昨日の感動「いつも母に愛を与える」

週日毎日、息子は小学校の授業を2時や3時に終えると、私の迎えの車に乗り、習い事に行く。学校と習い事の時間帯は、相互に調整されておらず、時間が合わない。つまり、毎日習い事の途中から参加をしている。

習い事は5時で終わり、また私が迎えに行く。途中参加のためか、居残りで10分20分余分に受けてくることもあり、大勢子どもたちが駆け出してくる中、息子が出てくるのはだいたいいつも最後だ。

昨日も5時に待機していると、大勢の最後尾の子から時間が空いて、一番最後に息子。そして先生も一緒に出てくる。ニコニコした先生が、車に寄ってきて、ハローと声をかけると、試験の案内だった。この試験のために、午前中の学校を休む必要があるので、校長先生宛のレターを息子に渡してあるというお話だった。マレーシア語で私の口での再現はできないけれども、先生の言うことは一応理解できた。

普段は話さない人なので、ついでにいつも息子が遅くてごめんなさいね先生!と言う。弁明のために、下校後すぐに直行で午後の習い事に来ていること、高速道路を飛ばしてます!なんなら車内で着替えもさせて休憩も取ってません!なんて、母と息子の日々の努力をアピっておく。

先生は、驚いた様子で、そうですか~。知りませんでした。そして息子に向くと、君、放課後に学校で遊んでない?遊んじゃダメだよ、まっすぐママのところに行きなさい!高速道路を飛ばすと危ない。だから、君はいつもママに愛をあげなさい(selalu bagi sayang kat mama)。と言った。

えー?すっごい飛躍したこと言う。遊ばずまっすぐ君が車に来てくれるとママは急がなくていいから、危険が減るよ、ママに愛をあげてねってね。。。ママを困らせるなってことなんだろうけど、表現がいい。息子はハイ先生とうなずいていた。

確かに。。。そうなのよ。先生ありがとう。お迎えで息子を捕まえるのに苦労する日もあるのだー。教室に残ってたり、どこかで遊んでたり、カバンがなくて探したり。息子に接している先生はそんなことオミトオシだろう。

まっすぐお迎えが済めば。気持ちのうえでなんと楽になることだろう。息子の行動が、「いつも母に愛を与えよ」ルールを息子が意識することで改善されたら、すごくない?できる?結構いろいろ応用できそう?

本日の私の勝手な感動。
物は言いよう。
以上です。


ここから蛇足を書く。
この先生は、感動的なことをサラっという。聖人君主だと思いますか?いいえ。太った普通のローカルのおっちゃん。いつもはよく、習い事学校そばの食堂に座っていて、いやー保護者や近所の人にいつもおごってもらえる、これも貰い物さー、なんて言いながらニコニコ食べている人。

日本人の見方で言い方をかえると、「たかってくる人」でもあるのか。いい言葉や教育を子どもに与えれば、保護者から施しを受けるのは当たり前なのかも知れない。先生の懐事情はよくわからないけれども「たかり体質」にしか見えない人が社会にままいると(日本人?私の日本の常識の見方?で見ると)思えることも多い。でもやっぱり、授業料も安いのだし、こちらに余裕があればお礼にお茶をおごることがいいのだろうか。おごれと強制はされないが不思議に感じる。

年末に何か甘いものでも買って渡せばいいのかしら。よく居残り指導していただいているのだし??エクストラサービス、確かに。。そういうことなの???やってみようか?彼は結果としてモノをもらえることになるからいい言葉を撒いてるのかしら。(撒いてごらん!寄ってくるから!ブルゾンちえみ、(笑))自然の摂理?

そのあたりの当地ローカル間のバランス感覚とかはいつまでたってもよくわからない。違う文化の人に無難なモノをさりげないタイミングで渡すって、私には脅威の注意力が必要だわ。どうしよう。やってみる?失敗してなんぼね。

はい、すべて私見です。
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