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#40 迷路をつくれ?大学生はポジショントークしてよい

①「テキストを示してください、なにが出題されるんですか?」と聞いてきて、京大も終わったな、といった教授がいたそうだ。
②「とにかく4年間行方不明にだけはならないで」と事務方は新入生に懇願した。

①前者は最近の学生。②後者は以前の学生。さてどちらが正解か?
問い・・・大学とは何か?大学生とはなにか?

いうまでもなく、大学生はモラトリアムである。正確には私にはモラトリアムで「あった」。というのは、なんとなれば、最近の大学生活は単位認定の出席は必須のようだし、レポートも多そうだ。40年前の自分の大学生時代からみると学業も忙しそうで、返済すべき奨学金の圧力やアルバイト稼ぎがあるし、昔の大学生のように高等遊民ごとく遊びほうけて青臭い議論をするような時間もなさそうだなのだ。


いまや、学生という身分は大衆化路線で特権でもなんでもなく、学歴がまだそこそこ機能する中で、なんとか就業機会を得ることができる。だから、ひょっとして昔の学生よりは勉強しているかもしれない。

とおもいきや、データをみるかぎり、大学生が読書している時間は圧倒的に少ないし、高校までの束縛の時間から解放されて、さて何をすべきかと右往左往している感じで、キャリアを開発しようとしているようにも見えない。

なぜそうなるのか。つまりは、今までの教育のなかで困って考えて自分で解決したという経験が皆無なんだろう。かれらに学問を要求するのはじつは無理なのだ。おどろいたことに、初年度教育というのあがって、レポートの書き方を教える、そんなもの自分でやればいい領域である。しかしそれでは消費側の学生からは文句もでる市場原理が働く。

さんざん高校まで面倒みてもらって、その癖が抜けない幼稚な学生を集めて学校化された資本制社会の中で生きる。時代を改革するのは無理とういうことになる。

大学入学に自己推薦とか公募推薦とかいうのがでてきて、大学の学生確保(学費確保による経営安定化)が大学経営に必須の時代、少子化で大学への入り口はたくさんあって売り手市場。

とりえず大学なのだろう。そのとりあえずの学生に大学という場は何をあたえることができるだろうか?いやいや、そんなものは勝手に自分でなにかを見つければいいのだが、それは学生には「非効率」ということなのか。

非効率を自身でデザインして効率化する過程が学びなのだから、しっかり道草と途中下車して迷路をさまよい迷路を自分でつくるほうがよい。その意味では宮沢君は大学という場にどの程度満足しているのだろうか。







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