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汽車ごっこ ー序曲ー

 電車ごっこではなく、「汽車ごっこ」と題したのも、いくらか理由あってのことだった。
 一九三二年、文部省が「電車ごっこ」という文部省唱歌をあんでいた。なんでも、尋常小学校一年生むけの歌である。

   電車ごっこ

  運転手は 君だ
  車掌は  僕だ
  あとの四人が 電車のお客
     お乗りは お早く
     動きます ちんちん

  運転手は上手 電車は早い
  つぎは上野の 公園前だ
    お降りは お早く
    動きます ちんちん

 これは、当時の文部官僚、井上赳がつづった詩である。
 詩に詠まれた「僕」は、
「運転手は 君だ」
 舵取り役をひとに任せて、
「車掌は  僕だ」
 安全をみまもるチョイ役を、ちゃっかり、ちゃっかり、やっている。
 これを授業で歌うんなら、尋常小学校の一年生は、車掌の「僕」になりきるだろう。車掌の「僕」がすりこまれるだろう。電車ごっこを始めようものなら、車掌の役職を奪い合うだろう。車掌が「運転手は君だ!」なぞと運転手をヘンに指名するだろう。それどころか、車掌は「おお、運転手、ここのカーブ、なかなかやるじゃないか」なぞと運転手をはやしたて、「この電車は早い! とても早いぞ!」なぞと涼しげに威張りくさりそうである。
 本来なら、方向も、速度も、あそびのおもしろさも、運転手の意のままである。「電車ごっこ」は、先頭の運転手がとりしきるあそびである。だから、最後尾の車掌は、運転手とあいだのお客をへこへこみまもる三下である。なにゆえ、尋常小学校一年生に、陰気に偉ぶる車掌を「僕」にして歌わせるのか。
 私はこうおもう。
 「電車ごっこ」は、ひょっとすると、政治家をうらであやつる官僚の歌じゃないか? と。あるいは、先陣をきってゆく兵士を、うしろでみつめる兵士の歌じゃないか? と。
 つまり、最後尾で状況をうかがう車掌こそ、命をおとさず、のちのち、国家をうごかす人物になるのだ、と。
 井上赳にむけ、僭越なことをいっぱい書いた。しかし、引用するのも、愛あってのことである。つまるところ、「電車ごっこ」の詩をつづった井上赳は、うしろにせこせこひかえる車掌ではない。だいたんな運転手だった。
 井上は、一九二五年七月より、最も進歩的な教科書を編纂するため、欧米視察をしている。一九二六年四月、『ハンザフィーベル』というドイツの教科書から、単語ではなく文から国語を教える意義をみとめる。一九三一年、「サイタ サイタ サクラガサイタ」の一文に始まる教科書『サクラ読本』をあんでいる。このとき、小学校の国語教育に、文学色をつよめさしたのは、井上赳、このひとである。
 一九四一年、井上赳は「デンシャゴッコ」という「電車ごっこ」の改作をあんでいる。しかし、そこでも、

  運転手は 君だ
  車掌は  僕だ

 これに始まる。よほど、この二文に自信がある。なるほど、太平洋戦争下に、猪突猛進の運転手は、まっさきに死ぬひとである。井上は子どもたちに、最後尾で戦況をうかがう車掌をすすめ、ひそかに反戦をねがっていたのだろうか。
 しかし、井上赳が、今の世をみるなら、

  運転手は 僕だ
  車掌は  君だ

 きっと、逆にするように、私はおもうのである。
 「僕」は電車の進行役になり、車掌の「君」を右腕にそえる。「僕」はお客のために電車をあやつる緊張感を歌ってゆくのである。
 「運転手は上手 電車は早い」ではない。「お客がだいじ 手に汗にぎる」こういうふうにお客をおもんぱかることが、今の世にふさわしい歌詞におもえる。
 私は、また、ずいぶん、大仰なことを云っている。申し訳ないかぎりである。なんにせよ、私はこういう教育をそんなにこのまない。私は、もっと、純粋なあそび、「汽車ごっこ」をすいている。
 そんなこんなで、短編から「電車ごっこ」の詩をはじきだし、旧来の「汽車ごっこ」を題したくなった。






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