人間が楽しくなる妄草//ツユクサ
傍から見ていた時には
"たくましい"
と感服していたあの子が
自分の生活圏内に入り込み
ぐっと距離が近くなったら
なんだか急に、"うとましく"なった。
夏のある日、ツユクサとの時間。
(今更)
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四方八方に広がり、花をつけていく。
輝かしい青色は、素直に見れば美しく
その様子は実にたくましい。
一転、
大事に育ててきた作物の芽吹きを
駆逐するかのごとく広がるその様は、
実に、うとましい。
同じツユクサであっても、不思議なくらいに抱く感情が変化する。
その感覚のちがいを生み出す要因は明らかで
「自分に不都合があるかどうか」
自分がコントロールしていたい陣地(テリトリー)に蔓延ってきたら、邪魔で、イライラしてしまうくらい、"うとましい"。
自分の陣地(テリトリー)ではないところで、その懸命な生存術を見たなら、その生命力に感服し、"たくましい"と見惚れてしまう。
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..
何かに抱く感情というのは、案外そんな単純なことで、自己中心的であることも少なくない。
"うとましい"も"たくましい"も実は隣り合わせで、自分がツユクサとどんな距離感で接しているかによって、コロコロと変わってしまう。
だから、一場面の感情で、「やつとは上手くいかない」と切り捨てる訳にはいかない。
上手い距離感、というのを掴めれば、むしろ尊敬できるやつなのかもしれない。
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近づけば近づくほどにわかることもあれば、遠ければ遠いほどわかることもある。
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人間同士でも、そうなんだろう、と腑に落ちる。
わかりやすくいえば…
女に嫌われる代表のような、
四方八方媚を売りまくるあの子も、それはそれは、たくましい訳で。
うとましい、と目の敵にするのは、私だって周囲から好かれたいと願う自分がどこかに潜んでいるから。
ほんとのほんとは、羨ましい、だったりするのかもしれない。
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雑草と対峙するなかで、人間の世界を紐解いていくのは、すこぶる面白く、楽しいもんで。
人間が、楽しくなる。
そんな妄想、ならぬ妄草を。
書きたいときに、書いていこうかなぁと思い始めてます。
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