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ランジャタイが決勝に上がってしまった

ランジャタイが決勝に上がってしまった…


僕の趣味の一つに漫才・コントなどのお笑い鑑賞がある。学生時代に比べるとそれらに対する熱量は少しずつ下がってはいるものの、それでも毎年楽しみにしているのが漫才日本一を決める大会であるM-1グランプリだ。数年前からオーストラリアに滞在していることからテレビでの視聴はなかなかかなわなかったが、リアルタイムで終えたネタは随時動画サイトに上がるようになっており、昨年は若干後追いではありながら楽しむことができた。

何度かの予選を重ねてゴールデンタイムに放送される決勝戦。その決勝のメンバーが先日に発表されたのだが、いい意味でお笑いファンの予想を裏切ったといえる人選だった。

あまりこの言い回しは好きではないのだが、いわゆる「王道」と呼べる漫才をするコンビは極めて少なく、いずれのコンビの漫才もお客さんの期待を大きく裏切るような斜め上の発想、設定で勝負している印象。お茶の間にいらっしゃる老若男女の皆さんに笑っていただく盤石さよりも、リスキーではあるものの笑いの爆発を求めるかのような冒険心を優先させた布陣のように思えた。記者会見で決勝進出者の一人が述べた「週4でライブに通っているお笑いファンが高熱の時に見る夢」という言葉が適格すぎるほどその意外性を表していると言っていいだろう。


だがその中に、ランジャタイが含まれているのは正直今でも信じがたい。


彼らを知ったのは学生時代の頃。お笑い狂いが集う僕のTwitterのタイムラインでは、ほぼ毎日必ず誰かがお笑いのお話をしている。ある日「ランジャタイの漫才は、革命だ」とのような文章を目にしたことが始まりだった。最初は驚きが強すぎてクスリともしなかったものの、今では彼らのネタを見て笑わないことはない。辛い時、悲しい時、「こんなの漫才じゃない」というくだらない世論を見た時、彼らの漫才が見たくなる。

そんな一部お笑いファンから根強い人気を持つランジャタイだが、決勝に上がることは極めて難しいと思っていた。


地上波ゴールデンでやるには、彼らのネタは常軌を逸しすぎているのである。

3回戦で披露したネタでは、iPhoneの作り方が分かったということで作り方を実践してみたものの、泡から火が出たカラスにさらわれて東京タワーを回り続ける…など不条理な、という以前に文章化しても全く伝わってこない光景が展開され続ける。漫才のオチは「実はiPhoneの作り方ではなくて、五木ひろしさんの作り方だった」というもの。


そして恐ろしいのは、この漫才は彼らの漫才の中でも比較的分かりやすい部類のものだということだ。


彼らが織りなす奇天烈な世界は列挙すればキリがない。ざっくりまとめるとこんな感じである。

・欽ちゃんの仮装大賞で欽ちゃんの頭からミニ欽ちゃんが出てくる、カブトムシが止まる。
・サッカーのPK戦でユーミンが地面から出てきて「春よ、来い」を歌い始める
・ウッチャンナンチャンの似顔絵を持ってひたすら「ウッチャンナンチャン、ウッチャンナンチャン!」と歌い続けるだけのネタ
・「弓矢を、撃ちたく、なくなくなぁーい!?」と言い続けるだけのネタ

理解しようと思ってはいけない、演じている本人たちももしかしたら理解していないのかもしれない。「考えるな、感じろ」の体現である。

彼らがあの場で独自のスタイルの漫才を披露するというだけでも、今年のM-1は間違いなく見る価値があるといえるだろう。そして万が一、いや億が一彼らが優勝するようなことにでもなれば、今までにないレベルのお笑いのパラダイムシフトが発生するだろう。決勝に進出している以上、可能性はゼロではない。

ランジャタイが大会をどのようにかき回すか、どの審査員にハマってどの審査員が酷評するのか、えみちゃんはどっち側なのか…誰が優勝するか以上に楽しみでならない。



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