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とんでも設定の古典落語をざっと挙げてみた

どうも。

以前の落語、落研関連の記事はこちらから

高校時代から聴き始めた落語は学生時代に落研に入るきっかけとなり、落語の公演、披露を通して学生時代には数多くの思い出や人脈を作ることができた。今でも落語は僕のアイデンティティの支柱になっているものだし、これができることがきっかけで豪州でも貴重な経験をしたりすることができた。その話はまた明日以降にでも書こうと思っております。

落語の中でも「古典落語」と呼ばれているものは、江戸時代後期から明治頃に作られたものである。ほとんどが架空のお話、フィクション作品なのだが、多くの作品が当時の時代背景や生活様式を大きく反映しているところから、当時の時代の人々の暮らしを知る資料としても優れているのが落語の一つの魅力でもあったりする。ストーリーの内容に関しても、「なんか、現代でもこういうことありそうだな」といった、親近感溢れるものも含まれていたり。

ところが、あたかもSF映画かのようなかなり尖った設定の作品も落語には存在する。この記事では、そんなちょっとイカれた落語をちょっとだけ挙げさせてもらいたい。

※ちなみに落語のお話は大抵「噺」と表記されるため、以降「噺」と書かせていただきます。どうぞよろしく。

胴切り

新しい刀を手に入れた侍が試し斬りを行おうと、歩いていた見知らぬ一人の男の胴をズバッと斬ってしまう、が、あまりにも上手く斬れすぎたがために上半身と下半身が真っ二つになり、それぞれが意思を持ち別々に生活し始めるという内容。大変なことが起こっているはずなのに、斬られた本人がなんだか能天気なのは、落語ならではといえるだろう。サゲ(噺の落ち)は複数あるが、大抵下ネタである。

少し似たような噺で、首を居合抜きされたが生きているというシチュエーションの『首提灯』という作品もある。どちらの噺も全体的に地味で盛り上がりにくい印象。演者の腕の見せどころだ。

こぶ弁慶

伊勢参りを済ませた二人が泊まった宿屋。そこでガヤガヤ大勢で話していると、壁土(昔のセメントのようなもの)を食うのが好きという輩がいる。実際に男は壁土を食べてしまうのだが、その壁土には武蔵坊弁慶の絵が塗り込まれていた。それをきっかけにやがて肩から武蔵坊弁慶の頭が生えてくるという噺である・・・元々狂ったやつに更に狂ったキャラが憑依するというトンデモ展開の噺。落研の先輩がやっていたのを生で観ていたのだが、急展開のストーリーにより、客席から「えぇー!?」との声が上がっていた。

あたま山

アニメーションにもなっているスーパー奇天烈噺。

サクランボを種ごと食べてしまった男。その男の頭から種が生え、やがて芽を出し大きな桜の木が生えてしまう。ここまででも十分狂ってるのだが、これから近所にいる連中が頭の上に登って勝手に花見を始める・・・もう書いてて全く意味が分からない。それに関してなぜかという説明も一切ないまま、これまた全く意味が分からないサゲまで行きつく。狂っているという意味ではこれを超える落語はなかなかないのではないだろうか。

近所づきあい

SF的側面はないが、また違った意味でぶっ飛んでる噺なので、最後に紹介しておきたい。

ざっくり説明すると、フェラチオをしてもらう噺である。

植木屋の職人が仕事をしながら隣の家の様子を見ていると、二人の男女が盃を交わしている。しばらく様子を見ていると、やがて男女は裸になり男性の竿を女性が咥えてレロレロしているではないか。すっかり我慢ができなくなった植木屋は、松島(風俗街)へ行って自分も同じようにしてもらおうとするが・・・

下ネタに全振りしたザ・バレ噺。サゲもまた絶妙である。上方落語四天王の一人、六代目笑福亭松鶴師匠の音源が動画サイトで見つかると思うので、気になる方はどうぞ。

おわりに

数百年前の作品といえど、侮ることなかれ。古典落語では今でも斬新といえる設定が数多くの作品で発見できるのだ。クリエイターの方々は、こういった落語を聴くことで、新しいインスピレーションが生まれるのではないだろうか。ぜひ、たくさんの落語を聴いていただきたい。落語に浸かれば、大きく価値観、見解が広がるはずだ。

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