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動かない視線

ー久しぶりの外出で、彼女は多くの人々の前を通り過ぎた。


(ヒールなんて履かない。)

(人が好むリップなんて塗らない。)

(貴方達の好みになんて、ならない。)


彼女は険しくも涼しい顔をして大理石の床の上を歩いていた。

周囲は煌びやかなアクセサリーに、すれ違うたびに混じるパヒューム、女性らしいと表現されがちな似通った服装。定番の、ハイヒール。


まるで装飾された街の中のパーツの一部の様な、人の集団。


彼女の踵は僅か1cmの高さでその街を横切る。

沈んだ光沢の、黒い牛革のブーツ。

黒いヘアーは、前髪を耳にかけているだけ。

柳色のロングコートは、煌びやかとは程遠く

彼女の重い瞼を落ち着かせてみせる。


いつも使うエスカレーターに乗り、彼女は階を昇る。

昇っていく数秒の間に、彼女は寝てしまいそうなほどの落ち着きを覚える。


けれど今日は違った。

自覚しない中でのナニカに気づいたのか

一瞬、視線が送られたのか


よくわからないまま、彼女は右隣で降りていくエスカレーターに目線を移す。


彼女が目線を向けるコンマ数秒の中で、目を逸らしたのかのような


ややうつむきぎみな、彼が居た。


運ばれていく足元が、合うことのない目線をより遠くさせる。


真っ白なセーターにジャケットを羽織り

お気に入りの革靴を履いたその彼と


低い踵のそのブーツを軽やかに鳴らし

両手をコートに入れたまま背を伸ばしたままの彼女は


決して振り返ることはしない。








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