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#100 アイフォンには説明書がない。なぜ?
昭和の時代、日本の家電製品を買うと必ず取り扱い説明書類と保証書が入っていた。冷蔵庫・掃除機・テレビ。近所の電気屋さんから購入するから購入先のお店は、地元の誰かさんという顔の見える関係。
アイフォンにはそれがない。使い方、保障がどうなっているかもわからない。商品が白い箱にはいり、通信会社の窓口で、どこの誰かさんでもない人が説明していく。こまったらネットで検索する。匿名性の高い商品。説明にはそれなりの習熟した用語が使用される。仮に使い方をネットで検索してもこちらも匿名の誰かさんでしかない。
この違いはなんだろう。若い世代はそんなもんだというのがせいぜいの感想だろう。購入してからその使い方を使いつつ理解していくという流儀が主流になる。
企業はその方ががコスパが良い。面倒な電話対応もないし、購入した側が自己責任でやり方を聞いたり、探したりしてくれる。顧客データの集積のなかから必要な情報だけをネットで開発アップすればよいし、企業はその他のR&Dに投資できる。
説明書なしは、日本企業ならおそらく会議で異論噴出。反対されるだろう。
世代が変わった。明治維新で旧武士層の反乱があったように、時代の変革にとジェネレーションギャップがある。もちろん守旧派はアンチ。
使いつつ使い方をマスターするというのは、ネットの検索方法の習熟がいる。それでもだめなら、おそらく身近な友達に聞くだろうし、あるいは誰か当てになる人に聞くだろう。そこにはアテにできおる人はだれか?という当人の判断力がある。
そういう時代なら、自分ひとりで考えてもしようがないので、いろいんな奴と話す。そのための能力が必要になる。コミュニケーションの前に困った状況がある。
いつのまにか自分がデータとして扱われる時代を高度情報社会という。匿名性の中で相手だけでなく、自分も匿名となり数値といして扱われる。
象徴的なのは、「千と千尋の神隠し」で自分の名前が奪われていくシーン。
どこのだれかわからないままの生活があり、安心感と信頼感が失われていく。個人がグローバルに巻き込まれていく不安がどこかにありはしないか?いきなり宇宙のなかに放り出されたような塩梅だ。