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流浪の民となる

その日本の大手IT企業に転職した友達いわく、そこそこの年数が創立から経っているにもかかわらず「いまだにベンチャーのように、わさわさしている」とその会社のことを表現していた。

顔写真貼ったり高校の入学、卒業年月日と普通免許証持ってるっていう履歴書を必ず提出するべし、に対して、なんでそんなもんが必要なのか理解できないとイライラしつつ、作成して応募をしたのはそのポジションに興味があったからだった。

東京ではなく、地方都市に設置している子会社でのポジションなので引っ越しが条件となることもあまり気にならなかった。とにかく一度リセットをしたかったのかもしれない、なにもかも。

インタビューはリモートでおこなわれたが、最初の上長にあたる人とのインタビューは、あまり突っ込んだことを聞かれなかった、彼も私の業務内容に精通しているからだろうと受け取った。
次の人はとにかく質問よりも、自分の話(過去の経歴)を話し、GAFAMの上司とも違い(彼は経歴書の内容の確認)この人は自分のやってきたことの武勇伝を織り交ぜつつ、この組織がいかにまだ未熟で、やるべきことがたくさんあるかを滔々と語っていた。その次は取締役二人だったが、抽象的なことを質問するなという記憶がある。ジョブ型風を装ってるけれどもメンバーシップ型な組織なのだろうなと思った。

結局のところ、次の転職先としてどこを選んだかというと、その地方都市の子会社のポジションを選んだ。

過去の経験をシェアしてほしい、それを教えてほしいと求められ、もっとも自分のことを必要とされている気がしたから、そこを選んだのであった。

結論は、そこも1年で転職を決意することになった。

インタビューで「自分の武勇伝」を滔々と語る人の横暴さに目を疑うような状況だった。周囲に相談をしても「そういう人はいつか排除されますよ」だからほおっておきましょう、と周囲の人もいつか時が解決するので・・・という様子(実際には2年後くらいにはそうなったが)目的を持って転職をしてきたのに、そんなのんびりとやってられないと感じた。

BPOセンターとしての売上が100%に近い割合には、社長はスマートシティや企画系に熱心で、BPOの業務が屋号であるはずなのに、会社の中にまったく違う会社が一つできているという感じであった。社長は1割を非常に重んじ、9割の方のメンバーは不服に感じている、それも理由の一つでありガバナンスが効いていない印象を強くもった。

端的に言うと、それらのことに失望をしたのである。ここBPOセンターで、業務改善をして売り上げをもっと伸ばしていきたいんですよね?に対して明確な答えを返すわけでもなく、「言い方が感じが悪い」と返ってくると、YES or NOで答えてくれればいいのだが、人間性を改めないと、本題にたどり着けないのですね。

時間は無限にあるわけではないし、何をやるかがはっきりわからない状態で、まず、人間関係をさぐりさぐり・・そして、売り上げを伸ばしたいわけでもないとなると、一体何をしたいんだ?と困惑してきた。

私はまたしても、入社してみなければわからなかった部分につまづいてしまった。そして、3年はじっくりいるべきかどうかを考えたが、この組織の業務の改善や売上をもっと伸ばすためのビジョンにすぐに着手できないのであれば、居る意味もなかろうと東京に帰ると言う選択をすることにしたのであった。

落下傘の会社 6年
GAFAM              6年
次のGAFAM      5年
SNS     7ヶ月
地方     1年  (今ここ)


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