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彼女が涙する理由

ー彼女が泣いている。

 いや、涙を浮かべている。


お気に入りの重厚感を携えた木製の階段を一段一段上っていくと、彼女は冷え切った空気の中で腕を組み

階段の手すり部分にもたれながら腕の上に顔をのせ

くりっとした両目を、涙ぐませている。


空は青い。快晴だ。

空の青は薄い、しかし儚さは無い。

さわやかな青の中に、白く生き生きとした大きめの雲が、晴れやかな様子で泳いでいる。

そんな美しい空をまっすぐ見つめながら

何故彼女は涙ぐんでいる?


158cmの小柄な身長に

細くも太くもない脚が、膝下丈のスカートからのぞいている。

真面目な彼女らしく、長い黒色の靴下が、彼女の素肌を見せてはくれない。

首元には赤色のチェックのマフラー。

鼻と口元は隠れている。


僕は彼女の口元が大好きだ。

一度、アルコールが入った勢いで、彼女に口走ったことがある。

「セクシーな唇だよね。」

彼女は、眉を寄せ

そのくりっとした瞳に少々瞼を下ろし

怒ったような、恥ずかし気な様子で言った。

「…もう。」


彼女はとてもキュートだ。

感情の起伏は他の大勢と比べるとなんとも激しい。

ただ、心ここにあらずなモードの彼女は、誰よりも冷静で口数が少なく無表情。

つかみどころがないのだ。


そんな彼女が

今僕の目の前で、涙ぐんでいる。

僕からしたら、たまらない状況だ。

涙ぐんでいる彼女を独り占めしている感覚。

弱った彼女の前に、僕が居る幸運。

僕に与えられた、贅沢な時間。


僕は彼女が涙を浮かべている理由に想いを馳せてみる。

◎嫌なことがあったのか?

◎寒さで目が乾いた?

◎寝不足?

◎体調が悪い?

◎感傷に浸っている?


そんなことを、彼女を見つめながら考えている間に

彼女が僕に(右横下から見つめてくる妙な人物に)気づいてこちらへ目線を向ける。

まずい。

まずい、まずい。


僕は彼女から避けられていた。

かれこれ数か月、顔を合わせておらず

連絡も止まったままだった。

そんな状況でも調子のよい僕は、今の彼女と遭遇したこの状況を喜んでいる。


そして僕はいつも通り思い出す。

彼女の特性、特徴、パターン。

どのリアクションで声をかければ、彼女が反応してくれるのか。

(えーっと…軽いやつ!適当キャラだ、よし!)

彼女の生真面目からリアクションを引き出すには、これくらいのお馬鹿ちゃんが丁度よい。

僕はそう考えた。


「おつおつー!なにしてんのあいちゃん!

久しぶりじゃん~!

こんなとこで、なにしてんの?」

軽快に数歩前に出ながら右手をふにゃふにゃと振ってみた。

彼女が無機質で神妙なモードに入っている時は、このパターンで正解。の、はず。


彼女は突っ伏した顔を両腕から起こし

胴体をややこちらへ向かせる。


そして何故だ。

仁王立ちの様な状態で、こちらを見下ろし始めた。

表情はやや怒っている。

そして彼女は胸の前で両腕を組んだ。


(何故だ。)

(何故、声をかけただけでこの怒られるような構図が出来上がっている。)

僕はただ声をかけただけだ。

気付くと彼女の両目からは涙が消え去っていた。

(なにを間違えたんだろう。)

(いや、僕は何も変なことはしていない。

ごくごく普通に声をかけただけだ。)


「えーーーっと。

…こんにちは。」


彼女は斜め下に首を傾げた。

そして僕の横まで降りてきて、人一人分離れたその位置で呟いた。


「ごきげんよう。さようなら。」


僕には、彼女の涙の理由を探ることも許されないようだ。


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