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#98 伝統的授業の失敗

伝統的な教授主義の授業では、
①知識は問題解決に必要な事実と手続き  
②これをたくさん知っているかどうかが評価され   
③教師はこの事実と手続きを生徒に伝達し   
④学習は単純から複雑へとドリルされて  
⑤カリキュラムは専門家としての教師が作成する

さらに学習する側から見ると
①教材は自分たちとは無関係で
②知識の断片であり
③一時的に滞留しているだけで剥落する速度は速く
④事実と手続きをマニュアルと考え
⑤異なる状況では応用と対応ができず
⑥教師の指導のもとの静的知識となり
⑦記憶するのみで、自身の学習法方略を振り返らない

教授主義では、知識社会や情報社会に参加できる生徒の育成に失敗するようになってきた。

知識と情報が混在し日々陳腐化するなか、よりよい人生を歩むには、自己責任のもとに統合されて実用できる知識が必要になり、それが人生の幸福につながる。

これまでの教育研究は、教授方法とそのスキルを上げることを研究した。教授すれば学ぶという楽観性があった。たしかに知識や技能が学校に独占され、その獲得が所得向上になる時代では。

いまそういう前提が入れ替わっている。大学へ行かなくても学びが可能である。工業生産から知識構築の経済になった。

公的な学校から個人のインフォーマルまで含めて¥、人はどのようにして学ぶのかが、研究になる。

教授主義は今日の社会においてはすでに時代錯誤になっている。黒板とチョークと一斉に前を向いた授業は、工業化政策の時代の遺物になっている。

次回、この続き。