言うことにしています。でもやっぱり言葉はむずかしくて。
たとえば、「僕はパンを焼けない」って言うんですが、もちろんパンを焼くという行為はできます。ぜんぜんふつうのものは焼けます。でもそのパンをお客さんに出してお金をもらえて、かつ自分がそれで満足できるレベルのものができるかっていうと、僕はできないと思っています。それが僕にとっての、できないのスタンダード。でもほとんどのひとは家庭レベルのものでもそれをお客さんに出して、「僕はできる」って言ってしまう。僕にとってそれはできないのレベルなんです。その意識の共有が星を目指す上でもっとも大切なことです。Alineaで何遍も言われてきたことです。でもそれをひとと共有するというのはすごくむずかしいことでもあるんです」

――なにかルーティーンやメンタルコントロールなどしていますか?

大野:「なにもやってないですね......食べ歩きくらいですかね。コックコート着るとスイッチが入るんです。オフはだらけてます。けれど、料理のことはずっと考えています。映画を観ていようが、音楽を聴いていようが、基本的に料理のことを考えている。メニューを考えるのがはやいので、常に料理ばっかりつくっている感じです。考えている、というより、料理のことしか考えられないんです」

【最終的な目的地】

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――いろいろとお話をうかがってきましたが、大野さんの最終的な目標を教えてください。

大野:「もちろんミシュランで3つ星!!ベスト50も狙いにいきます。いまはそこにむかっていくことしか考えていません。ですが、もっと先のことをいえば、老後に定食屋みたいなことをしてみるのも、料理人としての楽しみ方のひとつなのではないかなと考えています。おいしいもの屋がやりたくて、おいしいの一点でいえば、定食屋がいちばんうまいかなって。パスタつくって熱々で出す、みたいな。
以前不定期のネタとして「必殺マジシリーズ」っていう、僕が本気でとんかつや麻婆豆腐などをつくるイベントをやっていたんですが、お客さんからも楽しかったと喜んでもらえて好評でした。そうやっておいしいものをつくって、それでお客さんに喜んでいただけたら最高ですね」

【編集後記】

今回大野さんと話をさせていただき、もっとも感銘を受けたのは、ひとに対する姿勢でした。僕よりも年齢、キャリアが上であるにもかかわらず、大野さんは終始敬語を使い、僕が聞いたことにすべて丁寧に答えてくださりました。

「現場の外では全員が対等だと思っています」

そう話してくださった大野さんの謙虚さや、自分がこれまでやってきたことにも決しておごらない姿勢が、話しているなかで感じられました。まだ大野さんの料理をひとくちも食べていないのに、僕はこのひとの料理を信じることができます。独立したら真っ先に食べに行きたいですし、僕にできることがあれば、独立準備も手伝わせてもらうつもりです。

大野さんは現在(2020年3月)、ペルーのセントラル(2019年世界のベストレストラン50にて6位)で働いている。

セントラル研修後も各国をめぐり、レストランでの研修に挑むとのことです。

大野さんが帰国し、独立を果たした際は、またあらためて記事を書かせていただきたいです。

どうか大野尚斗という料理人、大野尚斗という人間が、ひとりでも多くのひとに知られ、その料理が届くことを願っています。


聞き手:ミチムラチヒロ
文章:ミチムラチヒロ
写真:大野尚斗

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