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#52 目にはさやかに見えねども…?

ご無沙汰しております。皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は、無事に学部2年生に進級できました。単位も何とか落とさずに済み、ホッとしているところです。

大学進学のために、18年間お世話になってきた実家、そして、地元を単身で飛び出てからもう1年経つのか! と軽い衝撃すら覚えています。1年前の今頃のことを、春の風の匂いにつられて思い出しました。
国公立後期選抜で合格を頂いたので、進学が決まったのは3月下旬。そこから、挨拶に行ったり、荷造りをしたり、新生活の打ち合わせをしたり…。怒涛の日々が2週間ほど。
そして時は流れ、いよいよ出発の日。松本から水戸までは車で移動することに。最初は母の運転で妹と3人で出発。更埴ジャンクションで母の車から父の車に乗り換え、その後は水戸まで父と2人旅です。訳あって父とはあまり会わない生活だったので、下手したら父とあれだけ長い時間を過ごしたのは数年ぶりだったかもしれません。
そして、僕が水戸に着いたのは、大学の入学式の前日。その日の水戸は雨模様。父と別れ、ビジネスホテルに前泊。今この記事を書いている、大学の寮に入ったのは、入学式当日の午後でした。
その後、引っ越し作業を本格的に完了させられたのはゴールデンウィークになってからだったかな。

引っ越した最初の頃は、慣れない大学生活、慣れない環境、何一つない独房みたいな部屋、毎日の食事、お金のやり繰り、学務やお役所での諸々の申請と手続き…。で張り詰めた日々を送っていました。ちょっと慣れてきて、色々考える余裕が出てきてしまった4月の中旬くらいにホームシックになったのを覚えています。

宮沢家の住人たちは、系統は違えど、全員「とんでもない」人たちで、母も例によって「とんでもない」人です。人の心はあるのかしら、と思うくらい、人前で泣かないタイプの母ですが、あの日は泣いていました。多分。そして、それでも泣いていないように立ち振る舞っていたと思います。
僕が見てきた、そして、これから見ていくであろう母の中で、きっとこれは生涯5本の指に入る「母の泣き姿」だろうなと。そんなことを考えながら、またあの日のことを思い出してちょっとおセンチになる僕なのでした。
そんなおセンチな佳成くんの、母への感謝はまた今度。ひとまず今は、母には僕の記憶の中で涙そうそうしてもらうことにしましょう。

しかし、この日々にお互いに慣れてきました。なので帰省したら「佳成が帰ってくるとうるさいね」とちょっとディスを食らったりする、ケンカばっかりで騒がしい、いつもの宮沢家が戻ってきました。やっぱり僕は、この家が好きなのかもしれない、ってことで今回はおしまいです。
どうせ別れるなら、素敵な別れをしたいものです。人と人との関係の問題なので、およそ難しいですが…。

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