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#96【放送後記】カントのコペルニクス的転回「認識が対象にしたがうのではなく、対象が認識にしたがう」? [第16回ふりかけラジオ]

5月25日に第16回ふりかけラジオを放送しました。
今回の放送はこちらからお聴きいただけます。

同志社大学大学院哲学専攻の川崎さん、大学生のカナル君、地元の元教員のとみん、の3人で哲学をしています。高校の倫理の教科書にそっていますが、今回は、理性の問題を深堀。理性と悟性と感性とイギリス経験論が話題です。

理性 Vernunft  reason
悟性 Verstand    understanding
感性  Sinnlichkeit    sensibility

悟性ってなんですか?
判断すること、これはスマホだ、と感覚でとらえてスマホと判断する。この判断する悟性と知覚する感覚の感性を統括するのが理性という考え方。

理性は人間に与えられている。
ではなぜスマホと判断するのか、それがスマホだから、というのは認識が対象に従っている状態。スマホが既定事実としてあって認識がそれに従っている。カント以前かはこれでOK。カントはその逆をいった。認識そのものの問題。もしその固形物がスマホではなく書物であってもいいかもしれない。認識する主体の私がそれをスマホだと決めている。イニシアティブはこっちの私にある。対象が認識に従っている。

そうなると、
認識している対象について、いやそれは花です、という人もいる。むりやりそういいかえて納得させることもできる。どう見てもスマホだけどそれはスマホでなく花だ、という。こいうのはソフィストといわれた。哲学者はそれがスマホである根拠を徹底するが、ソフィストは根拠はどうでもよくて都合のいいよう言い換える理屈をつくる。

それって、記号論にも近いのか?
記号論・言語論はたしかに哲学周縁にある。ある物体を日本語で、石、というときと、英語でstone,  というときそれぞれにその使用者の概念が相当違うんではないか?単に訳語をあてているだけ。

そうなると、理性があやしい?
そもそも理性は正しく使用されるという前提がある。なんでも前提が崩れると全部がおわる。理性がそのように正しく使用される、しかし、その範囲はどうなの?といったのがカント。カントは理性の及ぶ範囲を限定した。

限定というと、
われわれはいつもなにかしら経験している。その経験から知識をえようとするのがイギリス経験論。たくさんの事例をあつめて経験から帰納法で、こうだ、という結論にいたる。

じゃあなんでも経験できるのか。そもそも経験ってなにか。

たとえば、
手に持ったボールをビルの屋上から落とす。そして地面に落下する。手から離したときと、落下したときの音の感覚は知覚できる。ではその間の落下していときそのものを知覚できるか。

経験論を集大成したヒューム(1711~1776)
は、落下そのものを経験することはできないと考えた。ところで1665年にニュートンは万有引力を発見している。彼は、仮説を立てずに実験と観察の帰納法を用いている。一方、ヒュームはその実験と観察も知覚の束であり本当かどうか怪しいと懐疑論を提示した。

経験論も限定的・合理論は理性だけで判断する「独断のまどろみ」
ますます怪しいではないか。この両者の仲介が必要になる。カントはヒュームの提示した経験論の限界を考慮したうえで、認識できる範囲を限定して悟性の枠組みを提示し自然科学の妥当性を裏付けた。ここはもう少し議論の「余地があるけど。

経験というのは知覚なのだろうか?
それだけ?実は経験の定義はその後の英米思想なかでかなり変わっていく。最終段階では経験は言語化されるものというような定義が行われる。

体験と経験。英語では両方ともexperience.
日本語では、体験はしたこと、経験はそれを言語化して外部に外化すること。するそれは伝達可能になり検証可能にになり普遍化も可能になるからから科学になる。

疑問と質問も同様。
質問は精緻化され限定的に使用され、説明可能な言語化がされている。

さて、ここまでで、
何が言えるか。認識そのものが大丈夫かということ。かってに世界はこうだと言っているけそれはあなたが認識している世界であって、他者はそのように認識しているは言えない。だから認識の相違がある。いっとくいけど、部長や社長といった立場の相違ではない。

ここまで書いてきて、
世の中を変えるには哲学的思索がないとかなりむりだということがわかってきた。もう一回家屋を解体点検してみましょう。そこから再建か新築をするほうがよほど効率的な気がする。


「ふりかけラジオ」は隔週(毎月第2・4)土曜日の21時30分から、FM805たんばに乗せてお届けしています。


次回は、2024年6月8日の21時30分からの放送です。
FM805たんばの受信地域外の方も、こちらからインターネットサイマルラジオでお聴きいただけます。
それでは、また次回の放送でお会いしましょう。おやすみなさい。