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#4 SDGsの世界に入った「きっかけ」

こんにちは、宮沢です。暑い日が続きますね。僕もバイトに行く途中に暑すぎて溶けてしまいそうです笑。

さて、今回は宮沢がSDGsについての活動に足を踏み入れた「きっかけ」をお話ししていきます。あくまで「きっかけ」なので、僕の感じている個人的なSDGsの存在意義は別の機会にお話しさせてください。

中学生の頃

僕がSDGsという概念を初めて知ったのは、中学3年生の時。自己紹介でも書きましたが、中学はとある大学の附属中学校に通っていました。長野県で附属を持っている大学は一つだけで、隠しても特に意味はないと思うので白状すると、信州大学教育学部附属松本中学校というところに通っていました。
中3の頃の宮沢は生徒会で色々な活動をさせてもらっていました。その中で、顧問の先生から生徒会が持っている集会で扱うテーマとしてSDGsを紹介してもらいました。手前味噌で大変恐縮ですが、附属は義務教育を扱う「学校」としての側面はもちろん、その他に「研究機関」としての意味合いも多分に含んでいたと思います。なので、(比較的)世の先駆け的な取り組みや考え方が、授業・課外活動問わず取り入れられることが多かったです。
当時の僕的には、SDGsというある種の「窓」を通して、世界をより近く感じられるようになった気がしたというか、世界の見え方がちょっと変わった気がして、そこからSDGsという世界に引き込まれていきました。
これが、SDGsという世界に足を踏み入れた、一番最初のきっかけです。

高校生の頃

晴れて高校生となった初期の頃は、今ほどSDGsという単語を聞く機会は多くありませんでした。なので、この考え方を同じ世代にもう少し広めたい!という思いから、高松さんやその他の多くの尊敬すべき方々と出会う舞台となった日本SDGs協会学生局へ入局させていただくことになりました。
その後、2020年頃からか、徐々に企業や社会の様々な場面でSDGsという単語を見かけ、襟元にSDGsのピンバッジを付けた人たちも見かけるようになってきたと記憶しています。個人的には普及を嬉しく思う反面、なぜか、どこかで疑問符を禁じ得ない自分もいました。この辺は、また後日。

というわけで、今回は僕がSDGsと出会った「きっかけ」に焦点を当ててみました。もちろん、附属に入学した当初はSDGsなんて知らなかったし、その概念だけで日本中の人と話す機会を得ることになるとも知りませんでした。きっかけはいつだって唐突に、しかも静かに訪れますね。

それでは、また次の記事でお会いしましょう。宮沢でした。

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